民主政党が着信拒否をしたらおしめぇよ

読書教材として作りはじめたのに、勢いがつきすぎてボツになったもの。

13冊の本

 若い頃からずいぶん本を読んだほうじゃないか、と思う。じゃ、本を読むのが好きなのか、と聞かれたら、「いや、むしろ、体を動かすほうが好きだ」と答えそうな気がする。じっさい、高校時代、「オレは机についてする仕事には向いていない。外で体を動かす仕事に就こう」と考えていたし、今は暇があったら、のっぱらで寝転がっているのがいちばん好きだ。
 北海道を旅行していたとき知り合った人から、「おもしろい爺さんがいるから会わないか?」と誘われた。その爺さんは、もと学校の教頭先生で、自宅の庭に書庫兼書斎を建てて、「万巻(ばんかん)の書を読まざる者入るべからず」という額(がく)を掲げているという。「オレはそんなに本を読んでいないから会わない」と答えた。たとえ冗談にしろ、そんなカッコツケをする人を好きになれなかった。
 それでも、60年以上生きているといろんな本に出会った。そのなかで、自分に大きな影響を与えたものを、できるだけ順をおって書いていく。ひょっとしたら、そのなかに、君たちにとってヒントになることが含まれているかもしれない。
 最初に出会った本が何だったのかは覚えていない。ただ、①『ロビンソン・クルーソー』の絵をしっかりと覚えている。島に漂着したクルーソーは、何から何まですべて自分ひとりで生活をつくった。家は木の上に建てた。食料も着るものも、トイレも自分でつくった。
 Wたちの年代を、団塊の世代、と呼ぶ。ベビーブーマーという言い方もある。いまから64年前、世界中で数千万人の人びとが死んだあと、やっと平和になった。兵隊に行かされていた人たちはもどってきて、奥さんに再会できた。まだ未婚だった人たちは結婚相手を見つけた。世界中でいっせいに赤ちゃんが生まれ始めたのだ。その10年後、小学校は教室が足りなくなり、講堂を四つに仕切って教室に使った。体育用具倉庫も、中身を全部だして教室にした。
 Wの隣と裏の家には犬がいた。どちらもシェパードだった。裏の家の犬は「ピース」、隣の家の犬は「フライデー」。ロビンソン・クルーソーは金曜日にみつけた犬にそう名づけたんだ、と隣の人が教えてくれた。その人たちも、敗戦後、何から何まで自分たちの力で生活を立て直している家族だった。
 Wにとっての最初のヒーローはそのクルーソーだった。まだ字は読めなかったけど、カッコイイと思った。いまでもたまに木の上にある小屋が夢に出てくる。暮らしているのは、ロビンソン・クルーソーではなく、Wである。
 小学校低学年のときに、オジさんがトルストイの童話集を買ってきてくれた。そのなかの、ひとつの話だけが妙に忘れられない。
 ある男が「日の出から日の入りまでに縄を張れた土地を自分のものにしていい」という約束で走りはじめる。男はできるだけ広い土地を手にいれようと一日中走りつづける。そして夕方、最初の場所にたどりつき、そのまま倒れる。「男に必要なのは1m×2mの土地だけだった」と終わっている。──お前はヒネとる。──あんたは変わっとる――子どものころ、いろんな人から同じことを言われた。しかし、この話は子どもの心に強烈に響いて、いまに至っている。だからといって、トルストイの他の作品をなにか読んだかというと、実はなにも読んでいない。どこか、Wの好みとはちがっているのだと思う。
 おなじ低学年のころ、②オスカー・ワイルド原作の『幸福の王子』という絵本を読んだ。これは、その絵も含めて、ずっと心に残っている。なにか、すごく感動したのだ。しかし、何に感動したのか、大人になって思い出そうとしても思い出せなかった。しかたがないから、50歳くらいになってから読み返した。そして思い出した。なぜなら子どもの時とまったく同じ感動の仕方をしたから。が、その感動した中身を君たちに話すのはやめておく。ひょっとしたら、君たちもWと同じように感動するかも知れない。そのチャンスを奪うのは教師の仕事ではないと思うから。
