オバマよ、まだ広島には来るな

オバマよ、広島には来るな
 オバマの就任演説に感動したという人が、ノーベル平和賞受賞記念演説には失望したという。たぶん、その人は、どちらも全文を読まずに、あるいは全体の演説を聞かずに、感動したり失望したりしている。
 報道自体がそうなのだ。要約や一部分の放映だけで、あとはその批評に紙面を割き、コメントやおしゃべりに時間を使う。日本の新聞社や放送局は、報道機関であるより評論機関になりたがっているらしい。「一億総評論家化時代」の到来が言われたのは21時34分から40年以上前だったと記憶しているが、今やその傾向はマスコミから政治家にまで広がって日本からは「当事者」がいなくなってしまったかのようだ――てなことを言っているW自身も似たようなものだから世話はないんだが。
 なぜ全体を報道せずに要約ですませるのだろう。しかも、その要約たるや、演説者の発言はぶれていないのに、かたや感動させ、かたや失望させる。それでなんの責任を果たしたことになるのだろう。政治家もマスコミも決して自分の能力を過信しないこと、それが民主主義の大前提だと思う。
 仕方がないから人は、なにか知りたいことがあるとインターネットでその全文を手に入れる。新聞社は勝手に自滅しはじめている。もともと自分たちの総理大臣が国連で世界にむけて発言しても要約ですませてきた国だから、まともな人は自分の国の新聞なんか最初からアテにしてはいないのかも知れないけれど。
 Wは就任演説よりも受賞記念演説のほうに感動してしまった。現実と正面から向き合おうとする姿勢は、もう日本だけでなく、世界中でもあまり見られない姿に感じたから。
 が、国外での軍事行動にしろ、医療保険問題にしろ、金融機関への制限にしろ、国内に抱えている課題は大きすぎる。そのうえ広島に来たら、もう大統領職はつとまらないかも知れない。たぶん、あなたにはまだWほどにもアメリカ人が分かっていないのではないか。
 広島にくるのは3年後か7年後、大統領の任期をまっとうしてからでいい。そしてその時も、余計なことは口にせずに、ただ広島の人々に、勇気をだしてオリンピック開催地に立候補するよう促してほしい。世界中が支援するから、と。自分もその先頭にたつから、と。みんなで同じ夢をみよう、と。