『伝統的景観保護法』を

 明治以来の日本を眺めたとき、「この国はけっこういい線を行ってたんじゃないか」と感じる。いや、今も悪くない。「明治時代の日本の方が品格があった」などというノウテンキなことを言う方もいらっしゃるけど、たとえ品格がなく下品な国になっていたとしても、今の日本のほうが「国民が自分たちの力で自由に人生を楽しむ」点においてははるかにマシになっているように見える。
・・・・欠点はどこにもある。その欠点を補うにたる良い点がまさっているならば、それはいい国なんだと思う。
 日本が全体として安定した社会を維持してきた基本パターンは、「都会が稼ぎ、そのお金を田舎にまわす」というものだった気がする。
 もともと日本人の大半は農民だった。しかし農家では、農地が増えない以上食べていける人数は限られている。柳田国男が子どもの頃の記憶として、「ある親戚のところは、どの家も一男一女だった」と書いているが、それが貧しい地方の(少々極端だったかもしれないけれど)実態だった。明治に入って、移動の自由が認められ、家の二男坊や三男坊は生きていく場所としての都会を選んだ。そこでの生活が農村にいたより過酷だったとは感じない。怪我をしたり、病気になったりして、働けなくなったときへの不安や、現実の飢えの苦しみはあったにしても、農村にいたときには得られなかった自由を手放す気にはならなかっただろう。そのときの「自由」とは、なにより「周りを気にしなくてすむ」ことだったように思う。
 男に限らず、製糸工場で働いた方の思い出のなかに「みんなで競争して効率をあげていくのが楽しかった」とあって、「アレっ」と思ったことがある。「学校で習った、女工哀史とはだいぶ違う」。長時間労働はたしかだったろうし、「大根の味噌汁と麦飯だけで、タンパク質は味噌汁の大豆からとるしかなかった」というのも本当だったろう。だが、実家の親が遊んで暮らせたわけではなく、娘よりいいものを食っていたわけでもない。むしろ、自分の能力を発揮できた女工の思い出には、近代の力強さを感じる。
 家と土地を相続する長男は小学校出で、家を出なければならない二男坊や三男坊には学問をさせた、という家も多かろう。そのとき、長男をうらやましがった二男坊や三男坊もいただろうが、多くはむしろ、長男でなくてよかったと思ったにちがいない。なにより、自由に生きることができる。そして、自分の能力を発揮するチャンスがある。娘にしても、農地をもっている家に嫁にいくのと、都会で暮らしているサラリーマンに嫁にいくのと、選べるならどっちを選んだろう。
 女工は親に仕送りをした。それが辛かった人もいれば、そのことに誇りを感じた人もいた。都会に出た二男坊や三男坊もわずかでも田舎に仕送りをした。それができなくても、盆や正月に帰るときは、おみやげをいっぱい持って羽振りがいいふりをした。国は国で、収入が把握しやすいサラリーマンや営利法人から税金をまきあげて、それを地方にまわした。その、「都会が稼ぎ、そのお金を田舎にまわす」金の動きがスムーズである間は、日本はうまくいっていた。
 少しまえになるが、お盆がちかづいて職場から人がいなくなるのを見て、アメリカ人の同僚が「みんなどこに行っているんだ?」と質問してきた。「たいてい、親が住んでいるところに帰っている」と教えると、その返事はただ、「クレージー」。──そうね。あんたらブンメイ人には分からんやろね。
 地方から人がいなくなっているのだ。たいていの町の商店街は虫食い状態になっている。お金はショッピングセンターが吸収し、人はなおさら仕事をもとめて都会に集中していく。お金がまわらなくなっている。地方は疲弊し、山間部は荒廃している。減反政策のせいもあって耕作放棄地が増え、小学校の統合が進み郵便局がなくなり、集落が姿を消す。棚田が消えていく。
 どうしたらそれを回避できるのかについて、大した智慧があるわけではない。ただ、せめて、国家財政で「お金の循環」をいくらかでも回復できないかと思う。
 いまの政府は「個別所得保ショウ」という考え方を提案していたが、それがどう成案化されていっているのか知らない。ただそれはもともと、上でWが言っている場所を切り捨てたあとの話のような気がする。
 『伝統的景観保護法』をつくろう。国の財政にゆとりができたら「伝統的景観」の定義をふくらませるとして、当面は農地をまもろう。とくに山間部の農地をまもろう。
 どの程度の金額にするかは後まわしにして、「田や畑の畦の長さに応じて補助金を出す制度」をつくろう。シンプルで平等な制度をつくって小さな農家・小さな農地をまもろう。名称が「伝統的景観保護法」だったら、「非関税障壁」だという文句もかわせるはずだ。その金額がわずかなものであっても、自分たちのしていることの値打ちを国が認めたら、少しは元気が出てくる。
 ちいさくてささやかなものを守る意思をしめすこと。この社会は、そこからやり直したほうがいい。
 
別件
卒業生の訃報がとどいた。31歳。
人生は残酷だ。
だったら猶さら、人の誕生は最大限に祝福されねばならぬ。