 小学校の高学年になったとき、教科書で或る物語に出会った。たぶん、③『クオレ』という本のなかにある話だと思う。クリミヤ戦争(1858〜1856)のときと記憶している。父親が戦場で怪我をしたという噂をきいた少年は戦地まで自分ででかけていく。そして顔中に包帯をまかれている兵士を自分を父親だと思って看護する。が、しばらくたって、その男は自分の父親ではないことに気づく。しかし、もう生きながらえることができそうにないその兵士の面倒を、少年は最後まで見つづける。Wはその話を実話だと思った。少なくとも、何らかの実話がもとになっている話だと信じた。そして、その少年が好きになった。ひょっとしたら、ベッドで寝たきりになったとき、もう一度その本を読みたくなるかも知れない。
 学校では強制的にいくつかの本を読まされたはずだが、まったく覚えていない。第一、だれかが書いた小説というのは、要するに嘘じゃないか、と感じた。他人のつくった嘘をわざわざ読む気にはならなかった。それに、小説のなかに出てくる心理描写(登場人物の心の動き)がにがてだった。「そんなもん、こっちが勝手に考えれば良かろうもん」他人の作ったものを読まされて、ついでに「ここは、こう読め」とその作家に強制されるなんてゴメンだった。──あんたはヒネとる──先生からそう言われても、嫌いなものは嫌いだった。

 中学校にはいった。できたばかりの学校だったので、図書室はなく、空いている教室に本棚が並んでいた。そのかわり、鍵もかかってなくて、自由に出入りできた。その本棚で「ラジオドラマ集」というのを見つけた。開いてみると、文章はほとんどなく、台詞(セリフ)だけが並んでいる。心理描写も風景描写もほとんど無い。Wはそれを「男らしい」と感じた。男らしいと感じた理由はもうふたつある。
 ひとつは、ドラマ(お芝居の台本=戯曲)は、はじめから「これはお芝居ですよ。嘘ごとですよ」と言っている。へんに「実際にあったこと」のような振りをしていない。それに、小説を読んでいるとき、いやな気がしたのは、登場人物と作者とが、どっかでダブってくることだった。簡単にいうと、小説のなかで「ぼく」となっているのは、どこまでが作り者の人間で、どこから作者自身なのか区別がつかない。それが気に入らなかった。が、ドラマの場合は、作者と登場人物はまったく別の人間だと考えることができた。
 登場人物の心理を説明したりせず、登場人物が作者から独立した人間だとわかる、はじめっから「これはフィクションです。ウソです。──そんなむずかしい言葉はしらなかったけど──」と白状している戯曲(ぎきょく)というものが気にいって、その教室に行っては床に座り込んで読んだ。ときには外が暗くなったのに気づかずに読んでいたこともある。
 そのなかに、④宮沢賢治原作の『よだかの星』というラジオドラマがあった。ちっちゃくて醜くて弱くて、みんなから馬鹿にされているよだか。そのよだかの悲しさや苦しさが切なかった。
 そんな具合で、いわゆる小説はほとんど読まないままだった。そのかわり、マンガを読んだ。たしか、小学校5年生のときに、『少年サンデー』と『少年マガジン』があいついで刊行された。夢中で読んだ。まだ印刷がひどく粗悪な時代で、一冊読み終わるとインクで手が真っ黒になった。それに気づかないほど読みふけった。そのなかに、⑤手塚治虫の『白いパイロット』と『キャプテン・ケン』、それに、⑥白土三平の『カムイ外伝』があった。⑤は昨年映画化された。たぶん、Wと同世代の人が映画化したのだろうと思っている。土のなかは恐いから水に沈めてくれという死にかけている女の子の願いを叶えようとするカムイ。そして『白いパイロット』や『ケン』のラストシーンを読んでいるとき、Wは文字通り息を殺していた。・・・マンガだから、その気になったら君たちでもすぐ読める。だから、説明はいっさい省略する。ただし、以前、学級文庫にいれたことがあるが、「先生のすすめるマンガは難しすぎる。」と言われたから、読む者はそのつもりで・・・・。
