今山物語5

 あらためまして明けましておめでとうございます。
 ことしもさっそく郵便爆弾です。
 例年通り、開くもよし、屑籠にポイもよし。よしなにお取り扱いください。

 年末に、NPO「ホップ・ステップ・ハッピー」から、自分のニックネームをつくれと言ってきたので、「ポエター(POETER)にしてくれ」と頼んだ。なぜPOETERを名のりたいか、というのが新年さいしょの話柄です。

 話の端緒は「ことばのインフレ」のことです。じつは、これは、大学時代に林達夫先生から聞いたこと。林達夫先は、ワクシに「知性」というものの具体的イメージを最初に与えてくれた方でした。あの大学が荒れていたときに「ぼくはどうせ書斎派ですから」と公言していた人は、戦時中には次の様なことを書いていた。
 「ぼくは駐在所の前で〝戦争反対〟と叫ぶ様なことはしない」
 学生に向かっては「ぼくが編集に関わっていたころの〝世界〟と今の〝世界〟を混同しないでください。」その意味が分かるようになったのは随分あとになってからだった。

 昨年、十数年ぶりに熱心なクリスチャンの後輩とあった。東京に引っ越すことになったので、その前に会っておきたかったのだと言う。
 彼女の話には、二言目には「愛」が出てくる。どうやら彼女の見るワクシはその愛に満ちた人間らしい。
 「お前ね、〝愛〟〝愛〟と連発するけど、連発しすぎたら何を言っているのか分からなくなる。その〝愛〟を別のことばに言い換えてみようとせんか?」
 怪訝そうな顔をするので、「江戸時代に日本に来た─正確に言えば織豊時代か。それより少し前か─宣教師たちでさえ〝お大切〟と言い換えとろうが。」やっとこっちの言うことが分かってクシャクシャの笑顔になったが、きっと彼女はこれからも「愛」「愛」と言い続けることだろう。

 明治維新直後の一円は今の一万円くらいに相当する、と生徒には説明していたけれど、デフレの時代があったとはいえ、今では数万円というほうが適当な気がする。一円は使われ続けているうちに数万分の一の価値に下がってしまった。
 言葉もまた使い古されていくうちに、その使われだした初期の重さや厚みを失っていく。
「君たちの使っている〝自由〟や〝平和〟と、それを口にし始めた先人たちの〝自由〟や〝平和〟を混同してはいけない」
 林先生が学生たちに言いたかったのは、そういうことだ。最初のころの「自由」も「泰平」も生血のにおいがぷんぷんする言葉だった(はずだ)。
 だったら、われわれは常に新しい別のことばを使うことで言葉の鮮度、生命力を維持しなくてはいけない。
 ワクシにとっての「文学」とは、そのようなものだった。「いい?文学って小説だけのことじゃないんだよ。」

 たとえば「平和」
 それを別なことばに替えるとするなら、、。国語教師は本気で考えた。「安穏」「平穏」。
 「もともとの中国語の〝平和〟ってね、敵対勢力や異民族全体にブルドーザーをかけるようにして平らにならしてしまうことだったんだよ。〝平成〟もまったく同じことだった。」でも当時はそこまでしか頭が動かなかった。
 そうして今や、満州族やモンゴルはたぶんほとんどが漢名を名のるようになった。いずれはウィグルやチベット族も漢名だらけになるだろう。──平成為(な)る。──

 いまなら「平和」を「無事」と言い換える。
 なにごとも起こらないこと、が「平和」なんだ。
 「今年こそ世界が無事でありますように。世界に何事も起こりませんように」
 ということは、たとえば飢えや寒さの恐怖にさいなまれている人々の現状も、突然の死や家族離散の予感を持ち続けている人々の見えない明日や、アイデンティをかなぐり捨てなければ生き延びることはかなわないとみずからに強いようとしている人々の断念や、自分の抱いている考えどころか感情まで周囲には悟られまいとしている人々すべてを「現状維持」であれと願っていることになる。「かれらの飢えや、死や家族離散や、アイデンティティの放棄などの恐怖がことしも続きます様に。」
 ワタクシもまたそういう「無事」をどこかで期待している。

 「愛」の話にもどる。
 以前、物質とは力の塊のことであり、その力には表の力と裏の力がある。物質はその表の力と裏の力のハイブリッド体なんだが、われわれはまだ、いやたぶん永久に裏の力を知ることなく終わる、と言ったことがある。──宇宙はその二つの力のバランスが崩れて生まれた。そしてそのバランスのいびつさは次第に拡大している。──べつに証拠もなにもないけれど今もそう思っている。「宇宙はいずれ収縮し始めてまたもとの無にもどる」というホーキングは学者から神秘家になった。

 後輩には言わなかったが、ワクシは「愛」もまた物質同様にハイブリッド体にちがいないと、ほとんど確信するようになった。
 愛が表、虚無が裏。
 虚無の裏打ちのない愛に生命力──この「生命力」も使い古されてしまって何を言い表しているのかまったく分からなくなったから言い換える──生殖能力はない。ミケランジェロピエタがなぜ人々を打つのか?そこには「虚無の裏打ち」があるからだ。生殖力に満ちているから今も人々はロンダニーニのピエタに会いにいくのだ。

 いい正月だとのんびりしていたのに、ニュースを見て一気に不快になってしまった。
 ローマ法王は今年、核廃絶を世界に説いてまわるという。(たぶんその真意は核戦争の危機を回避するために人々を動かそうとすることにある、とは思うが)
 かれは、核廃絶は不可能だと多寡をくくって安心して核廃絶を説く。
 万一、核兵器が地上からなくなったら何が起こるか?野心家たちは安心して紛争や戦争を起こし放題に起こす。そして国際機関(そのとき国連がまだ機能しているとも思われないから、そういう呼び方をしておく)は、世界の何処かで核兵器の密造が行われていないか血眼になって「査察」をすることになる。警察国家という言葉があるが、世界はもう警察世界になる。それは、オーウェルの描いた悪夢そのままだとワクシには見える。いや、核兵器を手にすることで世界を支配できると考える学者や政治家の登場は単純きわまる未来漫画のさらなる戯画にすぎない。
 宗教もまた「虚無」を内包していなければ宗教としてさえ在り得ない。(バチカンが、宗教よりは政治に重きを置く様になったことを一概に否定する気はないが)表向きの教義の裏にある虚無の厚みがその宗教の濃さをつくる。
 仏教者の言う「無」も「虚無」と言い直すだけでおののきが幾らかは甦ってくるのに。
 仏教者たちは「無」や「空」を、社会学者たちは「平和」を、そして多くのインテリたちは「理性」を祭壇の上の干からびた亀にしてしまった。
 
 言葉はときどき(世紀単位でいいから)更新されなければ最低限の役割をも果たし得なくなる。文学、なかんずく詩のほんとうの使命はそこにある。もともとの詩はそのようにして我々の前に現れた。

 70歳の年のはじめに思い至ったことです。ただ思うだけ。
今年米寿だという恩師から賀状の返事が届いた。
 「秋に上高地に行って冠雪した山々を見つつ、晩節を汚すことなく全うしたいと思った。」 東京の同級生たちに「米寿祝いのときは声をかけてくれ」と頼む。
 自分はただ「読み部」「思い部」として残りの9年を全うしたい。

            2018/01/04
 

今山物語4

 初参加の同級生クリスマス会(会費千円)は楽しかった。
 ワイワイやっている内に、訃報が載っていた葉室麟の話から村上春樹カズオ・イシグロに話題が移って「読んだことないけど、どうなん?」とふられた。「うん、どっちも読んでみたけど、?オレは読まんでいいな?ち感じた。知能指数の高い人たちは自分の頭でゲンジツを作り上げて、その頭の中のゲンジツと向き合うとるようなところがあるっちゃ。」「そんならアタシたちは大丈夫やね。」「うん、オレたちは大丈夫。」

 舌なめずりをするようにして見てきたBBC『リッパーストリート5』が終わった。主要登場人が主役のリード以外は全部死んだので、もう『6』はない。現実離れした無茶苦茶なストーリーだったけどハチャメチャに面白かった。サンキューでした。

 「意識的にそれを提示しようとする真面目なものの中にあるものよりは、荒唐無稽で徹底徹尾の娯楽ものの中に潜んでいる幽かなTruthのほうが輝いている」
 60ぐらいになってから切実に思うようになったことです。──定年退職後の県下最低ランクの県立高校で出会った生徒たちには「かぐや姫」にかこつけて言ったことがある。「西洋人にとって神様というのは?ヘヘーッ?と仰ぎおがむ存在だった。でも、われわれの先祖の知っている神様はちっちゃくてちっちゃくて、自分たちが大切に守ってやらなきゃという気持ちがわいてくる存在だったんだよ」彼らが嬉しそうな顔になったから、自分の言ったことが正しいかどうかなんて、どうでも良かった。──さっそく横道に入るが、そういうことを考えるようになったきっかけは、アイルランドで出会ったキリスト像。おどろおどろしい磔刑像とはまったく逆の、まるで子ども向けの漫画のような可愛い姿だった。──
 勘九郎野田秀樹の歌舞伎がそうだった。(息子たちが演じるものが近くに来たら必ず出かける)権太楼の落語もそうだった。(あの絶品の『雪椿』はも一度聞きたい)『ヴォィツェク』もそうだ。ルバッキーテの『フランク』も、そこには何も「意味」などない。ただ音楽というTruthがある。
 ことし最後にしたいのは、そんな話です。

