美浜日記2020/07/04

 こちらに「なし」という言葉がある。
 東京弁でいうなら「なぜ」。
 ただし、「なぜ」とちがってじつに頻繁に使われた。
 大人の言うことに「?」を感じた子どもは即座に(相手が親でも先生でも)「なし?」語尾は上がらない。だから小学校の先生はつねに「なし」攻めに遇う。
――なし?
――なし?
――なし?
 もちろんアラキさんちのミットちゃんはいいとこの坊ちゃんなので、「どうしてなんですか?」と標準語で訊き返していたけれど、先生は逆にチビから見下ろされているような不快感を覚えていただろうなと思うようになったのは大人になってから。「なし」にはそんな、どこか相手をとがめるようなニュアンスもあった。――でも、この「疑問を感じたら即ぐにそれを表明する」文化は相当に強烈だった。多分それが炭鉱町独特の文化のひとつ。「納得できないことはしない。」
 ついでに言うと、「なし」は語尾につきう場合もある。「○○でなし。」は「○○ですよね」という念を押す言い方。「そうでなし。」は「そうですよね。」東北に「○○でない。」という同じ用法があるのを知ったときは懐かしかった。
 若いころ大分を歩いていて、『なしか』という麦焼酎の看板を見つけて嬉しくなった。(ここにも「疑問を感じたら即座にそれを表明する」文化がある。)その文化から「下町のナポレオン」いいちこが生まれたんだと思っているし、大林宣彦が作っていたんだろうと勝手に思っている「二階堂酒造」のCMにも同じ文化の匂いを感じていた。
――懐かしい?
 そんな文化のなかで育ったせいだと思うが、高校に入って、「知性とは疑うことだ」と言わんばかりの言説(疑いさえすれば相手より優位に立てる)には「アホか」。ましてや「すべてのことを疑え」と言ったとか言わなかったとかいう哲学者には「だったら、そう言う自分をまずは疑ってみろ」

 母親もすぐに「なし」を息子に向かって発していた。
 「うーん。それはねぇ。」
 生徒に説明するときのように、ゆっくりと話すと「・・・・・。」あるときはそのあとに「あんた、自分が政治家になろうちゃ思わんとね?」
(ああ、母親はそれなりに息子を評価しているんだな)と感じるのは、母親にとって幸せなことだろうと思われた。「あたし、あんたごたる先生から習いたかった。」

 8月15日には毎年記念放送がある。
 晩年の父親はただただボロボロ涙を流しつづけていた。「いかん? 戦争はいかん?」
 母親は毎年のように「みちと、なし、日本は戦争をしたとね?」物覚えのいい人だったから前の説明とはちがう言葉で(でも、たぶん同じ事を)話していたが、その年は説明が終わってもまた「なし?」それに答えてもまた「なし?」、そして、とうとう、こちらが答える前に全身の力を振り絞って「なし?」を発してそのまま前に崩れ落ちた。
――お前、小説家になれ。
 という声が聞こえてきそうだが、(こんなこと、もったいなくて、小説なんかに出来るか?)
 その後の彼女は身も心も軽くなり、入居したグループホームの部屋に父親の写真を飾ると「それ、誰ね?」本気で訊いていた。
――先生、それ、なしですか?
――うーん。なしかなあ。
(あ、この先生はオレの感じた疑問を正当な疑問として受けとめてくれた。)
――ちっぽけなヒロイズムなんか捨てろ。
(ああでもなし、こうでもなし。なしですかなあ?)

 今年はじめての墓参りをすませた帰り道のホームで、小学生と思われる女の子に声をかけられた。
――あなたはどこに行きますか?
――ん? ○○。
――わたしは○○に行きたいです。
 子どもから「あなた」と呼びかけられたのは、たぶん初めて。
――○○ならね、反対側のホームで待っていなさい。
――はい、ありがとうございます。
(この子はアジアじんではあっても日本人じゃないのかもしれないな。)と思っていると、取り出したキャンディかチューインガムの銀紙とセロハン紙を指先でつまんだまま、
――これ、どこに捨てますか?
――(たまたまポケットに入れていたので)あ、それじゃ、おじいちゃんのゴミ袋に入れなさい。
――はい、ありがとうございます。
(この子はひょっとしたらオレと似たような道を歩くことになるのかも知れない。)と、そっとエールを送った。
             2020/07/04