敗戦後デモクラシィの申し子世代について

 例によって思い出話からはじめる。
 田舎から東京の大学にいってしばらく経ったころ、「教授たちとダンコウをやるから行ってみよう」と誘われたことがある。
 講堂みたいなところに入ると、壇上にずらりと先生らしき大人たちが並ばされていた。中央ではマイクを握っている男の子が、日本帝国主義がどうのこうのと、演説をぶっていた。それが一段落すると、だれか何か言え、とマイクを大人たちに向ける。大人たちは互いに顔を見合わせてばかりいる。そのうち、一人の大人が立ち上がったので拍手がおきた。彼は、現在の日本は、資本主義と社会主義との混淆経済でして、・・・と至極まっとうなことを言い始めた。すると、くだんの男の子は、その大人からマイクを奪い取って言った。「ぼくたちは、そんことを聞きたいんじゃない!」
 そこから先は覚えていないから、たぶん、さっさと会場を出たのだと思う。
 ・・・・こんな場所で、まっとうに話のできる人間に会えるのかな・・・。高校時代はけっこう正面から考えをぶつけ合う相手がいただけに、なんとも場違いな所に迷いこんだ気持ちになった。
 (さいわいその後、何人も口喧嘩ができる相手に恵まれたのは、ただただ幸運だったとしか言いようがない。)
 それから社会人になって、日々の暮らしに追われているうちに気づいてみると、どうやら、あのときの男の子たちが、もう社会の中核に座っているらしい。
 だれでも自分の見たいものしか見えない。聞きたいことしか聞こえない。見たいようにしか見えない。聞きたいようにしか聞こえない。われわれはそのように創られている。いや、造物主がわれわれをそのように造ってくださった。だから大抵のものはこんな喧噪にみちた社会でもなんとか耐えていられる。
 しかし、見たいものだけを見、聞きたいことだけを聞いて生きられるのは、ある同質的なものだけに包まれたミクロコスモスにおいてだけだ。(その話はまた別の機会に)
 近代にはいって、新しい社会の人間は見にくいものや聞きにくいことに耐えられなくては保たないと気づき、為政者は国民に普通教育を課した。
 たぶん、「大正デモクラシイ」というのは、その揺り返し現象だったのだと思う。彼らは見たくないものを無視し、聞きたくないことに耳をふさいで、自由を謳歌した。われわれが育った「敗戦後民主主義」とは、近代日本にとっては第2次デモクラシイとも言えるものだった。
 「安保破棄」を叫んでいた人々のうち何パーセントが日米軍事同盟条約を読んでいたのだろう。「安保継続」に賛成していた者のうち何パーセントが日本がいまだに米軍から軍事占領されたままだという現実を直視していたのだろう。

 昨年秋、政権が変わっていくらも経たないとき、官房長官が報道記者の前で、「日本の相対的貧困率民主党独自の計算では××、×パーセントになった」と発表した。あまりにも唐突で、しかもそれっきりの話だったので、何が言いたいのか分からず、インターネットで調べてみた。どこかの官庁が発表している統計によると、日本の相対的貧困率はバブルがはじけて以来むしろ減り続けているのだった。たぶんあの官房長官にとってはそのことが「不都合な事実」だったのだ。だから「事実」のほうを独自の計算によって変えてしまった。それも昨年度のぶんだけ「貧困層は減っていない」数字になったことで満足してその成果を発表した。
 その同じ人物が数日前の選挙が終わったあと、「選挙の結果を斟酌してやらなけれならない理由はない」と、これまた報道陣のまえで発言した。彼は「斟酌」は正確によめた。しかし、自分がどんな恐ろしいことを口にしたのかについては全く気づいていない。あのような発言を公の場でしたのはたぶん日本陸軍以来ではなかろうか。いや、たぶん彼は報道陣を前にした場所が「公」だという意識さえなかったのかもしれない。

 前の大臣があわてて辞任したあと就任した人物が「円は対ドル95円くらいが適当じゃないかと思う」と、最初の会見で述べたのでギョッとなった。円相場は実需だけで変動しているわけではない。むしろ、それ以外の投機的目的での売り買いがこれまでにも通貨危機を演出した。もし、95円をターゲットにして円が売り浴びせられれば貿易に支障がでる。が、たぶん彼はただ「自分にもマクロ経済はわかっているんだから軽く見なさんな」と言いたかったのだ。その証拠に国際市場は日本の責任者の発言にほとんど反応しなかった。「真に受けたら大損する」と正確に判断したのだ。第一、リーマンショックの直後「日本は外需にばかり頼っているからこんなことになるんだ」と彼は発言した。「輸出産業のことも考えているんだから心配しなくていい」そう言いたかったのかもしれない。
 だったら、そう率直に言えばいい。その率直さがあの人たちにはない。普段ないからたまに率直であろうとすると恐ろしい言葉になってしまう。あれでは、閣議に出席してもまともな議論は行われていまい。議論以前に率直な発言自体があっていまい。閣議で発言しないから、その分を個々が報道陣の前で口にする。閣議の構成者たちは面とむかった時でなく、報道を通して構成者がどんな意見を持っているのかを判断する。いまの日本は電報ゲームで運営されている。
 小沢氏が「闘う」と言ったので「どうぞ闘ってください」と言ったことで批判された総理大臣は戸惑ったと思う。なぜなら彼は小沢氏に向かって「どうぞ、ご勝手に。自分のことは自分で始末してください」と突き放したつもりだったのだから。「いい気味だ」と思っているの率直にそう言えない分だけ言い方がねじれてしまう。

 お互いに相手の目を見て話そう。その訓練を受けないままに大人になった世代、それが敗戦後デモクラシイの世代なのだ、と結論づけたところで何が変わるわけでもない。しかし、その世代には「今」しか見えていない。それもほんの今しか。ここしか見えていない。それも本当にそこだけしか。「今」を切り抜けようとすると「昨日」も「明日」も見えず、「ここ」にいるときは「あそこ」のことは頭から消えている。その「あそこ」に行ったときは、もとの「あそこ」は消えている。部分だけがあって全体がない。部分を解決する技術しか教わらないで大人になってしまったし、自分でそれを補おうという意思も持ち合わせていなかった。なぜなら、その必要を感じたことがなかったから。
 教育は恐ろしい。が、その重大な欠陥はいまもなお放置されているとは思わないか?                                 2 010/01/28WF