 『リッパーストリート5』が、廃墟で発見して抱きかかえた瀕死の少年の耳元で、リードが「Don't afraid. You are not alone. I am here.」と囁くところから始まった、という報告は前にした。ほっとした表情になって目を閉じた少年は孤児院から脱走していたことが分かったところから事件(Case)が始まる。……すみません。今日はやたらと英語づいています。
 その過程で警察署に訪ねて来た余命いくばくもない中年の街娼から、孤児院に入れたまま行方不明になった息子の捜索を依頼される。Justiceを追求するためにはIllegalな行為も敢えて辞さないリードは孤児院の児童虐待を暴くが、街娼の息子はすでに死体だった。
 間に合わなかったことを謝るリードに母親は「謝る必要はない。私はあなたに感謝している」という「だって、あの子はやっと安らかな眠りにつくことができた。ーUnder the tree. among the birds.ー」
 それを聞いたリードは彼女に、自分の妻が夫を憎みつつ孤独のままに死んだことを告白する。
 それを聞き終わった母親はリードに「もう、あなたは許されている」と優しく言う。
 その字幕は読めても言葉が聞き取れず、録画を見直したら「You were forgive.」と言っているとしか聞こえなかった。しかも「フォーギブ」は「フォーギフ」。乏しい知識ではあるが、末尾のVをFと発音するのはアイルランド訛りのはず。
 ──そうか。彼女は受け身形も使いこなせないような、まともな教育を受けられない生い立ちだったんだ。
 なんという小憎たらしい演出!
 その、まともな教育を受けられず、まともな職業に就けなかった人間のわずかな教養の中にこそTruthが輝いている。(あの方もきっとそういう育ち方をしたのに違いない)
 ──50代のときに読んだ堀田善衛『城館の人』でもっとも印象的だったのは、モンテーニュの従僕の話だった。その従僕は流行病で家族が次々に斃れたびに穴を掘って埋葬した。そして最後の家族を埋葬し終わると、その横にもひとつ穴を掘り自分が入って自分で土をかぶせたまま動こうとしなかった。「彼は私が読んだ古今のどの哲人よりも崇高だった。」とモンテーニュは書き残しているという。でも、その従僕はただ、ひとりだけ取り残されるのがイヤだったんだ。
 あの方の孤独さは如何ばかりだったろう。
 ミケランジェロピエタ像を見るたびに思うが、あれは悲しみにくれている像ではない。あの姿と表情には、やっとまた我が子を取り戻すことができた女の安息が表現されている。

『リッパーストリート5』では、ずっと未解決だったユダヤ人数学者(かれは、「数学は、無秩序に向かっている宇宙に反している」ということを数学的に証明しようとしていた。──典型的な文系的発想──)の殺害犯人が、同じリトアニアからの難民だった警察署長(危機を感じてリードを殺人犯として絞首刑寸前に追い込んだ当人)であることを立証する。数学者は自分の「Truthの証明」に夢中で、他のことには全くの無関心だったのに、署長は避難する間に自分が犯したことが告発されるのを未然に防ごうとしたのだった。
 町にJusticeを取り戻すために憎み合いながらも命を預け合った友人たちはみな故人となり、自分の命に代えて救い出した娘は夫と去って行き、リードは全てを失う。そして、彼は、もっとも大切なのはTruthでもJusticeでもなく、Trustだったんだということを悟る。
 別にそんなセリフがあったわけじゃない。
 リードはアメリカに戻った男が、おぼれかけている子ども二人を助けて死んだ、という手紙を弁護士から受け取る。そして手紙の最後には、「遺言に従い、ささやかなものを送ります」とあって、封筒を逆さまにすると机のうえに小さな指輪が無造作に転がりでる。その指輪が時価数億円することは、「1」から見ている者だけが分かる。
 そんな終わり方でした。

 同封する新聞記事をコピーしにコンビニに行った帰り、一円玉を二つも拾った。わざわざ届けに行くほどのこともないので、そのまま財布に。・・・これで今年の宝くじもスカだな。
                         2017/12/26
 

池田紘一先生へ

 何から書いたら良いのでしょう。
 注文していた『赤の書・テキスト版』が届きました。
 でも、それを開いたら、いよいよ書けなくなりそうですので、その前にお手紙を差し上げます。内容はバラバラになります。ご容赦ください。

 先生のお話を聞きながらハンナ・アレントを思い出していました。
 彼女を主人公にした映画が作られて以来、いまはちょっとしたブームで、先日は新聞の書評欄に彼女の『人間の条件』についての日本人が書いたものが紹介されていました。その冒頭は「読みづらい。」だとあります。でも、私にとっては「読んでも分からない。」でした。(これは失敗作だな。──自分の理解力不足とは思わない所がアラキ流です。──)分からないまま、ただ活字を追いかけていたように記憶しています。それでも最後まで追いかけ続けたのですから、何か惹きつけて離さないものがあったのです。
 読んでから20年ほどたって、彼女が言おうとしたことは、「自然を創ろうとする非自然的実態が人間なんだ。」ということだったんじゃないかなと今は思っています。(私なら「創ろうとする」ではなく、「産もうとする」になると思いますが。)
 その「非自然的実態」と、先生の図のなかにあった「ペルソナ」とが私の中で符合したのです。とすると、「自己」が私のなかに浮かんだ「自然」になりそうな気がします。
 「自然を思い出せ」。
 その「自然」とは、言葉以前のものです。
この頃思うことのひとつは、ドイツ語の「世界観」って言葉で出来ているんじゃないかということです。でも、わたしたちの世界観には言葉の入る余地はありません。人間だけでなく、あらゆる生き物は世界観を持っています。もし、鳥が世界観を持っていなかったら、あんなに自由に空を飛ぶことは出来ないはずです。
 
 最初にあった、イギリス文学とフランス文学とドイツ文学の比較はしっくり来ました。といってもドイツ文学にははなはだ疎いのですが、DVDを買った『ヴォツック』はまさに「分からない」だと思います。ロシアの『ボリス・ゴドノフ』にも同じことを感じます。
私はテレビが大好きで、見ない日はありません。ただし見るのはスポーツ番組とBBC刑事物が大半です。その刑事物で19世紀末のロンドンを舞台にしたものは、いったん終わったのに、また続編がはじまりました。本国でも人気があるのだと思います。その続編の冒頭は、余命幾ばくもない娼婦から行方不明の子どもの捜索を依頼された主人公が仕事を放り出して探し出す話でした。
 そうか、その娼婦に会う前に主人公は、廃墟で息を引きとりかけている少年を見つけます。その少年を抱き起こして、耳元で、
──Don't afraid. You are not alone. I am here.
 と囁きます。少年はほっとした表情をして目を閉じます。
 もう、それだけで「ジーン」です。
 
 娼婦の子は死んでいましたが、その遺体を母親に渡すことができました。
 生きて渡せなかったことを謝る主人公に、埋葬を済ませた母親がお礼を言います。
──やっと、息子は安らかな眠りにつくことができた。Under the tree. among the birds.
 それを聞いた主人公は、自分が妻を孤独のままに死なせてしまった過去を告白します。 聞き終わった母親は、
──You were forgive.
 と言ったように聞こえました。
 でも、中学校のときに習った知識では、それは受け身形になっていません。その母親はそんな育ち方をした人間として描かれているのでしょう。
 「きっとサンタ・マリアも似たような境遇だったんだろうな。」
 BBC犯罪物を見飽きない理由です。

 わたしたちの世界が全きものであるためには、わたしたちの言葉は不完全なままでなければならない。──このごろ本気で思いはじめていることです。──不完全でありつづけるためには考えつづけるしかない。
 
 「偉そうなことを言うな!」と言われるのを承知の上で、そう思います。

 『赤の書』の絵を見ながら二人の日本人画家を思い出しました。
 一人は「大昔、人類が最初に意識した感情は〝悲しみ〟だったのではなかろうか。」と書き残した清宮(せいみや)質文。おもに木版をやっていた方です。下に画集から撮影した『吐魯番トルファン』をつけておきます。実物は横幅が12〜13㎝でしたから、下の倍まではなかった気がします。

 図柄以上に、色の取り合わせにユングと近いものを感じたのだと思います。と書いたら、図柄もまたどこかユング的な気がしてきました。
 あと一人は、イタリアで出会ったフレスコ画を油彩で再現しようとした秋元利夫。但し、実物を見たことはありません。もし見たら、触りたいという衝動にきっと襲われそうです。それぐらい(専門用語がちゃんとあるのでしょうが)画面の地肌が好きなのです。ただ、それに比べて図柄にはピンと来ないものがありました。
 でも、下の絵はユングそのままなのではないかと感じます。


 1985年に40歳で亡くなっていますから、『赤の書』を見る機会はなかったのではないでしょうか。でも、きっと、ユングや有元以前からあった図柄なのでしょう。
 
 「書かねば。それはあの講演を聴いた者の義務だ。」と思いつつ、やっと書けました。

今山物語3

 南原講演の栩木先生による要約を(ざっくりとだけど)読んだ。
 読んでいて、めったやたらに気が重たくなった。
 若いころなら、きっと昂揚感に満たされたに違いない。でも、いまは、ひたすら重苦しくなる。

 南原繁もまた(当然のごとく)進歩主義者だったんだな。それを「時代の制約」として片づけていいのか、という無力感。
 社会主義に限らず進歩主義一般はいずれ世界の画一化を目指すことを、もう我々は知っている。世界中が自由であることを求めることと、世界中を画一化しようとすることは同じ動きなんだと気づくと同時に、世界中が自由であるとはただの無秩序な状態にすぎないとも気づいてしまった。
 でも、進歩を求めない科学ってあり得るのか?
 いや、進歩を拒否して生きることなんて現実的にわれわれに可能なのか?

