先生、古検に合格しますよ

GFへ

一カ月ぶりの朝の散歩。チビたちがぶりぶりウ?コをする。雨続きだったからきっと出ししぶっていたのだろう。
江戸時代、関西まで米の積み出しをしていたという小さな港に行くと、カモのペアが2組、波に揺られている。
ーーまだ残っていたのかーー
では河口の方はどうだろうと回ってみる。
2〜30羽の群れが、これも2組まだ居残っている。どの社会にも遅れたがる連中がいる。我々もそうかもしれない。「なにが、……時流になんか乗ってやるもんか」
カワセミが挨拶をしに来ないかなと期待したが、姿を見せなかった。
途中でラブラドールを見かける。母親ははやくもやる気満々だ。さては、家主さまが散歩させていた時、自分から仕掛けていって、頭をガブリとやられ、そのまま放り投げられたというのはコイツか。ーーまさに鎧袖一触という風景だったらしいーーそれでも再度挑戦しようとしたというから、テリア魂の権化みたいな奴だ。幸い、頭に赤チンを塗っただけですんだ。
今日はこれから我がミクロコスモスに帰る。正確には、もとミクロコスモスと呼ぶべきか。ーー「オレにふるさとはない」ーー先生は少し窮屈に生きすぎたんじゃないかなぁ。
Gのミクロコスモスにはじめて行った時、「ここなら、世界中で核戦争が始まっても、よそ事だと思えそうだ」と感じた。Fのミクロコスモスに至っては、そこが現代だとは、とても思えなかった。生産文化そのもののようだったWのミクロコスモスとはまったくちがう。
そうだ、F、いつかGを案内しなさいな。
実はいま、「フィロソフィア・ヤポニカ」第5章は、そのミクロコスモスの話が始まっていて、それはWにとって衝撃的な内容なのだが、今は各駅停車の旅の途中。それは別の機会を作ろう。
ただ、以前「知的運動神経」ということばを使っていたが、それは中沢新一にこそ相応しい。
「日本人は思想したか」のとき、梅原猛吉本隆明のことばを、それぞれ相手のことばに通訳しているのを読んで、びっくりしたが、その能力をこの本のなかでは最大級に発揮している。その恩恵を授かっているのがW。ーーなんだか、日本語しか知らなくてもうけた、という気さえしている。


別件
放課後、「古典の分からない所を教えてくれ」と生徒が付き添いと一緒にきた。疑問にあれこれ答え終わって、
ーもう、いいか?
ーはい、ありがとうございました。
付き添いが言った。ー先生、すごいですね。古検を受けたらきっと合格しますよ。