ただの人間として

GFへ
           2011/02/27
 大昔、Fが、『オレは教師として特別なものをなにも持たない、ただの人間だ。』という意味の手紙を寄越したことがある。なにか悩みか、疑問があったのだろう。まだGと出会う前のことだったんじゃないかという気がする。「ただのままでいろ。ただの大人は生徒にとって大切な情報だ。」
 今だったら「もっとも大切な情報だ」と伝えたい。
 40数年前、突然「講堂に集合せよ」という連絡がきた。たぶん舛さんたちが仕掛けたのだろう。壇上にひとりの男がいた。それが板垣正夫だった。急に学校をやめることになったという。「いま自分がもっている疑問を性急に合理化しようとするな。その疑問を大切にかかえて生きていけ。」
 うれしかった。「お前がもんもんとしているのはフツウのことなんだぞ」と言ってくれた気がしたから。
 大学に入って、横浜を訪ねはじめたころ、酒をのみながら、「青春というのはな、人生のなかでいちばん暗い時期のことだぞ。」とも言った。そのことばは、そのまま『各駅停車』で生徒に伝達した記憶がある。
 
その生徒たちと語学研修でオーストラリアに行ったのは10年ほど前。おもいっきり田舎で、日曜日には飯を食える店を探しに町の中心部まで歩いていくしかなかった。その町の高校に毎日通って語学研修を受ける。よほど楽しかったのだろう。去年12月のクラス会のとき「あれからもう三回行きました」という奴がいて驚いた。ホームステイ先とよほど相性が良かったのだろう。「よし、いつかトゥンバでクラス会をやろう」
 その高校には、日本や韓国、中国から数人ずつ留学生が来ていて、いつのまにか朝や昼休みには中庭に集まってきていろんな話をするようになった。向こうの習慣なのだろう、「○○さん」と呼ぶ。相談ごとはまだ良かったけど、「英語の宿題がわからない」と持って来た時はお手上げだった。きっと英語の教師だと思い込んでたのだな。
 そのなかに、横浜から来ている男の子がいた。その土地でもっとも歴史のある公立高校だと言っていた。3週間の研修が終わって「あした戻る」というと少し動揺した。「○○さんみたいな人があの学校にいたらぼく留学なんかしなくてすんだのに。」意味がわからなくて「オレは普通の大人だよ。」と言うと、「フツウがいいんです。あの学校の先生たちは危ない人ばかりだった。」そういうエスケープ留学というのもありか。
 教員をやろうと決めたとき何を生徒に伝えるか考えたという話は以前にもした。(曲がりなりにもコツコツと自分がやろうと決めたことに対して忠実だったことにはそれなりの自負がある。)「ただし、自分の価値観を生徒に押し付けることは決してするまい。」
 自分の価値観を押し付けることなしに、いかにして「何事か」を教えるのか。その方法も戦略も作れないままに35年間が終わってしまった。いや、あのころ生意気にも思っていた「自分の価値観」なるものが一体どういうものだったのかさえ、いまでは怪しい。その怪しげなものを「詩もどき」にぶちまけることができた気がしてスッキリしているところだ。
 ただ、でいること。
 ただ、になること。
 「普通ということばと普遍ということばは同じだと考えていいぞ。」
 いまはその「フツウ」がやたらと欲しい。科学者が「物質の究極のもととしての単一のもの」を求めているように、オレはフツウを欲しがっている。その欲しがっているものは、チルチルミチルの青い鳥と同じで、たぶんもうここにあるのだと思いはするのだが。
 でも、ただでいる、とはどういうことだ? どういう生き方がフツウの生き方なんだ?
 けっきょく何も分からぬままに、それでも前に進んでいくのが我々に課せられたことなのだろう。そうこうしているうちに、だんだん、いよいよ、ただ、になりつつあるはずなのだが。ただし、ゲンジツというやつは永久に大嫌いなままでいく。

別件
 今朝の読売新聞に長崎外大の池田紘一先生がいい文章を寄せられている。あとでコピーして送る。ただし、これからは自宅の安物コピー機を使うので、読みにくくなるけどご勘弁。

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