 南原繁の言っていることが間違っているのではない。ほぼ100%ただしい。
 しかし、もう、ほぼ100%ただしいことは、実現性はないに等しいと知ってしまっている。
「もっとも宏大な理念でさえ、それを実践に移すためには、偏狭さと排外主義の力を借りるほかない。」というレオン・ブランシュヴィックの言葉を教えてくれたのは、レヴィナスだったかブランショだったか。そのレヴィナスは次のように書く。
 「〝歴史的理性〟は、あとになってから(絶対的なものを)照らし出すのである。遅れてやってくる明証性、それがおそらくは弁償法の定義なのだ。」
 そのレヴィナスは自らは社会主義者であることを公言する一方でフランス軍に志願し、ドイツの捕虜となったことで生きながらえた。その間、レヴィナスの家族を守ったブランショは自らを〝王党派〟と呼んで憚らなかった。そのブランショについて語る時、レヴィナスは謎のように言う。
「真理が彷徨の条件であり、彷徨が真理の条件である。・・これは同じことを前後入れ替えて言っているだけだろうか?われわれはそうは考えない。」──この中の〝われわれ〟が、つまりはユダヤ教徒なのだろう──

 申し訳ないけど、ブランシュヴィックやレヴィナスブランショのほうが、現実と切り結ぶことを恐れなかった気がする。

 南原繁にして、どうして、そういうことが起こるのか?
 〝言葉〟のせいじゃないかな。
 彼の使う言葉はあまりにも清潔だ。しかし、清潔な言葉であらゆるものを包含している歴史や現実を語ることが可能だとは思わない。と同時に、清潔じゃない言葉を耳に入れたがらない人々が大勢居ることもわれれはすでに知っている。
 ハンナ・アーレントは「人間とは何者か?」を考察しつづけてほとんど沈没しかけたとき、「こういうことは論文の対象ではなく、文学の役目なのかもしれない。」とつぶやいている。ひょっとしたら、そうなのかも知れない。
 須賀敦子の『シゲちゃんの昇天』は送ったことがあるよね?
 あのシゲちゃんの最後の言葉「人生ってもの凄いものだったのね。アタシたち、そんなこと何にも知らずに胸を張って歩いていた」という言葉が突き刺さってきたのは、上のような事情による。たぶん今も、何にも知らないおかげで偉そうにそこら辺を歩いていられる。
 ヴァルター・ホリチアのことばを引用していたのが誰だったか、ひょっとしたらフォールかも知れない(全部フランス人じゃないか)けど忘れた。でも、下の言葉に出くわしたときの何か救われたような気持ちはいまも残っている。
 「科学研究はリアリスティックな言語で行われる。科学者はすべての人に受け入れられる結果を得ようとしているのであって、もし滅菌した言語と厳密な論理だけを採用していたら、科学者はどこへもたどりつけなかったはずだ。」
 わが恩人のひとりだけど、ホリチアがどんなことをし、どう生きたのか、丸っきり知らないままです。
 なんだか、また自分に宿題を作っちゃった。

ことば補遺

こ と ば

──W・オーデン──
○大人と子どものちがいは一つしかない。子どもは自分が誰かを知らない。大人は自分が誰かを知ってしまった人間だ。
 自分の悩みごとを人に打ち明けても、それが軽くなるわけではないと悟ったとき、人ははじめて子どもであることをやめるのだ。
 自分の存在なんて無用のものだということを喜びたまえ。そして、しかも悶々と歩きたまえ。そうして、自分が誰であるかを思い出したまえ。 
                         
──ハックスリー──
○われわれが手に出来る最良のものはナッシングなのだということを私は残念に思わない。なぜなら、人生は生きるに価するものだということは、何によっても証明できない信念だからだ。
 どんなことよりも大切なのは一人の人生だ。一人の人生とは、自分の家にいて鼻などをいじりながら、日の沈んでゆくのを見ている、そういうものだろうね。                           
──デイモン・ラニアン『野郎どもと女たち』──
○公園には鳥がたくさんいて、ぼろを着た老人が手にわずかばかりのポップコーンの袋を握っていた。「デイモン、あの老人はただ孤独なだけだと思うか? あの老人が誰か知っているか? オレたちさ。オレたちはあの老人なんだ。」  

──コンラッド・エイキン──
○心のなかにはいりこんできて、やがて一個のちいさな固いひんやりとした種子になってゆくような一個の物語を人は抱いて生きている。


─ソートンワイルダー──
○文学は遺産相続争いではなく、聖火リレーに似ている。
○人生にもっと自由に、もっと深く参加したい。


──グレアム・スウィフト『ウォーター・ランド』──
○強そうな相手と立ち向かわなくてはならなくなった時は、「こいつだって赤ん坊の時はママのおっぱいにむしゃぶりついていたんだ。」と思え。

──エウリピデス──
○みのり豊かな穂のごとき人生は刈りとられ、そうでないものは取り残される。
                        
── 山口 薫 ──
○世界は美しい無だと思う。          
──長谷川?二郎──
○現実は精巧につくられた夢だ。
洲之内徹氏が私の画を「この世のものとは趣さえある」と言うとき、私の気持ちを他の方向から感知していると思う。
 私の考えでは、「この世のものとは思われない」のは目前の現実で目前にある現実が、「この世のものとは思われない」ような美に輝いている事実です。
○よい絵は絶えずよい匂いを周囲に発散する。 

──ジョルジョ・モランディ──
○わたしたちが実際に見ているもの以上に、もっと抽象的でもっと非現実的なものは何もない、とわたしは信じています。
○コップはコップ、木は木であるということしか、わたしたちは知ることはできないのです。
──?──                      
○全人類はひとつの夢しか見ていないのではないか。それが個々人のフィルターを通したとき、違う見え方をしているのだ。
──ヘラクレートス──
○地の死は水になることにあり、水の死は空気になることにあり、空気の死は火になることにあり、そしてまた、その逆も。   

──ベネディクト・アンダーソン──
○ We may note the courege have come from memory--the way of one's origin.
One grows up by growing back
人はおのれを遡ることによって成長する
人は成長し直すことによって成長する
──ヴァルター・ホリチア ──                   
○科学研究はリアリスティックな言語で行われる。科学者はすべての人に受け入れられる結果を得ようとしているのであって、もし滅菌した言語と厳密な論理だけを採用していたら、科学者はどこへもたどりつけなかったはずだ。
                        
──レオン・ブランシュヴィック──
○もっとも宏大な理念でさえ、それを実践に移すためには、偏狭さと排外主義の力を借りるほかない。
──レヴィナス──                   
○「歴史的理性」は、あとになってから(絶対的なものを)照らし出すのである。遅れてやってくる明証性、それがおそらくは弁償法の定義なのだ。
○真理が彷徨の条件であり、彷徨が真理の条件である。・・これは同じことを前後入れ替えて言っているだけだろうか?われわれはそうは考えない。
ブランショにとって文学とは、流浪性という人間の本質を呼び覚ますものなのだ。
○私は幸福な人間だと思われてきた。しかし、幸福の経験と、幸福の記憶から、わたしは幸福なしでも生きられる術(すべ)を学び知ったのだ。
──モーリス・ブランショ──
○存在すること、それは語ることに等しい。ただし、いかなる対話相手も不在であるところで語ることである。※これがもっとも的確な実存主義の定義ではないか。
○始まりのかわりに、原初の空虚のごときもの、物語が開始することを促すような力感にあふれた拒否がある。
○ひとはいつも捉えられる。いつもいきなり捉えられる。なにものもシステムの明証性から逃れることはできない。
○流浪とは定住を目指す移動のことではない。それは大地との還元不能な関係の仕方である。それは場所なき滞留だ。芸術がそこへと指し招く暗がりを前にしたとき、・・・「自我」は通底の地、匿名の「ひと」のうちに解消する。
                    
   
──マーカス・リィ・ハンセン──
○二世が忘れたいと思ったことを、三世は思い出したいと思う。

──堀江 敏幸『ジョルジュ・ペロスの方へ』──
○書くという行為にはさまざまな誤解がまとわりついている。あまりにも多くの人が、書くことには才能が必要だと思いこんでいる。しかし、それは全く違うと、ペロスはこれからも繰り返すだろう。書くことは「奇妙な隷属状態に反する」ことであり、問題は才能の有無とは別に、つねに螺旋を描いて、中心がぽっかりと空いていることころに身を置きつづける勇気があるかどうかなのだ。

