まだ、修行中ながら

2012/2/10
GFsへ

 ひさしぶりに穏やかな天候。
 天候のせいかどうかは分からないけど、やっと気持も落ち着いている。どうも、このところ、情緒不安定。というか、情緒をコントロールする機能が、ガクンガクンと落ちてきている気がする。この先どうなっていくことか。
 朝の散歩も、だいぶ遠くまで行った。道ばたの草は、ずいぶん緑が増えてきた。大魔王用に、(お母さんによると、店で「猫の草」という名で売られているという)雑草を見つけては食べさせていたが、もう自分で見つけ出してむしゃむしゃし始めてから、仕事がひとつ減った。
 散歩のコースは、ほとんどママまかせ。ただし、朝と夕方では別コースをとる。こちらが忘れていても、ママが「今度はこっち」と教えてくれる。その記憶力たるや、人間は絶対かなわない。
 今朝は明るかったから遠くまで行ったが、曇りの日や夕方は、遠くまで見通せる所に来ると足が止まり、しばらくしてからお父さんを見る。「帰るか?」と声をかけたら、ほっとしたように綱をくわえてUターン。すこし白内障の気が出始めて、遠くの様子が見えなくて不安になるのかもしれない。それにしても、その仕草は、リィそっくりだ。血がつながっているわけではないのに、まったく同じコトをする。そのたびに不思議な思いにとらわれる。ブリーダーから、リィの死後二日目に生まれたと聞いたときは、もう貰ってかえる気になっていたが、ひょっとしたら「生まれかわり」というのは本当にあるのかもしれない。
 大魔王はやっと元気がもどってきた。しばらくは大丈夫そうだ。
 まだショボクレていたころ、散歩中に小学校帰りの女の子と会った。大魔王のことを覚えていて、
──ガロ、すこし痩せませんでしたか?
──病気で、食欲がなくてね。でも、もう大丈夫。
──ほんと?よかったねぇ、ガロ。がんばろうね。
 少女の母性というものは確かにある。それが一度消えて、また復活したときは、やたらと強固なものになっている。
 元気が出てきたら、またママに自分から仕掛けていく。数日前は、机の横のパイプ椅子(長椅子)でママがとろとろしているところに自分も飛び乗って、「ここで寝るゥ。」と、がりがりデモンストレーションをはじめた。布椅子なのでそれだけで大揺れする。目を覚ましたママが「ふぎゃぁ」と声をあげたので、どうなることかと見ていたら、ママのほうがそこを息子に譲って、自分は別の場所に移動した。「ピッピ、えらいねぇ。お母さんやもんねぇ。」これからは、日本の母、と呼ぶことにする。
 いまは、大魔王は階下でお母さんと昼寝。日本の母は、机の横の布椅子で、、、動かないから眠っているのかな。ただ、ぼおっとしているだけなのかもしれない。(のぞいて見たら、目はあいていた。)
 近所からは大工作業の音。一軒先に新しい家が出来かけている。今度は当たり前の形になりそうだ。

別件
 田村隆一の詩を読んでいると、自分のこれまでをも一度なぞっているような気がしてくる。まともに読むのははじめてなのに、どうしてそういう気になるのかはわからないけど、「退職したらまとめて読む」と思ったことには納得がいく。
 ただし、あの人の詩には、やたらと「殺戮」だの「神さま」だの「地獄」だのが出てくる。いまの自分は、そんなけたたましい言葉からは素通りする。
 あとひとつ。じつは、読みつつ、かなめになっている言葉を抜き出している。
 春になったら、こんどは、西脇順三郎を(買って)読み直そうと思うようになったが、彼の詩から抜き出しをするようなことは起こりえない。
 おなじ、詩とはいっても、まったく違ったものなのだな。