 中学の途中から、数学と英語がにがてになったので、少し勉強をはじめた。西鉄ライオンズの試合が気になって、その実況中継を聞きながら勉強をはじめる。ところが、宿題が終わったときにはもう試合が終わっていて、ラジオはただザアザア言っている。しかたがないから翌日の朝刊で、ライオンズが勝ったかどうか確かめる。そんな毎日だった。ところがある日、宿題が終わって、ふと我にかえると、ラジオから歌が流れていた。ラジオの深夜放送が始まっていたのだ。深夜放送を聞いてるうちに、旺文社の「英語講座」にぶちあたった。それを聞いているうちに勉強だということを忘れて感動してしまった。⑦サマセット・モームという人の文章だった。
 高校に入ってさっそく、モームの文庫本を買ってきて読んだ。⑦『月と6ペンス』という題名だった。画家ゴーギャンをモデルにした話だ。銀行員だったゴーギャンは、ほんものの画家になるために文明社会を離れ、楽園タヒチにわたる。しかし、そこすでには西洋人が荒らし回り、タヒチの女の子たちは性病をうつされていた。ゴーギャンはそこで好きになった女の子から逆に性病をうつされる。・・・・読んでいて、きつかった。苦しかった。なぜなら、主人公に同情する気にはまったくなれなかったから。
 それまで、『クオレ』を読んでいるときは、見知らぬ兵士の看護をしつづける男の子に同情していた。それ以前の『幸福の王子』では、・・・に憧れに近い共感をもった。『よだかの星』では、自分がよだかになったような気持ちがしていた。『カムイ』や『ケン』は、もうひとりのの自分だった。しかし、『月と6ペンス』の主人公に同情することはできなかった。なのに、最後まで読みつづけさせる力がその小説にはあった。苦しかった。苦しかったけど、最後まで読んでしまった。以後、モームを読んだことはない。モームは読まなかったけど、高校を卒業したあと、『欲望という名の電車』というテネシー・ウィリアムス原作の映画をみたとき、猛烈にあの時の苦しさを思い出した。どの登場人物にも応援する気になれなかった。だれにも同情できないことの苦しさを感じながらやっぱり最後まで見てしまった。
 「物語」との出会いは、先に書いた手塚治虫白土三平のマンガ。「文学」とのほんとうの出会いは、その『月と6ペンス』だったように思う。そのどちらもが、Wの世界観を形作るのに大きな影響を与えた。いまも与えつづけている。
 高校の国語の授業で覚えていることは、極端にいうと、ふたつしかない。ひとつは一年生のとき、⑧宮沢賢治の『永訣の朝』が出てきた。君たちは2年生で勉強した。──「何か昨日のところで質問はないか?」──いつものとおり先生がいうと、柔道部の男が手を挙げた。「先生、宮沢賢治はほんとうに妹を愛しとったとですか?」「愛していたんだろうねぇ」「自分が愛しとる人間が死にかけとる時に、ほんとうに詩やら作れるとですか?」先生が沈黙した。その沈黙は数十分もつづいた(ように思う)。怖かった。先生がなんと答えるのかが怖かった。「書いたんですよ。」先生が言った。言ってから、もう一度繰り返した。「書いたんですよ。」先生はそれっきり帰ってしまった。
 しかたがないから、図書館に行って宮沢賢治の詩集を引っ張り出して読んだ。読みながらいつのまにか、中学校のときと同じように床に座り込んでいた。どのくらい読んだのか、突然、「書いたんだ。」と思った。宮沢賢治は、死にかけている妹のそばで「けふのうちに、とほくへいってしまふわたくしのいもうとよ」と書き始めたんだ。・・・・文学をやっている人間なんか大嫌いだ!