──保田 與重郎──              
○内容や意味をなくすることは、雲雨の情を語るための歌文の世界の道である。
                        
──ステファン・マラルメ── 
○詩=ロゴスのなかに整序されたものを(もいちど)散乱させること

──エリー・フォール──
セム人は去勢されなければならなかった

──福岡伸一──
○生命には部品がない

──ボンヘッファー──
○神の前で、神と共に、われわれは神なしに生きる。

──ケン・リビングストン──05年7月ロンドン同時多発テロ直後ロンドン市長──
○君たちは恐れている。ずっと目指してきた、われわれの自由な社会を破壊するという目標がかなわないかもしれないということを。なぜ君たちが失敗するか。それは、こういうことだ。・・・
 君たちの卑怯な攻撃があった後でさえ、地方から、世界から、人びとはロンドンにやってくるだろう。・・・
 自由になるために、自分の選んだ人生を生きるために。自分自身になるために。・・・
 誰もロンドンを目指す人びとの流れを止めることはできない。ここでは自由が保証され、人びとが調和とそもに生きられる。君たちが何をしようと、どれほど人を殺そうと、君たちは敗北するだろう。


ジャコメッティの日記より──矢内原伊作訳──
○私は今、12歳だった頃とほぼ同じ地点にいるように思う。ただあの頃はすべてが容易に思われていたが、今はすべてが困難に、ほとんど不可能に思われる。
○真実がときとして幽霊のように姿をあらわす。私はもう少しでつかまえられそうだと思う。それからまた私はそれを見失ってしまう。だから私は再びはじめなければならない
○こころみる。それがすべてだ。
○けさは七時まで記憶で仕事をした。そして幾つかのことを発見した。昨日まではまったく違っていた。今日こそ真実に近づくことができるだろう。
○今日はずいぶん進歩した。しかし、まだ全部が嘘だ。見えている顔はこんなものではない。明日こそは少しは正しく描くことができるだろう。早く朝になればよい!!
○私は一脚の椅子のデッサンだけで一生を過ごせることを知っている。
                    ──ジャコメッティー──


タチアナ・ソコロワ・デリューシナ(ロシア語『源氏物語』を一人で全訳)
・人によって創造されたものはすべて、世界に向けられた、ある種の呼びかけだ。
・物語が生まれるのは、人が自分のまわりで怒るすべての事をじょっと観察し、、、自分の胸ひとつには納められそうにないと分かる時、、、自分が観察したものを後世の人と分け合いたいという欲求が生まれる時なのだ。 ──紫式部について──
・人は過去と未来の結び目にすぎない。
この世のすべては言い尽くされている。しかし、限りなく捕らえ難く、言い古されない新たなニュアンス、新たな意味合い、それが「もののあわれ」なのだ。古今集ひとつをとっても、どの歌もすでに言い古されたものだけれど、どれも言い尽くされていないものに限りなく近い。
・「もののあわれ」は、ものごとを境目で捕らえようとすることだ。
・芸術とは「何を」ではなく、「いかに」なのだ。               ・人生は下書きなしの清書だ。
紫式部が生きたのは遠い昔のはるかな日本だけれど、今、私は、昔、彼女が眺めたのと同じ月を眺め、彼女が書いた作品を読んでいる。──これって、永遠に触っていることなのではないか。
・1980,6,17。今日、サーシャと鬼ごっこをした。隠れるなり彼は「ここだよ。ここだよ。」と大声をあげはじめる。
・私たちは、中身をけちったロール・キャベツみたいに、みすぼらしく、背中を丸めて歩いていた。
・雪ダルマは、春の遊び。
   
──フェート──
○古(いにしえ)の歌の調べが幾世紀もの層ををくぐり抜けて、、、、不意に傾ける支度のできた耳に飛びこんでくる。
──ナボコフ──
○人生は一瞬、自分自身をほかのすべての人たちの中に、溶かし込んだだけ。
                       
──ピカソ──
○科学者は全生涯をもって角砂糖ひとつの性質を解明しようとする。私が人生で知りたいことはただひとつ。色とは何かだ。    
──ヴァン・デル・ポスト──
○人間は、自分が知っていると思っている以上のことを知っている。
──中野重治『五勺の酒』──
○少年らが、古い権威を鼻であしらうことだけを覚え、彼ら自身は権威となるところへは絶対出てこぬというあの悪い癖こそ頽廃なのだ。
                    
──榊原英資──
○教育とは孤独になることを教えるプロセスのはずだが、日本はそれをしない。
○デギュレーションとは、まだ残っている何かを壊してゆくプロセスである。アメリカをはじめとして、インドネシアも韓国も伝統的にあったものをデギュレーションの過程で次々に壊した。そのあとにあるものは「マーケット」である。
                         
──白州正子──
○か弱く、はかないものには、それなりの辛抱強さと、物事に耐える力を神さまは授けてくださる。思想とか理念とか呼ばれているものを、それとはほど遠い曖昧な日本語を用いて、たどたどしい文章で書くことを私は少しも恥じてはいない。
                         
──倉夫──
○われわれは永遠に、「自分からの脱出」と「自分への脱出」を同時に行いながら生きている。                    
○人間は自分自身のつくるものだけしか理解できない。 
○文明は収斂を目指し、文化は差別化を目指す。
○鉄は熱いうちに打て、打つときは鉄よりも強く打て。
○上の連中のしていることに口出ししても仕方がないという態度は、たとえば北朝鮮の人々とどこが違うのか。
○ものにさわれ、ことにさわれ、社会にさわれ、少なくとも幼いとき私たちは「愛」にさわっていたはずだ。

──アーネスト・ヘミングウェイ──
○Each taime is new time
─ピーター・ゲード(デンマークのバドミントン元世界チャンピオン)─
○バドミントンに必要な要素には、体力的な面と、技術的な面と、精神的な面と、戦略的・戦術的な面とがある。だから僕はまだ強くなれると思っている。・・・調子が悪いときに、急に調子を取り戻す方法なんてない。調子が悪くてもくじけない芯の強さのようなものが必要なんだ。大切なのは、その調子の悪い自分を受け容れられるかどうかだと思う。だから僕は、調子が悪いときも嫌いじゃない。
  
──ゲーテファウスト』前田利鎌訳──
○存在は義務だ。たとえそれが刹那であったとしても。
           
──孔子──
○告朔の?キ(食気)羊は変ずべからず

──サンソム1950、12東京──
○今日日本の直面する問題は過去を振り返ってみても解決できない。日本は変化したが、まわりの世界も変わった。日本は現在あるがままの世界と関係しなければならない。日本の過去の経験は直接には役にたたない。
過去において最も偉大な政治上、経済上の進歩は漸進的かつ非計量的であり、厳密な意味で予見されないものだった。
慎重な歴史家は現在を規準にして過去を記述することを避けなければならない。
日本の政治体制が危急の場合に国民の利益に奉仕しえなかったのは、19世紀に適当な政治形態を採用しなかったからというよりも、その後の時期に状況判断を誤ったことによる。
政治の形式というものは、それを動かす精神に比べてはるかに重要ではない。
政治家の行動は一定不変の政治的原則を遂行する、あるいは新しい原則を提起するのではなくて、当面の目的を果たすためのものである。
               
──山折哲雄2013、10──
○谷川(健一)さんの一生をひそかにうかがうとき、氏は万葉の窓を通して日本人の始原を追い求めるとともに、他方で沖縄・琉球へと突き動かされる眼差しを通して親鸞的人生葛藤の海に泳ぎ出ようとして最後の姿が、あらためて見えてくるような気がする。
──小林秀雄──                    
○あらゆる思想は文体にすぎず、思想家の表情にすぎない。
──江藤淳──                    
漱石から志賀直哉に屈折していった日本の近代小説が、ふたたび屈折して小林秀雄において「批評」を生むにいたる過程の意味である。『Xへの手紙』の背後には明らかに『暗夜行路』があるが、その向こうにはおそらく『明暗』があぅ。漱石が発見した「他者」を、志賀直哉は抹殺しさることによって『暗夜行路』を書いた。そこには絶対化された「自己」があるだけである。小林秀雄はこの「自己」を検証するところからはじめた。
──パウル・クレー──バウハウス                    
○生成するいっさいのものの運動は特有のものだ。世界は存在するまえに生成し、未来に存在する以前に生成する。われわれは決してオートメーション工場などではない。
いかにして静止した状態の、また堅牢堅固な作品であっても、実体は運動である。
銃身から発射される弾丸の生み出す螺旋的直線軌道の長さは、理念そのもの、思想いそのものに共通している。
人間が肉体的には無力であるのと対照的に、精神的には、地上的な世界ならびに天上の世界を思うままに踏破する、人間のこの能力。半ば囚われ人にして、半ば翼を与えられた人。これこそが人間の根源的な悲劇性である。
誰ひとりとしてコロンブスの魚を発見しはしなかった。
赤とは何ではないのか? 赤はどこでその働きを止めるのか?
純化のいきつくところは、不条理な帰結、極限の貧困、生の喪失にいたる。
──堀田善衛──                    
○il y a cadavre entre eux.
○まったく違う領域へ問題を移し、対比して考える、といって思考法は、実はユダヤ人にとって手慣れた方法だ。
──舟越 桂──      
○すべての人がはじめての存在なんだ。
──ヨーゼフ──  
○女たちは、この世を更新するためにつかわされている。
                    
