猫に襲われた

2011/07/25

1、朝、目を覚ましたらもう7時。暑くなる前にと顔だけ洗って散歩に連れ出す。
 以前、託児所が出来ているのに気づいた病院の脇を通ろうとすると、草むらに子猫たちがいる。「こんなところで出産したのか」と思っていたら、お母さん猫が現れて、チビたちに襲いかかった。チビたちはただ逃げ回るだけ。チビたちを抱え上げようとした途端、今度はお父さんにかかってきて、腕に爪をたてた。小柄な猫なのに、1メートル以上跳び上がったのではないだろうか。
 そこでいったん逃げて、こっちの様子をみている。離れていくのを確かめてから子どもたちのいる草むらに戻っていった。
 この次に行ったときは、もう引っ越しているから会えないだろうけど、あの強さは尊敬に値する。

2, 
 不思議なことを体験したので報告。ただし、一日しかたっていないから、まだ、こなれないまま書くことになる。
 昨日、飯塚に帰る列車のなかで、『わたしたちが孤児だったころ』を読みはじめた。カズオ・イシグロは、『日の名残り』の後味がよくなかったので、そのままにしていたのだけど、NHK番組で興味がわいてきた。
 読みはじめてすぐ、「これは読んだことがある」。
 いつ読んだのかはまったく記憶がない。それに、そんな大昔のことではありえない。しかし、ほんとうに記憶がないのに、「読んでいる」。途中から、全然知らないところに入ったので、「ああ、ここらへんで飽きて、読みさしたんだ」と思っていたのに、活劇がはじまると、「このシーンは見たことがある」。映画は見ていないし、(映画化されているのかどうかも知らないし)夢ででもみたのだろうか、という感じ。
 それでいて、エピローグはまったく知らなかった。
 もう読む必要を感じないから、どうでもいいようなものだけど、なんとも奇妙な体験だった。あるいは、そんな風に、──いちど読んだことがあると感じさせる風に──書かれているのかも知れない。

3,
 朝刊の高校野球速報の福島欄に小高工業の名があった。日曜日のテレビでやっと卒業式をおこなった小高小学校のある地域なのだろか。
 日曜日は、「ほめあいこ」を実践している北九州市の小学校の番組も見た。どちらの小学生(小高小の場合はもう中学一年ではあるが)たちも、その表情がなんとも言いようがないほど美しかった。(わが故郷ではそういう場合、「言わせん」と言った。「あいつら言わせんじぇ。」「うん。言わせん。言わせん。」)
 この社会にはかけがえのない宝物がある。

4,
 ピッピが「わん。」と言う。知らんぷりをしているとまた「
──わん。
──なんか?
──わん。
 外に出たいっちゃないと、とお母さんが言うので、
──外か?
──わん。わん。
・・・ちゃんと対話が成り立っている。