 あとひとつ、高校の国語の授業で覚えていることがある。本職は神主(かんぬし)さんだという先生が、弟子唯円(ゆいえん)が親鸞の言葉を書き残した⑨『歎異抄(たんにしょう)』のなかの「善人なおもて往生す。いわんや悪人をや」という言葉を説明してくれた。「善人でさえ往生できるのだから、悪人ならなおさら極楽往生できる」・・・・それを悪人正機説というのだそうだ。・・・・びっくりしたWはすぐに『歎異抄』を買って読んだ。読んだけどよく、いや、全然わからなかった。この分からなさは魚のトゲのようにWの喉にひっかかっていつまでも気になり。以後いろんな本を読んだ。そうして、あるとき、本屋さんで⑩『シッダルタ』(ヘルマン・ヘッセ)という本にであった。シッダルタという少年が悟りをひらくために放浪する話だった。その本を読み終わったとき、はじめて「仏教」という宗教のイメージのようなものが浮かんできた。──オレは、西洋人から仏教を教わった。──この経験は、以後のWの生き方に大きな影響を与えた。
 大学は、迷わず文学部を選んだ。文学をやっている人間なんか大嫌いだったのに、他の学部に行く気はまったくなかった。『月と6ペンス』や『歎異抄』や『永訣の朝』や、ギリシャ時代の悲劇⑪『オイディプス王』(ソフォクレス)は、ふにゃふにゃした社会などとちがって、何かのかたまりだった。そのかたまりに正面から向かい合ってみたかった。
 大学にはいって、しばらくして、3畳間のアパートで五味川純平『人間の条件』を読みはじめたら止まらなくなって、徹夜した。朝になってひと眠りしてまた続きをよみはじめ、けっきょく次の朝に読みおわった。読みおわったけど、興奮していて眠る気にならず、二日ぶりに学校にいった。最初に仲良くなった奴から「昨日は何してたんだ?」と聞かれたので、「人間の条件を読んだ」と答えた。そう答えたら急に眠たくなって、校庭の芝生に転がった。・・・寒くて目がさめたら、もう夕闇が迫っていて、だれもいなかった。
 そうするうち、たしか19歳のとき⑬深瀬基寛の『エリオットの詩学』という小さな本にであった。エリオットはイギリスの詩人だが、そのことばは詩のことばであると同時に批評のことばでもある、そんな不思議な詩人だった。日本にはそういうタイプの人が少ない。山崎正和や先日なくなった井上ひさしが少し似ているかもしれないが、彼らは詩を書くのではなく、戯曲をつくっていた劇作家だ。
 『エリオットの詩学』を読み終えたとき、自分がこれからどういう生き方をしたらいいのか、呆然となっていた。それまで、子どものとき以来、親や先生や友人から、「あんたはヒネとる。」「あんたはかわっとる」と言われつづけていた。いや、オレはフツウだ、と思いつつ、「自分がほかの人間とはちがっている」ことが自分の心のよりどころ、みたいになっていた。その「よりどころ」を根こそぎ引っこぬかれてしまった。拠り所を引っこぬかれた若者は、オーソドックスなものを探すしかなくなった。以後40年間、Wはまだいまもオーソドックスなものを探しつづけているのだと思う。
 40年前に比べたら、今のほうがずっとオーソドックスになっている自分がいる。ただ、自分で自分を「だいぶオーソドックスになった」と思うようになると、その自分は、実は、世の中的には以前よりはるかに「変」になっているのに気づく。だから、まだまだ前に進むしかない。もっと、ほんとうにオーソドックスになるために。
 こんど出あうものは、なんだか、もう本ではない気がする。しかし、じゃ、それは何なのか、まだWには、かいもく見当がつかないでいる。

読書教材はここまでだったんだが、⑭をつけくわえないと、気が済まなくなった。
⑭『フィロソフィア・ヤポニカ』(中沢新一
それを読んでいるうちに、自分がしだいに変わっていくのを感じた。それも全面的に。自分の組成が変化しはじめているのを感じ取れたのだ。それまでの自分は、いわば「心をいれた袋」だった。いまの自分は、たとえば粘土を主成分としたかたまりだ。しかもその粘土はすこしずつ乾きはじめている。その感覚がなかなかこころよい。たぶん、この感覚は、よほどのことが起こらないかぎり変わるまい、ということに相当の自信がある。――こんなことを言うと、我が師板垣正夫は、「おまえのことば通りに聞いておいてやる」と言ってくれた。――先生もきっと粘土細工だったんですよ。


別件
 我が家の家主様が、民主党の政策に疑問を呈する文書をつくり、ファックスでおくった。その後また、賛成できないことが出来してファックスをおくろうとしたら、「着信拒否にされたみたいよ」。
 「ボクたちは、そんな話をききたいんじゃない。」はほんとうにまだ生き生きと息づいていたのだ、と感動的ですらあった。