                    
チャトウィン
 ・「けっして芸術的であろうとしてはいけない」
・岩窟の聖母 
 ・ユンガーの日記のつづく一節は、戦争文学のなかでも醜悪さを争う描写である。  モネの初期の画風で銃殺隊を描いたらこうなるだろうか。
・ラヴェンシュタイン司令官が言った。
 「いつか、私の娘がすべての償いをする日がくる。淫売屋で、黒人相手に」
 ・ヒトラーの非凡さは、20世紀がカルトの時代だと気づいたことにある。
 ・エル・グレコ 聖ヴェロニカの聖顔
 ・世界で尤も麗しくもの悲しい邸宅のひとつ、ヴィッラ・マルコンテンタ(ブレンダ運河沿い)
 ・ブラックの釣り船のつながれた海岸風景──禅画のように徹底した引き算の構図。
 ・カワード「私生活 焼けぼっくいに火がついて」

ワイス・バーグ
 わたしに理論はない。あるのはただ事実だけだ。
ド・ゴール
 ・ヨーロッパ市場に参入したら、イギリスはだめになってしまう。そしてだめになってしまったイギリスが共同市場の一角を担うことに、われわれ大陸諸国はなんの魅力も感じない。『倒された樫の木』
トルストイ
 文豪の謦咳に接しても意味はない。すべては作品にこめられている。
チャラ・シン
 インディラはけっして眞實を語らない。間違っても!
──コンラッド・エイキン(1889-1973)アメリカの詩人
・心のなかにはいりこんできて、やがて一個のちいさな固いひんやりとした種子になってゆくような一個の物語を人は抱いて生きている。
           

白川静
・神話をもち、祭政的政治をしていた殷を倒した周は神話をもっていなかった。だから天命を持ち出す以外に王権の根拠を示すことができなかった。
・万葉の最終巻は、大伴家持の日記のようなものが大伴家に残されていた。(それをもとに作られている)。大伴家がなにかの疑獄事件で被疑者になって、家宅捜索されたとき時にそれが見つかった。
 もし、それがなかったら、「万葉集」は伝わらなかったかもしれない。そういう私的な性格のものであった。
・呪の思想 苗族→宗
・殷人が日本人と似ているように、南人も日本人と似ている。日本人を介して、殷と南がつながっていると想像することは楽しい。
・克己復礼=仁(仁とはその礼を己を投げ出してまで実践しつづけること←学び)=媒介者=徹すること=述べて作らず=原始から受け継いできた遺伝子が蠢きはじめる。

中沢新一
・農業も漁業も狩猟でも、その予測不能性こそが人間の労働を動機づけている。


内田樹
 ・ことばを共有し、物語を共作すること。それが人間の人間性の根本条件です。

ユング
 ・ユダヤ的無もギリシャ的無もイスラム的無も仏教的無も老荘的無も、すべて自己顕現的志向性をもっている。(「ヨブへの答え」)
 ・ニーチェも世界大戦も同様に、19世紀に対する一つの解答であったが、しかしそのいずれも前に向かういかなるプログラムも提出しなかった。
 ・19世紀にしても、それは単なるローカル的一過性の現象であり、人間の古くからの心に比較的に薄い砂の層を沈めたにすぎない。――文化的現象としてのフロイト――
メルロ=ポンティ
 ・世界は一箇の神話である。
板垣正夫
 ・美は君臨するのに存在する必要さえない唯一の存在である。
ホワイトヘッド
 ・「自然の法則」などは存在しない。ただ自然についての暫定的な習慣があるだけだ。
 ・もし何人かの詩人たちが現代に生きていたとしたら、彼らは詩人にはならず、科学者になっていただろう。たとえばシェリー。
石田波郷()
・叙情詩から、文学からの袂別の決意表明をすることが俳句にあっては何より必要だった。 「俳句は文学である必要はない」
山本健吉
 ・俳句は挨拶だ。→西行に直結した唯一の歌人吉井勇

原田光
・目的をもってはじめても、どこかで目的を通り過ぎ、往々にして変な所へさまよって出て、今の自分からどんどん遠ざかってゆくような旅。 

クリス
・それを誰かと分かち合うとき、幸福は実現される。


西陵生へのことば

・大人と子どものちがいは一つしかない。子どもは自分が誰かを知らない。大人は自分が誰かを知ってしまった人間だ。
 自分の悩みごとを人に打ち明けても、それが軽くなるわけではないと悟ったとき、人ははじめて子どもであることをやめるのだ。
 自分の存在なんて無用のものだということを喜びたまえ。そして、しかも悶々と歩きたまえ。そうして、自分が誰であるかを思い出したまえ。 
  ──W・H・オーデン(1909-1973)詩人。イギリス出身で、のちアメリカに移    住した。『支那のうえに夜が落ちる』『1939年9月1日』
──キム・ナンド──
○人生で重要なことは最初の職場ではなく、最後の職場だ。
                        
              ソウル大学教授『つらいからこそ青春だ』
・科学者は全生涯をもって角砂糖ひとつの性質を解明しようとする。私が人生で知りたいことはただひとつ。色とは何かだ。    
     ──ピカソ(1881-1973)スペインの画家『ゲルニカ

・人間は、自分が知っていると思っている以上のことを知っている。
  ──ヴァン・デル・ポスト(1906-1996)南アフリカ出身。のちイギリスに帰化。        『失われたカラハリの世界』

・心のなかにはいりこんできて、やがて一個のちいさな固いひんやりとした種子になってゆくような一個の物語を人は抱いて生きている。
        ──コンラッド・エイキン(1889-1973)アメリカの詩人
・バドミントンに必要な要素には、体力的な面と、技術的な面と、精神的な面と、戦略的・戦術的な面とがある。だから僕はまだ強くなれると思っている。・・・調子が悪いときに、急に調子を取り戻す方法なんてない。調子が悪くてもくじけない芯の強さのようなものが必要なんだ。大切なのは、その調子の悪い自分を受け容れられるかどうかだと思う。だから僕は、調子が悪いときも嫌いじゃない。
  ─ピーター・ゲード(デンマークのバドミントン元世界チャンピオン)─

・存在は義務だ。たとえそれが刹那であったとしても。
              ──ゲーテ(1749-1839)『ファウスト』前田利鎌訳


・少年らが、古い権威を鼻であしらうことだけを覚え、彼ら自身は権威となるところへは絶対出てこぬというあの悪い癖こそ頽廃なのだ。
                    ──中野重治『五勺の酒』──


・われわれが手に出来る最良のものはナッシングなのだということを私は残念に思わない。なぜなら、人生は生きるに価するものだということは、何によっても証明できない信念だからだ。
 どんなことよりも大切なのは一人の人生だ。一人の人生とは、自分の家にいて鼻などをいじりながら、日の沈んでゆくのを見ている、そういうものだろうね。     ──オルダス・ハックスリー(1894-1963)イギリスの作家『島』

   
・人生は、神様がくださった特別休暇だ。
    ──ターシャ・テューダ(1915-2008)アメリカの絵本作家。園芸家


・強そうな相手と立ち向かわなくてはならなくなった時は、「こいつだって赤ん坊の時はママのおっぱいにむしゃぶりついていたんだ。」と思え。
           ──『ウォーター・ランド』グレアム・スウィフト


・世界は美しい無だと思う。          ── 山口 薫()画家 

・よい絵は絶えずよい匂いを周囲に発散する。   ──長谷川?二郎()画家
  
・わたしたちが実際に見ているもの以上に、もっと抽象的でもっと非現実的なものは何もない、とわたしは信じています。
         ──ジョルジョ・モランディ(1890-1964)イタリアの画家

・全人類はひとつの夢しか見ていないのではないか。それが個々人のフィルターを通したとき、違う見え方をしているだけなのだ。 ──  ?  


・書くという行為にはさまざまな誤解がまとわりついている。あまりにも多くの人が、書くことには才能が必要だと思いこんでいる。しかし、それは全く違うと、ペロスはこれからも繰り返すだろう。書くことは「奇妙な隷属状態に反する」ことであり、問題は才能の有無とは別に、つねに螺旋を描いて、中心がぽっかりと空いていることころに身を置きつづける勇気があるかどうかなのだ。
              ──『ジョルジュ・ペロスの方へ』堀江敏幸


・人によって創造されたものはすべて、世界に向けられた、ある種の呼びかけだ。
        ──タチアナ・ソコロワ・デリューシナ()
         『源氏物語』を一人でロシア語に全訳して出版した


・君たちは恐れている。ずっと目指してきた、われわれの自由な社会を破壊するという目標がかなわないかもしれないということを。なぜ君たちが失敗するか。それは、こういうことだ。・・・
 君たちの卑怯な攻撃があった後でさえ、地方から、世界から、人びとはロンドンにやってくるだろう。・・・
 自由になるために、自分の選んだ人生を生きるために。自分自身になるために。・・・
 誰もロンドンを目指す人びとの流れを止めることはできない。ここでは自由が保証され、人びとが調和とそもに生きられる。君たちが何をしようと、どれほど人を殺そうと、君たちは敗北するだろう。
──2005年7月ロンドン同時多発テロ直後、ロンドン市長ケン・リビングストン


・地の死は水になることにあり、水の死は空気になることにあり、空気の死は火になることにあり、そしてまた、その逆も。                         ── ヘラクレートス ──


