2010.3.12読書教材より

 
 今日で、この読書教材も終わりです。最終回は、せめてhが考えていることを勝手に書かせてもらいます。年寄りの思い出話みたいになると思いますが、辛抱して読んでください。
 小学校5年生のクリスマス・プレゼントに、父親が子ども用の自転車を買ってくれました。そんな贅沢品(ぜいたくひん)を持っている友だちなんて滅多(めつた)にいませんでしたから、天にも昇る気持ちでした。hの小学5年生のころは、家に白黒テレビのある友だちは、電器屋の息子を除くと、町ではけっこう有名な会社社長の息子と、商品についている景品の応募券をお客さんに渡さずに貯めてテレビをゲットした商店の息子くらいでした。だから、その友だちと仲良くしてないと力道山のプロレスが見られなかったのです。
 自転車に至っては、みな親の自転車に乗っていました。もちろん足が届きませんから、三角乗りという方法で乗っていました。同じクラスにたいそう体の大きい魚屋の息子がいました。かれは、日曜日の店が休みのときに、運搬車と呼んでいた大人用の重たい自転車に乗って、八木山から篠栗を通って博多まで遊びに行った、といって、一躍ヒーローになりました。誰もその話を疑わないほどの力持ちだったのです。
 そんな時代の子供用自転車です。おおいばりで乗り回して見せびらかしました。それが父親の作戦にはまっていると分かったのは春になってからでした。
 新聞配達をさせられたのです。普通は中学生からだったのですが、(当時でも小学生を働かせるのは法律違反だったはずです)子供用の自転車を買ってもらった以上「嫌だ」とは言えませんでした。それに「兄ちゃん」がいっぺんにたくさんできたので全然つらくはありませんでした。
 当時(今から50年前)、朝夕刊を配って、一ヶ月約1,000円でした。かけうどん一杯が20円でしたから、うどん50杯分。今かけうどんが350円だとすると、350円×50=17,500円程度になるのでしょうか。そのころ高卒の初任給は5、000円未満だったそうです。(7つ年上の兄は、一流大学を出て、私が高一のときに一流企業に入ったのですが、その時でも初任給は社員寮の食費を引かれると手取りは7,500円だったそうです。)ですから、新聞配達をしている子どもは大いばりでした。休刊日はほとんどありませんでしたから、1000円÷30日÷朝夕刊=15円。だから、寒い日や雨の日は「15円」「15円」と心の中でつぶやきながら配達しました。当時の日本では、「人間」の値段がそれくらい安かったのです。
 配達料は父親にとりあげられました。自転車は買ってもらったし、毎日3食くわせてもらっているのだから仕方がないと思いました。そのかわり、「おかず代は無理でも、飯代(めしだい)くらいは自分で稼(かせ)いでいるぞ」と思っていました。実際には、高校に入るとき、「もう新聞配達はよか。これはお前が稼いだ金やから自由に使え。」と貯金通帳をくれました。2万数千円でした。勘定が合わない気はしましたが、思いがけない大金でした。それは、高校からはじめた山歩きの費用や道具代になりました。今では珍しくもありませんが、キャンプ道具一式とワンマンテントまで揃えている高校生はめったにいませんでしたから大モテでした。モテすぎて貸してやっているうちに皆なくなってしまいましたが。
 その新聞配達仲間として仲良くなった「兄ちゃん」のなかには、小遣い稼ぎでアルバイトをしている者は殆(ほとん)どいませんでした。みな、親の家計を助けるために働いたり、なかには、「オヤジが酒好きやけん」と、父親の喜ぶ顔がみたくて働いている人もいました。あるいは、給食代や修学旅行の費用を自分で積み立てている者もいました。だから、私の父親だけが欲張りだと思ったわけでもないのです。
 中学3年のとき、家に帰ったら、小学校で一緒に級長をした女の子のお父さんが我が家にきて、私の父親の前で泣いているところに出くわしました。その人の会社が前の年に消滅しているのは知っていました。「娘に、せめて弟だけは高校に行かせたいから就職してくれんか、と言ったら、文句ひとつ言わずにうなずいたとですたい」と泣いているのです。その同級生は名古屋にある会社に就職しました。きっと、毎月の給料(一流企業の大卒の手取りが7,500円だとしたら、彼女の初任給はいくらくらいだったのでしょう)から、弟のために送金をしたことと思います。そんな優しくて賢い人でした。でも、彼女は同窓会にまったく姿を見せません。
 今年、卒業式後の授業のとき、「いまの日本は安定していると思うか、混乱していると思うか」と質問すると、殆(ほとん)どの者が「混乱している」のほうに手を挙げました。「先生はどっちに思っているのか」というので、「安定していると思う」と答えました。「たぶん、君たちとは、社会を見るときの基準が違うんじゃないかな」
 いろんな人がいます。いろんな意見があります。たぶん、人の数だけいろんな基準があります。どの基準が正しいか、ではない気がします。自分はどんな基準でものを見たり、判断したり、決断したりしているのか。何度も何度も同じような経験をくりかえしている内に、その自分の基準が見えはじめ、他の人の基準も見えてくるようになる。そのお互いの基準を了解し合わないと、実は話し合いどころか口げんかもできません。お互いの基準を確かめ合うことが「話す」ことの第一歩目です。もし、社会人になって、「あいつには基準がない。」と思われたり、「場合によって基準をコロコロかえている。」と思われたりしたら、たぶんもう誰からも信用してもらえなくなります。学校で勉強するとは、そんなことのように思えはじめています。
 君たちの勉強は、まだ始まったばかりです。高校だけでなく、専門学校や大学、そして社会に出たらさらにもっと勉強をして、いろんな人とちゃんと話ができる人間になりましょう。それが「自分の世界が広がる」ということだろうと思います。「自由を獲得する」ことでもあると思います。
 まずは、あと一年の高校生活で、思う存分勉強してください。そして、それぞれの勉強のなかにある「基準」に気づいてください。私も、君たちの勉強の手伝いを、張り切ってしたいと思っています。 
 一年間、読み続けてくれた諸君、有り難うございました。