工藤正廣
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
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自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――
GESCHICHTE(ゲシフテ)
去年ウナムーノをかじったとき最初に自分で作った西文は「La(ラ) vida(ヴィーダ) es(エ) la(ラ) literatura(リタラトゥーラ)」だった。
「人生は文学だ。」
そのときむりやりに読んでいるものにピッタリだと思った。かじっただけだけど、スペイン文学は自然を語らない。ただただニンゲンを語る。そして、「矛盾したことを言ったことのない人は、まともに考えたことのない人だ」――先月名古屋から帰ってきた卒業生にその言葉を紹介すると緊張が解けた。「いままで口をきいた人の中でいちばん〝凄い〟と感じたのは豊田章一郎さんです。あの人はフツウなんです。」――のウナムーノの「Aquella(アケラ) noche(ノーチェ) naci(ナシ) infierrno(インフィエルノ) de(デ) mi(ミ) vida(ヴィーダ) 」が辞書抜きで自然に入ってきたところで(もう良かろう。限界だ。)。「その夜、わたしの人生に地獄が生まれた。――富田先生は、それを『その夜、わたしは、わたしの地獄のなかで生まれ直した。』と意訳した。そのほうがウナムーノの言おうとしたことに近いかもしれない。――
「われわれ人間は歴史の中で生きている」――(最初の独文はこれにしよう。)
ドイツ語を始めて一ヶ月ちょっと。風情のなかで生き続けてきたわれわれからのドイツ人観。
「われわれ人間」はたぶん「Wir(ヴィア) menschen(メンシェン)」。
――歴史は?――「Geschichte(ゲシフテ)」。
Geは名詞や完了形を作るときの接頭語。ではschichtは?「層・膜≒積み重なっているもの」。(英語のshift?)最後のeはたぶん複数形。
――そうか。われわれ(風情のなかで生き続けたきた人々)は縦文字文化だから、「歴史」というとすぐ左から右へ横に平行的に推移していく年表のようなものをイメージする。(バカタレのわたくしだけ?)。でも彼らにとっての「歴史」は縦に積み重なった複雑な層のような構造なんだ。彼らは、掘り起こしていくか、断層を見つけるかしないとGeschichte(ゲシフテ)に触ることは出来ない。
彼らの足下に幾層にも幾層にも堆積していて、その上に土足でしか立つべき場所はなく、逃れようのないもの≒Geschichte(ゲシフテ)。・・・Dasien(ダーザイン)に少し近づいたぞ。
――7/11――
上を書いたあと、工藤正廣『秋田雨雀紀行』を開いた。
傑作とか名著とかいう言葉では言い表せない「ナマ」そのものを感じる。生々しさを感じる日本語の文章なんていったいいつ以来か。少し読むと頭が勝手に動き出すから、160頁ほどの小冊子なのに今日もまた(続きはまた次回)。
秋田雨雀の作品は文学全集にひとつふたつ収録されているだけで、単行本はまったく見つからない。本を閉じて、津軽書房に問い合わせの手紙を書き、これから投函しに行く。
その小冊子のなかで、青森の採掘場から駆け落ちをしようとしている貞吉とおそのについて、工藤正廣は、「(秋田雨雀にとって)この地方には、たくさんの<貞吉>が犇めき挫折しているのは先刻承知のことであった。<おその>もまたまた此処では彼女一人ではなく、数多くの似た実存があったのだ。」と書く。
――「実存」は「 Dasein(ダーザイン) 」の言い換え? いや、ハイデガーは(轟孝夫によると)、実存と現存在を使い分けている。――
気になってしまったから自転車で津軽書房あての返信用封筒付きの依頼文書を投函してきたあとwikipedia
サーフィン。
「実存」にあたるEXISTENCEはどうやらもともとは「EX-STENCE」。(STENCEはいまの英語のSTANCE
やSTANDのもとの言葉なので、EXISTENCEをむりやり訳すなら「はみ出した存在」。(どこから? 草葉の陰≒GEMEINSCHAFT(ゲマインシヤフト)から、)それを「いや現実的存在なんだ」と言ったのがキルケゴール。日本ではそれを二字熟語にした「実存」が汎用されるようになった。
一方ハイデガーは、インフレを起こしたEXISTENZでは伝わらないことを、以前から使われていた普通語(かもしれない)の「DA-SEIN」(DAは「そこ≒there」。SEINは名詞でもあり、be動詞の原形でもある。)によって「現実内存在」という意味合いを伝えようとした――んじゃないか。――
いわゆる「実存主義者」たちは,明らかに、そのハイデガーの「現存在」を自分たちのEXISTENCEに籠めつつ、ハイデガーを無視した。
EXISTENCEを最初に実存と訳したのは九鬼周造らしい。では、DASEINを「現存在」と訳したのは誰なんだろう?
やっぱり Dasein(ダーザイン)は「われわれ」と言い換えるほうが日本語としては自然な気がする。
今日はもう『「秋田雨雀」紀行』に戻ります。
――7/13――
『秋田雨雀紀行』読了。
工藤正廣はこれを、中央に背を向け、「同胞」たちのほうを向いて書いている。
工藤には『なつかしい終わりと始まり』という方言詩集もある。
まいね
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべらえれば
そしたごとしてぐなるもんだキャ
まいねよー そしたごとせばァ!
そうしゃべてける人さ そうしゃべて貰えてして
そした声と聞きてばしネ
そしたことせば――
自分ずものの淵も深(ふけ)ぐなるんだネ
高木恭造の『まるめろ』は中央を意識していた気がする。
冬の月
嬶(カガ)ごと殴(ブタラ)いで戸外(オモデ)サ出ハれば
まんどろだ(,,,,,)お月様だ
吹雪(フ)イだ後(アド)の吹溜(ヤブ)こいで
何処(ド)サ行ぐどもなぐ俺(ワ)ア出ハて来たンだ
――ドしたてあたらネ憎(ニグ)ぐなるのだべナ
憎(ニグ)がるのア愛(メゴ)がるより本気ネなるもンだネ
そして今まだ愛(メゴ)いど思ふのア ドしたごとだバ
ああ みんな吹雪(フギ)と同(オンナ)しせエ 過ぎでしまれば
まんどろだお月様だネ
工藤正廣『みちのくの西行』(図書館にはまだない)を2800円出して読むかどうか迷っているうちに、同じ題名の本が二冊あるのに気づいた。もう一冊のほうを書いたのは先週『邪馬台国と秦王国』を読んだ後藤利雄。・・・オレはいま何かに近づきつつある。
――7/14――