・私は一脚の椅子のデッサンだけで一生を過ごせることを知っている。
              ──ジャコメッティー(1901-1966)スイスの彫刻家

・人はおのれを遡ることによって成長する
       ──ベネディクト・アンダーソン()『想像の共同体』『言葉の力』


・人生は一瞬、自分自身をほかのすべての人たちの中に、溶かし込んだだけ。
                       ──ナボコフ──
・文学は遺産相続争いではなく、聖火リレーに似ている。
    ──ソートン・ワイルダー(1897-1975)アメリカの劇作家『わが町』


ことば補遺
白川静
・神話をもち、祭政的政治をしていた殷を倒した周は神話をもっていなかった。だから天命を持ち出す以外に王権の根拠を示すことができなかった。
・万葉の最終巻は、大伴家持の日記のようなものが大伴家に残されていた。(それをもとに作られている)。大伴家がなにかの疑獄事件で被疑者になって、家宅捜索されたとき時にそれが見つかった。
 もし、それがなかったら、「万葉集」は伝わらなかったかもしれない。そういう私的な性格のものであった。
・呪の思想 苗族→宗
・殷人が日本人と似ているように、南人も日本人と似ている。日本人を介して、殷と南がつながっていると想像することは楽しい。
・克己復礼=仁(仁とはその礼を己を投げ出してまで実践しつづけること←学び)=媒介者=徹すること=述べて作らず=原始から受け継いできた遺伝子が蠢きはじめる。

中沢新一
・農業も漁業も狩猟でも、その予測不能性こそが人間の労働を動機づけている。


内田樹
・ことばを共有し、物語を共作すること。それが人間の人間性の根本条件です。

ユング
ユダヤ的無もギリシャ的無もイスラム的無も仏教的無も老荘的無も、すべて自己顕現的志向性をもっている。(「ヨブへの答え」)
ニーチェも世界大戦も同様に、19世紀に対する一つの解答であったが、しかしそのいずれも前に向かういかなるプログラムも提出しなかった。
・19世紀にしても、それは単なるローカル的一過性の現象であり、人間の古くからの心に比較的に薄い砂の層を沈めたにすぎない。――文化的現象としてのフロイト――
メルロ=ポンティ
・世界は一箇の神話である。
板垣正夫
・美は君臨するのに存在する必要さえない唯一の存在である。
ホワイトヘッド
・「自然の法則」などは存在しない。ただ自然についての暫定的な習慣があるだけだ。
・もし何人かの詩人たちが現代に生きていたとしたら、彼らは詩人にはならず、科学者になっていただろう。たとえばシェリー。
石田波郷()
・叙情詩から、文学からの袂別の決意表明をすることが俳句にあっては何より必要だった。「俳句は文学である必要はない」
堀田善衛
・俳句は挨拶だ。→西行に直結した唯一の歌人吉井勇
・il y a cadavre entre eux.

原田光
・目的をもってはじめても、どこかで目的を通り過ぎ、往々にして変な所へさまよって出て、今の自分からどんどん遠ざかってゆくような旅。 

クリス
・それを誰かと分かち合うとき、幸福は実現される。

丸山豊
 日は沈むすでに冷えたる雉の胸(「月しろの道」)
富安風生
 藻の花やわが生き方をわが生きて
司馬遼太郎
 遺伝子は畏くもあるか父母未生の地にわれは立ちたり
榊美代子
 池の岸五位鷺一羽みじろがず飛び立つ先を考へてゐる
高木佳子
 ふきのたう、つくし、はこべら、春の菜の人ふれざればいよよさみどり
美智子
 里にいでて手袋買ひし子狐の童話のあはれ雪ふる夕べ
佐藤舞
 今日もまた父の形見のマフラーをきりりと巻いて校門くぐる
 スカートの丈気にしつつ家を出るこの日常も残りわずかか

西脇順三郎
 この水鳥の歴史も普通の現象の
 なめらかさに終わる
穂高等学校校訓
 否、ためらふことなかれ
 気高さを求むることを

江藤淳の言っていることは理屈だ。文章だから理屈を書くしかない。しかし、小林秀雄のすごいところは理屈を書かなかったことだ。「オレは批評家じゃなかった。詩人みたいなものだった。」という述懐には、てらいも韜晦もない。それが彼の表現だった。それを理屈として読もうとしたものは屁理屈だけが見え、小林秀雄を嫌うようになる。
じゃ、理屈じゃなかったら何なんだ?
それはこれからゆっくり考えよう。時間はたっぷりとある。

エリオット1888(明21)〜1965(昭40)
三好達治 1900(明33)〜1964(昭39)
オーデン 1907(明40)〜1973(昭48)
中原中也 1907(明40)〜1937(昭12)



語録
白川静井筒俊彦はそれぞれ独自の歩みの末に同じような地平を見た。白川は地下を掘りつづけ、井筒は天空をさまよい。白川は文学的に、井筒は哲学的に。
レヴィナスにおいても他者は自分の正面にいる。しかし、われわれにとっての究極の他者はつねに斜めうしろにいる。
 われわれにとっての究極の他者とは「見る」「見つめる」ものではなく、ただ気配を感じるものなのだ。

語録

・鉄は熱いうちに打て、鉄を打つときは鉄よりも強く打て。
・ものに触われ。ことに触われ。空気に触われ。
・卵を割らなければ、オムレツをつくることはできない。
・リリシズムとは、言いおおせようとして言いおおせないもどかしさの感覚の響き合いのことである。
・ヘレンケラー
 ことばは宝石以上に貴重なものだ。大抵の宝石は金の力で自分の所有物にすることができる。しかし、他者が発したことばを自分の所有物にすることはできない。わたしたちが所有できるのは自分が発したことばだけである。しかし、自分が発したことばはすでに「私」のものではなく公のものである。しかしさらに、わたしたちはホントは自分のことばしか理解できない。
 ものごとは大抵、四捨五入して考えるしかない。しかし、頭がいいつもりの人はこの四捨五入をする蛮勇がたりない。いっぽう文学は、その四捨五入によって切り捨てられた部分にきらめきを見出し、それをさらに輝かせる。君たちの学んだ平安女流文学はその典型例である。
語録

勝利者には優勝カップを抱きしめる権利がある。
 眞の敗者には自分の人生を抱きしめる権利がある。
 眞の敗者とはなにか?本気で最後まで闘いつづけた者のことである。
・鉄は熱いうちに打て、鉄を打つときは鉄よりも強く打て。
・ものに触われ。ことに触われ。空気に触われ。
・卵を割らなければ、オムレツをつくることはできない。
・リリシズムとは、言いおおせようとして言いおおせないもどかしさの感覚の響き合いのことである。
・ヘレンケラー
・ことばは宝石以上に貴重なものだ。大抵の宝石は金の力で自分の所有物にすることができる。しかし、他者が発したことばを自分の所有物にすることはできない。わたしたちが所有できるのは自分が発したことばだけである。しかし、自分が発したことばはすでに「私」のものではなく公のものである。しかしさらに、わたしたちはホントは自分のことばしか理解できない。
・ものごとは大抵、四捨五入して考えるしかない。しかし、頭がいいつもりの人はこの四捨五入をする蛮勇がたりない。いっぽう文学は、その四捨五入によって切り捨てられた部分にきらめきを見出し、それをさらに輝かせる。君たちの学んだ平安女流文学はその典型例である。

ブッダはただ「止まるな、歩みつづけなさい」と言ったのだ。歩みつづけることはわたしたちの義務だ。
・「人は自分が知っている以上のことを知っている」(ヴァン・デル・ポスト『カラハリの失われた砂漠』)それなのに、義務が増えることを嫌がって知らないフリをしている者は卑怯者(カワード)だ。
・私たちが社会的生物であり、歴史的存在である以上、私たちは時代に拉致されるしかない。その上で思う。
・この世界は、風と光と土の三元素からなっている。だから、私たちは生を終えたのち、その風と光と土にもどる。その風と光と土という三元素が融合したとき水がしたたりおちる。同じ三元素が昇華したときい火があらわれる。水と火は物質ではなく現象である。
・この文明はエレメントを物質化する望みから興った。
しかし、エレメントが物質化されるにはなお少なくとも数万年が必要だ。あるいは数千万年が。たとえそれが神というたったひとつのエレメントであったとしても。


白川静井筒俊彦はそれぞれ独自の歩みの末に同じような地平を見た。白川は地下を掘りつづけ、井筒は天空をさまよい。白川は文学的に、井筒は哲学的に。
レヴィナスにおいても他者は自分の正面にいる。しかし、われわれにとっての究極の他者はつねに斜めうしろにいる。
 われわれにとっての究極の他者とは「見る」「見つめる」ものではなく、ただ気配を感じるものなのだ。

・地べたに寝きる。
ユダヤ人にとっては、時間の正体、それが神だったのではないか。

抽象 解体 聴いた 危急

・おもしろい人やなあ 三浦義一日記
 尾崎四郎の三浦義一
吉田健一 時をたたせるために
ヴァージニア・ウルフ ある作家の日記 
黒竜江への旅
文藝春秋 美智子さま
・ヨーロッパのはじまり

