インターミッション2「ナマのままで文明化しようとすること」

GFへ

 3月25日のことから書く。
 その前日、大好きだった人の通夜があった。すでに入院なさっていることは知っていたから覚悟はできていた。今年は年賀状もださなかった。でも、やっぱり不意打ちをくらっった。・・・・たまたまその日、晩飯を食う約束をしていたメンバーで、早めに仕事を切り上げて葬儀場にいき、その町で晩飯を食うことにした。久しぶりに愉快な席になった。
 家にもどって、たぶん12時か1時に床につき、朝5時すぎに目がさめた。
 それからアタマが動き出し、寝床から出るわけにもいかず、あおむけのまま携帯でブログをうった。それが、「中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』を読む。インターミッション」だ。これはその続きみたいなものだから、「インターミッション2」ということにする。

 たぶん倫理社会の教科書だったろうから、高校2年のとき、世界史の教科書だとしても同じく高校2年のときだから、16歳か17歳のとき。「ユダヤ教が普遍化してキリスト教になった」という記述に出あって途方にくれた、ということは繰り返し話した。
 その「普遍化」とは去勢のことだった。毒気をぬくことだった。だとすると、危険性を取り去ることである文明化もまた、要するに去勢することだ。西洋のことを考えるとき、この「去勢」がキーワードだった。25日の夜明け前、寝床のなかで思いついたのはそういうことだった。
 めちゃくちゃに大ざっぱな言い方をするなら、キリスト教とは、ユダヤ教をお子様ランチ風にして、ローマがレシピをつくり、世界中に輸出した宗教だ。だからWにはそれが文明そのものに見えた。輸入した国では、そのお子様ランチにローマの旗と自国の旗をたてて人びとに供した。旗のちがいはあっても、レシピ通りに作っているかどうかは、つねにローマが点検し、世界中いつでも、どこでも同じものが食べられるように気を配った。そういう図式を思い浮かべればいいんじゃないかなあ。
 なんだか、マクドナルドみたいな言い方になって気が引けるけれど、この見方はローマにとっては決しておとしめられたことにはなるまい、と思う。
 若い頃、――要するに、キリスト教がいう「父と子と精霊」は譬喩表現なんだ。――と、いったん締めくくったのは、けっこういい線をいっていたんじゃないか、と感じている。かといって何かが分かっていたわけでもなかったんだが。
 もちろん、お子様ランチにも実は毒がある。雑味はのこる。「イノセントな食べ物」などない。彼らにとって食物とは、「血となり肉となる」ものではなく、つまるところ「血であり肉である」ものだ。「お子様ランチを食っても精はつく。しかし、教会のなかでは、だれとでも安心して抱擁しあうことができる。そういう「普遍的」な場所が必要だった。その「場所」の必要性という点では、カソリックプロテスタントも違いがなさそうに思う。
 この見方と、竹田青嗣が説明するニーチェキリスト教観を両にらみしたら、たぶん、われわれにとっては異教である世界的宗教がだいたい見えてくる。竹田のいうところでは、ニーチェキリスト教を呪ったのは、「人間を去勢した」からなのだ。
 問題は、西洋文明を受け入れたわれわれの先祖が何を考えたか、ということだ。なぜ日本ではキリスト教が広まらなかったか、ということだ。
 もともと日本には、去勢という習慣自体がなかった。だから「去勢的文化」を受け入れる下地がなかった。というか理解不能だった。(今でもそうなのではないか。)逆に、比喩的なものから何かが生まれるということを想像する能力に欠けていた。生まれるということ抜きの思想は思考の対象外だったはずだ。生まれるにはナマのものが不可欠なのだ。しかし、西洋文明はすでに絶対的なものとして日本に姿を現していた。
 「インターミッション」で書いたように、日本人が考えようとしたこととは、「ナマのままで文明化する」ことだったのではないか。Wが、「日本人とユダヤ人はなにか似ている」と感じていたのは、西洋人にとってはまがまがしい、このナマのものを保存している状態の共通性だったように思う。レヴィナスを読んでいて生理的嫌悪感を覚えたのは、Wが相当程度に文明化(去勢)されているからなのだ。
 でも、そうやって考えると、前にも説明した(つもりの)とおり、ナチズムもまたナマのもの(ヴァン・デル・ポストはそれを「荒ぶる古代の魂」と呼んだ。)が一時的に甦りかけた動きだったと言える。それは、もひとつのまがまがしいものへと一直線に向かっていったのだろう。
 なんだか、最近、宮崎駿が考えてきたことと結構近くに自分がいる気がしてきている。
                    2010/03/27

別件
 類いまれな感性の持ち主だった、含羞の人、徳田惑堂の句をここに残して置きたい。
     カンナ崩れまた燃え尽きて原爆忌