白き瓶

明治三十七年 伊藤左千夫
 「小生は常に新聞などで、児を捨てて召集に応じた、妻を離別して奮起したなどといふ、報道を見る度に、甚だ不快に感ずるので、そんなことは皆虚説であると思ひ居り候、真に死を覚悟しての首途に,親と別れ妻子と別れこれを最後の見別れと感念した時に、悲しくないと云ふは虚言に候、実際悲しまない人があつたならば、それは自分勝手な功名だから、人間の至情を滅した挙動と存じ候、親を思はず妻子を愛せず、それで愛国心に富むとは大虚言の皮に候。<中略>乍併(しかしながら)、君国の大義を荷なひ軍に征役に従ふものが死を覚悟して出る位、忠義な感念は無之候、已に死を覚悟す而して親と別れ妻子と別る、世の中に是程悲しいことは無之候、悲むが当然に候、悲しんで悲みつくし泣いて泣きつくすが当然に候」
                            ――『馬酔木』第十号「消息」――


 昨夜はものすごい豪雨。
 でも、これで梅雨も明けるんじゃないかな。――希望的予測ですが――何かが変わってほしい。
 藤沢周平『白き瓶――小説長塚節』を読みはじめて驚いています。これまで読んできたものと文体がまるで違う。(藤沢周平の指は節々がこんなに出っ張っていたのか)と感じる骨太の文体なのです。
 『白き瓶』は国語部会の旅行中に部会長だった男から勧められたのですが,その時は(いい小説かもしれないけど、オレは読まない。)

 高校三年の時の現国教員(のちに鹿児島大副学長)は生徒を挑発するのが上手な人でした。
――こんな盆地でお山の大将だとイバって何になる。佐賀平野に行ってみろ、地平線が見えるぞ。
――少々の本を読んでいい気になるな。東京の生意気な高校生はもうサルトルを読んでるぞ。
その方があるとき、
――長塚節の『土』を最後まで読み通せるヤツがこの中にいるかな?
(ははぁーん。コイツは読み終えるのに難渋したんだな。――だったらオレが読んでやる。)
 一気読みでした。
 数日かかったのだと思いますが、息を殺して読み続け、読み終えたときの感動の大きさは、その先生のことなどどこかに吹っ飛んでいました。わたしの「文学」――いや「人生」かな?――の起点であるあの数日間
は、その後まったくぶれていません。その起点である時間を忘れたくなかったのです。

 去年だったか、たまたま百道の図書館に行ったとき「久保より江」句集のポスターを見て、借りてきて、そのより江(好ましい俳句です。)の夫久保猪之吉が長塚節を看取った医者だと知りました。――当時の九大病院は奈多にありました。中勘助は九大医学部教授に嫁ぎ病床に伏した妹の介護のために今の東区名島に行き、妹の布団の横に机を置いて『銀の匙』を書き継いだと何かで読んだことがありますから、当時も九大病院はそこにあったのだと思います。――

 小説は思いがけぬほど「歌」そのものに迫っています。
 「地声で歌え!」
――地声の歌の方向はわかっていた。写生である。子規がそう教えたのだ。・・・が・・・自分の言葉は、依然として見えて来なかった。
 しかし、実をいえば節はそのとき新しい言葉をつかみかけていたのである。(明治三十七年)十二月の「馬酔木」に節は「雑詠十六首」を提出した。その中につぎの一首がある。
   秋の田のわせ刈るあとの稲茎にわびしく残るおもだかの花
 それは節が目ざす写生の歌の萌芽だったのだが、節は気づいていなかった。 
(今日はここまで)2020/07/24