ブッダはただ「止まるな、歩みつづけなさい」と言ったのだ。歩みつづけることはわたしたちの義務だ。
・「人は自分が知っている以上のことを知っている」(ヴァン・デル・ポスト『カラハリの失われた砂漠』)それなのに、義務が増えることを嫌がって知らないフリをしている者は卑怯者(カワード)だ。
・私たちが社会的生物であり、歴史的存在である以上、私たちは時代に拉致されるしかない。その上で思う。
・この世界は、風と光と土の三元素からなっている。だから、私たちは生を終えたのち、その風と光と土にもどる。その風と光と土という三元素が融合したとき水がしたたりおちる。同じ三元素が昇華したときい火があらわれる。水と火は物質ではなく現象である。
・この文明はエレメントを物質化する望みから興った。
しかし、エレメントが物質化されるにはなお少なくとも数万年が必要だ。あるいは数千万年が。たとえそれが神というたったひとつのエレメントであったとしても。


白川静井筒俊彦はそれぞれ独自の歩みの末に同じような地平を見た。白川は地下を掘りつづけ、井筒は天空をさまよい。白川は文学的に、井筒は哲学的に。
レヴィナスにおいても他者は自分の正面にいる。しかし、われわれにとっての究極の他者はつねに斜めうしろにいる。
 われわれにとっての究極の他者とは「見る」「見つめる」ものではなく、ただ気配を感じるものなのだ。

・地べたに寝きる。
ユダヤ人にとっては、時間の正体、それが神だったのではないか。

抽象 解体 聴いた 危急

・おもしろい人やなあ 三浦義一日記
 尾崎四郎の三浦義一
吉田健一 時をたたせるために
ヴァージニア・ウルフ ある作家の日記 
黒竜江への旅
文藝春秋 美智子さま
・ヨーロッパのはじまり

平松礼二 夕映えの秋 睡蓮序曲
 植木茂1913T2〜1984S59彫刻

bully 弱い者いじめ
coward 卑怯者
コラグラフ
ディアボロ鼓形独楽
院子ユワンズ

1962S37全米平均所得2366ドル

・デルスゥウザーラ 長谷川四郎
小山いと子 オイル・シェール
・アレクセーエフ ウスリー探検記
菊池寛 満鉄外史 話の屑籠
・北條秀一 十河信二と大陸
加藤新吉 宣言文 



映画
 大地と自由
 ナージャの村
 アレクセイの泉
ブルース・チャトウィン
 ブラックの釣り船のつながれた海岸風景 徹底した引き算の構図


 ユンガー 放射
      大理石の断崖の上で
      日記 つづく一節は、戦争文学のなかでも醜悪さを争う場面である。モ     ネの初期の画風で銃殺隊を描いたらこうなるだろうか。
     ラヴェンシュタイン司令官 いつか、私の娘がすべての償いをする日がく                 る。淫売宿で、黒人を相手に。
 ツェラン
 ヨナス回想記
 ライシャワー ザ・ジャパニーズ
 サンソム 日本文化史
 松本佐保 バチカン近現代史
 勝田主計 菊の根分け
 小林秀雄 本居宣長補記
 河盛幸蔵 静かなる朝
 バッカイ
 ランボー詩集 岩波 中原中也
 一青妙 ママ、ごはんまだ?
 オイエ ロシアのオリエンタリズム
五百旗頭真 日米戦争と戦後日本
白石一郎 銭の城 甲斐巳八郎
隠れキリシタンの聖画 小学館
クリストファー・ソーン 松岡洋右
トルクノフ 朝鮮戦争の謎と真実
マラパルテ 壊れたヨーロッパ
久保田万太郎 春泥・三の酉
大岡昇平 朝の歌
丸岡明 静かな影絵
古川けんイチロウ 老子こうたん
半村良 産霊村秘録
スペイン市民戦争 みすず
サラエボ・ノート みすず
希望の敷居をまたぎつつ Crossing the threshold of hope
シャガール旧約聖書
ゴーギャンの手紙
ゴーギャン手稿 タヒチ・ノート
ギネア 自画像の中の画家たち
ミロとの対話 美術公論社
フランシス・トムソン
落日頌 Ode to the setting sun
ゴーチェ 蜻蛉集
クローデル マリアへのお告げ
バーネット 白い人々
岡崎武志 昭和三十年の匂い
小池真理子 玉虫と十一の掌編小説
シュタルケル自伝 チェリスト
パウル・クレー 造形の宇宙
青木和夫 奈良の都
保坂和志 考える練習
Sセンセイのこと 尾崎俊介
坂口安吾小林秀雄 伝統と反逆
対談昭和史発掘
ロバート・バイロン オクシアーナへの道 駅
柴田基孝 水音楽 耳の生活
必読 小山いと子 オイル・シェール
長谷川四郎訳 デルスゥ・ウザーラ
北條秀一 十河信二と大陸
徳川無声 天鬼将軍 簿益三
加藤新吉 三奈木村長  

音楽
     ショパンの最後の曲 マズルカ
     高山まさ子 下館女子高等学校校歌 

映画
 大地と自由 ケン・ロー
 ナージャの村 アレクセイの泉

音楽
 ケヴィン・ヴォランズ弦楽四重奏ソングライン クロノスカルテットone9
 普門義則 城山 屋島



ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳』
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 ジョナサン・ハスラム『誠実という悪徳』を読んだ。いい本だった。ひとりの人間がなしえたことと、なしえなかったこと。その間に彼が考えたことと、したこと。そして、その間に彼が感じたことと、感じなかったことが、ほぼ時間の順序にそって要領よく語られていく。訳語もいい。それはたぶん、訳者の手柄というよりは、原著者ジョナサン・ハスラム(E・H・カーの晩年のアシスタント)の英語がいいのだろうと思う。
 題名は、徹底的なリアリストとしてのカーと、ロマンティストとしてのカーは二重人格だったのではなく、むしろ、カーはそのごく自然な人間性を失うことがなかったことを意味している。そのロマンとは、ひとことで言えば、「人間の歴史は進歩していく」という展望だったらしい。そうでなければ歴史学は成り立たない。しかし、その展望がが現実の前に潰えたとき、かれの人生もまた終焉を迎えた。その残酷さを、じつに丁寧に(個人生活の部分も含めて)、しかも簡潔に描いている。
 その筆致は、読者にかれの仕事部屋にいるかのような臨場感をもたらす。とくに最晩年の、親友だったドイッチャーの妻との協働は、そこだけでも映画にできるのではないかと感じた。いや、イギリスのことだから、そんなに遅くない時期に映画化されるのではないだろうか。
 カーはリアリストでありつづけるために自分から敗北を選んだ観がある。だが、カーの言おうとしたこと、伝えようとしたことは、いまも傾聴するに値する。ではあるが、彼自身の著作は、『歴史とは何か』(岩波新書)だけにしておこう。そこから先は、こっちの能力を超えている。

 本当ならしばらく手許に残しておいて、も一度拾い読みをしながら反芻したかったが、図書館から借りたのもだから返すしかない。
そのかわり下に、その一部分だけ抜き出す。
ただし、それらは彼の仕事の主要部分ではない。

『誠実という悪徳』 E・H・カー
 「歴史学とは何についての学問か、この答えを発見する最も良い方法は、実際に歴史を書いてみることだと私が考えるとしたら、それはたぶん、生まれながらの私のイギリス的な経験主義のせいでしょう。あなたもそうあって欲しいと思います。そして、あなたが書こうとするものが、観念や思想の歴史であるとしたら、ぜひ、その社会的・歴史的基礎をしっかりと把握してください。我々歴史家は大いにあなたの役に立てると確信しています。だからぜひ、あなたの仕事を歴史以外の他の分野内に限定したり・・・しないようにお願いします。私はあなたのものを読みつづけるのですから──たとえあなたが歴史を書こうとしないとしても。」
──クェンティン・スキナーへ

 「心理学者は、客観的科学としての心理学を破壊してきた。──歴史家はその(※客観的科学としての歴史学の)破壊の途上にいる。」
(※かれが歯をむいたのは、「事実をして語らしめる」という態度の持つ詐欺性に対してだった。)

「1914年にあるひとつの文明が滅びた。・・・そして、第一次大戦が残した廃墟さえも破壊し尽くしたのが、第二次大戦だった。」(※カーのことば)
 彼は、残された人生の時間を、まさにこの代替物を探し求めるのに費やしたのだ。そして1980年の終わりまでに、何ら実証できないユートピアを探し求めてもまったく無駄であるという事実と自分自身との折り合いをつけなければならなかったのである。                    ──著者ジョナサン・ハスラム──




高木恭造『まるめろ』

生活(くらし)
──結婚(しゅうげ)の晩(ばげ)

あれぁ風(かじぇ)ぁ吹いで
ドロの樹(ぎ)ぁじゃわめでるんだネ
泣ぐな
泣ぐな
花嫁ぁ泣ぐ奴(やづ)ぁあるガ
銭(じこん)コねはんで泣ぐのガ
なんだて こした貧乏(びんぼ)くせい結婚(しゅうげ)サねばまいねのガ

 (みんな飯事(おふるめこ)だど思れ)

