中沢新一『フィロソフィア・ヤポニカ』を読み終えて


GFへ
 『フィロソフィア・ヤポニカ』を読み終えた。スーッと読んでしまって、何が書かれていたのか全く覚えていない。たぶん、ことばとしてではなく、音楽を聴くような感覚(つまり、映画が終わったあと、画面に出演者などがずうっと出て、音楽が流れている状態)だったのだろう。ただその途中で、本がばらけてしまった。集英社はなんともちゃちな製本をしているのだなぁと、あきれてしまった。が考えてみたら、たった一回読んだだけで、韋編一絶するなんて、『南京新唱』の歌人流に言うなら、中沢新一はなんといい読者に恵まれる幸運を得たことだろう。もちろん、その読者は、著者に100倍する幸運の持ち主なのだと自負してはいるが。
 著者は、本文のなかで、──「我々にとっては当たり前にすぎないこと」を、わざわざ西欧人に分かるように表現し直す必要があったのかどうかしらないけれど──「日本哲学」はそれにチャレンジしたんだ、という意味のことを書いている。・・・・必要だったのだ。二重の意味で必要だった。
 まず、日本もいったん文明化の道を進みはじめた以上は、「欧化」する以外の方法が残されてはいなかった。欧化することが文明開化することだった。脱亜すること以外の選択肢もあったかのようなことを口にするのは、ただの詐欺師だと思う。
 それに、昔、生徒に──西欧人はいつか、これらの日本人を「発見する」ときが来る。──と書いたことがあるが、そのためには、西欧哲学の文脈にそった表現がぜひとも必要だった。
 実際には、その日本語は、たとえばWにはまったく読解不可能な日本語だ。西欧語の文脈が理解できない上に、彼らの日本語自体がわからない。中沢新一の翻訳によってはじめて何とかイメージがうかんできた。が、そのことを恥ともなんとも感じない。(誇らしいわけでは、もちろんないけれど)・・・・ものごとというのは、だいたいそんなふうになっているものだ、と以前から思っているから。
 またもや高校時代のことだけど、本職は神主の国語教師から「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」を習って、びっくりして、(かっこよく言えば)その日、帰りに本屋に立ち寄り、『歎異抄』を買い込んだ。それから、あれこれ、それらしき物を読みあさったが、仏教というもののイメージがまったく浮かんでこなかった。そんなとき、題名だけで買って読んだ、ヘッセの『シッダールタ』でやっと何かとっかかりになる映像が浮かんできた。・・・・正直いうと、仏教書や経典よりも、自分にとって有り難かったのはその小説と、手塚治虫の『火の鳥』だった。
 日本人の書いたものよりも、西洋人の書いたものを通してやっと何らかのイメージ(Wは、イメージより重要なものが別にあるとは思っていない)を得ることができた。10行ほど上に書いた、「ものごとごというものは、だいたいそんなふうになっている」というのは、その体験が自分に与えた大きさのことを言っている。・・・・ずいぶん前になるが、「江北の枳が江南に移植されて橘になることを文化というんだ」と偉そうな顔をしていったことがあるが、そんなことを考えるようになった事情を説明したことになるかなぁ。

別件
 老人ホームにいったら、新しいご老人がいた。なんとなく隣の席になって少し話しかけると、なんだか一生懸命こちらに語りかけてくる。介護士さんは「Mさんが自分からお話になるなんて、これが初めてです。」と驚いている。「すみません。まだ私にはMさんのおっしゃることがわかりません。でも、そのうち、きっと分かるようになりますからね。」と言うと、Mさんが大きくうなづいた。
 安請け合いをしたけど、大丈夫かな・・・・。