仏は「さらき」とも言った
2011/07/31
今ごろは岳温泉で気炎をあげているころかな。それとももうくたびれて布団に潜り込んでいるのか。
だいぶ前から机で背表紙をみせていた丹羽基二『日本人の苗字』(光文社新書)をめくりはじめたら止まらなくなった。
もともと「日本人の苗字の数は30万ほど」と言われたら、「そんなに少ないはずはない」と言いたいくらいに、その多様さが気に入っている。
著者によると、日本の小字は、重複するものをすべてひとつにまとめて数えても100万はあるという。ということは、苗字とはならなかった小字のほうが多い。それもまた「あはれ」を覚える。
が、今日は少しちがう話。
大佛次郎の姓についての著者の文章を下に引く。
相模国鎌倉郡長谷大佛より起こる。大佛をオサラギと訓んだのは、大きなサラキ(仏)があったから。サラキはホトギとおなじく古代の神仏に供える水や酒を入れた皿のこと。キは器である。転じて、ホトケ自身の称となった。
と、さらっと書いてある。
ちょっと待て。それじゃわが長年の蘊蓄はどうなる?
では、と、『字訓』を引いてみたが、「ほと」に皿の意味があるとは書かれていない。単に「陰」の意味として説明されていて、その次の項が「ほとけ」になっていて期待させたが、
「ほと」はBuddhaの音訳。「け」をそえた意味が明らかでない。
と何ともそっけない。だから学者は信用できない。
「さら」が皿であるのは納得。「き」や「け」が接尾語であることのも同意。しかし、「ほと」が皿もしくはなんらかの容器である例を知ってたら教えてください。
別件
昨夜はゴルフの全英リコー女子オープンを最後まで見てしまった。理由は、サロンパスの宮里アイではないほうの若い宮里の表情が、いくら見てみても見飽きなかったから。
チビたちのお母さんはすごいことに気づいた。
「卓球のアイちゃんと天童よしみはよく似ている」