痩へだ体コくつけでも
なんも温(ぬ)ぐくねジャ
ああ 俺達(おらだづ)二人ぁ
日(し)あだりぬすむ蠅コど同(おんな)しだ
明日がらお前(め)も紫(むらさぎ)の袴(はがま)コはいで黒いまんとコかぶて役所サ行(え)ぐのガ
貧乏(びんぼ)臭(くせ)い婿(むご)と花嫁だ
泣ぐな
泣ぐな
なんも恐(おがな)くね
あれぁ風(かじぇ)ぁ吹いで
ドロの樹(ぎ)ぁじゃわめでるんだネ

        ※じゃわめで=ざわめいて 

今山物語2

 徳富蘇峰「近世日本国民史」西南の役篇が終わった。
 わずか七冊の文庫本を(途中であれこれ寄り道はしたものの)三ヶ月ほどかけて読んだことになる。もちろん著者は昭和19年から7年以上かけて執筆した(途中、占領軍の検閲によって公に出来なかった期間がある)のだから「三ヶ月ぐらい何だ!?」
 でも、とにかく重たかった。
 その多くは著者の力量によるものだとは思うものの、明治10年がそれだけ重かったのだ。その一方で、東京で暮らす多くの人々が、そのごく初期から薩軍の敗退を予想していたことも驚きだった。それは東京に残った多くの元薩摩武士たちにとってもそうだった。西郷従道大山巌も川村純義も黒田清隆も、自分たちが負けることなど念頭になかった。鹿児島から見た日本と、東京から見た日本は、もうまったく別の政体だった。

 西郷隆盛は何を考えていたのか?
 知りたかったことは、極端に言うとその一点にあった。
 彼は、江戸城の開城後、戊辰戦争終結後、の二度帰郷し、その都度また呼び出されている。その二度目の時つぎのような詩を書く。それは彼にとって会心の作だったらしい。
 犠牛繋杙待晨烹・・・・生け贄の牛が杙(くい)に繫がれ、明朝調理されるのを待っている。
 犠牛はもちろん鹿児島(かごんま)から引きずり出される自分自身の暗喩。
 (この人はどこか根本的におかしい。自画像を自分でどんどん肥大化させていく。)
 島津斉彬は「吉之助という大器を使いこなせるのは自分しかいない。」と言っていたという。じっさいにその通りだったのかも知れないし、そのことは本人にも分かっていた。久光は、自分を手駒のように動かそうとした隆盛をはげしく憎んでいた。動こうとする時の隆盛のとっては、天皇もまた大きな手駒だったに過ぎまい。

 維新政府の中枢に居た隆盛は、そこに群がる人々の権力欲と金銭欲を見て、彼らを蛇蝎のように嫌った。そんな場所に居ると身の毛もよだつからまた帰郷した。そして早晩、新政府は権力闘争と汚職の蔓延で手がつけられなくなり自壊すると見た。「その時、大久保利通は責任をとって腹を切る」その程度には彼を信じていた。
 かれの興した私学校は、日本から中心が消えかけたそのときのための人材養成所であり、その人材の中心は西郷にとっては、公のためには自分の命を鴻毛のようにしか思わない軍人だった。(新政府の中心はすでに軍人から文官に代わりかけていたのだが、それも西郷からすると国に命を預けようとしない小人たちが国を仕切ろうとしているとしか見えなかったろう。彼は明治7年の時点で民選議会を支持する一方、文民国家というものを考えることはなかった。)
 政府はいずれ自壊する。
 そのとき世論は西郷隆盛を思い出す。輿望に応えて自分で育てた次世代の人材を伴って上京するところまでが自分の役割。あとは彼らが日本を切り盛りする。
 もし、政府が自壊しなかったら?
 離京に際して隆盛が弟の従道に「お前は大久保を助けろ」と訓戒したという話も信じる。
 もし自分の出番が必要なくなったら?
 もし、そうならなければ、それはそれで結構なことだ。
 そのときは田夫として思うがままに人生を愉しめばいい。が、西郷先生が田夫になりきったとき、私学校の生徒たちはどうやって生きるのか?──かれの考えはそこにまで至らなかった。
 いや、なにも資料が残されていないらしいが、その時は若者たちを屯田兵として満州に行かせる、ことを目論んでいた可能性は十分にあるという気がした。かれは、「小さなこと」は虫酸が走るほど嫌いだったのです。
 若者たちは、いつか自分たちが国全体の中枢になるものと信じ切っている。国軍の一部に編入される可能性など頭の端にもない。(それに中央政府側にとって、もう私学校関係者を国軍に招くことなど想定外になってしまっていた。)
 そして、現実には、農民上がりのにわか作りの国兵たちが、抜刀した自分たちに向かって銃創突撃を敢行してくるという悪夢を見ることになる。

 薩軍が決起して以後の、あまりにものの動きの鈍さは、西郷以下の幹部たちが想定していた「凱旋するような中央への行軍」のイメージを捨てる気がまったくなかったから起こったことだ。
 かれらは全国各地の不平士族が自分たちに呼応して蜂起すると信じきっていた。そのような「機を見るに敏」な計算高い人間を軽蔑しきっていたはずなのに、西郷自身が、自分が動き出すのを人々が待望していると思い込んでいた。だから国軍は八方に手を尽くさねばならず薩軍への対応まで及びもつかなくなる。
 自分が新国家にとっては最早もてあまし者でしかなくなっているのかもしれない、という現実を直視する発想はあり得なかった。

 戊辰戦争があまりにも呆気なく終結したこともあって、薩軍に限らず、多くの人々が、急速に変化する現実を現実感をもって見る能力を失っていた気がする。

 参軍山縣有朋田原坂の戦い終結後、恩人である西郷に「もうこれ以上お互いの有能な人材を消耗するのはやめよう」という切々とした手紙を届けようとしたが果たせず、やっと届いたのは城山総攻撃の前日だったと蘇峰は書く。「それに対する西郷の反応はどこにも資料が残っていない」
 しかし、たぶん、西郷はもう「オレの体をお前たちに預ける」と言って以来、他人のことよりも自分のことだけで精一杯になっていた。かれの「人を相手にせず、天を相手にする」とは、そういうことだ。

 西郷隆盛を希代の英雄豪傑視する向きもある。(本人は当然のようにそう思っていた)
 たしかに一人の男と生死を共にしようと数万の男たちが集まった例は日本史上にはない。ただそのことは、新社会で自分の姿を変えて生きぬくことへの彼らの抜きがたい抵抗感の表明であり、「武士として終始したい」という意思表明でもあった。現実には参集した数万の内の過半は戦いの趨勢が見えるに前後して姿を消し、薩軍は兵士の補充に汲々とせねばならなくなった。
 それに新時代は前代までと違い、情報量が極端に増えた。そういう意味では、西郷隆盛は庶民までがそ時点で名を知っている日本初の全国区の有名人だった。

 もし、彼が政治家として辣腕をふるうとしたら、彼に代わって手を汚す多くの部下が必要だった。それも、ことが事件化しそうになったら腹を切って決して上に累を及ぼさない忠義の部下たちがゴロゴロいなければならなかった。もちろん西郷はその遺族たちへ手厚い保護を与えるのにやぶさかでないのを疑う者はいなかっただろうが、それはもう新時代では無理な話だった。
 大久保利通には、そういうことが見えていたのではないか? ぜんぶ見えていた上で「汚れ役」を引き受けたのではないか? かれは最後まで、いわば自分は二人三脚の片方だと信じていたのではないか?
 その横死のときに読んでいたという西郷からの書簡は遺されていないのだろうか?
 
 「大山巌」はこれから読んでいく。
 西郷従道はどんなことを考えていたのだろう?
 
 政府側の西南の役出費の3分の1は人夫代だった。
 田原坂周辺にはおびただしい数の出店が立ち並び、酒食の提供だけでなく、多くの女たちが働き、土産物屋まであったという。
 「生を偸(ぬす)む」という言葉がある。出典は知らない。
 いま、われわれは温々と生を偸んでいる。
 そのことの貴重さが何にもまして重い。
                                                        11月6日

附記
 当時の薩摩人には、人を人とも思わぬところがあった。木戸孝允は、その薩摩人の視線を我慢がならないものに感じたのだろう。
 しかし、その視線は薩摩人自身へも向けられていたことに木戸は気づいていたのかどうか。(たぶん、気づいたうえで、やはり許しがたいものだったのだ。西郷たちの考えには人の営々とした営みへの敬意がまったく見られない。)
 彼らにとって自分の命は、大義の前では「鴻毛よりも軽」かった。そう思っていない人間、もしくは「大義」を持たない人間は彼らの感じる「人間」のうちには入らなかったように思われる。薩摩人はそういう西郷の視線を何よりも恐れた。そして、自分の命を丸っきり軽いものとして振る舞うことを自分に強い、それが常態化した。
 その傾向は、西郷の死後も日本軍を縛り付け、軍自体の堕落に繫がっていった。
 また、新たな補助線です。

とび

ドシンという大きな音がしたので階下に降りた。
ガラス戸の向こうに鳶らしき小さな物体を見つけた。
戸を開けようとすると、
「行ったらいかん!母親が近くにおる。」
失神しているだけかもしれないと見守っていたが、いつまでたっても動かないので、玄関から回って裏庭に行ってみた。
バサッという音に驚いて見回すと、思いがけぬほど大きな翼が去って行くのが目に入った。
(ああ、いま彼女は、自分に子があったことを百%忘れた)