文学は、絵画や彫刻や、音楽が単独ではできないことを、実現しようとしたのだと思う

GFへ
2010,5,11

 今日、坂口安吾文学のふるさと』を終えた。授業でとりあげたのは三度目。三度目の今回は、授業数3回で終えた。そのうち一回は生徒がよむ時間だったから、実際には2時間で終えたことになる。それくらいでちょうど良かったのかもしれない。
 授業をやっていて、今回気づいたことがあるので報告。
 昔、「近代人とは、鏡の中の自分に夢中になっている人たちのことかもしれない」と書いたことがあるが、今回感じたのは、「近代文学というのは、テーマ限定型の文学だったんだな」ということだった。そのテーマとは、「人の生き方」であったらしい。そのテーマにそったものが純文学で、それ以外のものは取り合ってもらえなかった。だから、小説家を目指す人たちは、いわば題詠をしていた気がする。
 坂口安吾という人は、本当はもっと深みのある人だった気がするのに。
 だって、そんな文学は、ただやせ細って骨と皮になった生き物にすぎまい。本来の文学は、もっとマナ的な、命の糧となるものだったはずだ。たとえば、『竹取物語』や『源氏物語』は、主人公のの生き方を表現しようとしたものなどではあるまい? (もうひとつふたつ例を出したいが思いつかない。)
 でも、「人の生き方」がテーマの最初の小説なら結構自信をもって言える。――『浮雲』だ。――それ以来、小説とはそういうものだ、と、たいていの人が思いこんでしまった。
 文学イクオール小説、という発想に違和感を覚えつづけたことの、ひとつの理由がやっと分かった気がした。いや、小説に限らない。近代以降の短歌も俳句も詩も、やたらと私小説的で、むしろ、私小説的でないと不誠実であるかのような感じで見られる。そんなふうに考えるのは、こっちがおかしいのかな?
 昔、「近代人というのは、自分に夢中になっている人たちのことかもしれない」と書いたのは、そういうことだったんだ、と思い至った。と言いつつ、三人の中でいちばん自分に夢中になっていたのは、誰あろう、この人自身だったんだけどね。
 それに、同じようなころ、「われわれの文学は、人間の尊厳にさわりたかったのだ」とも書いたのを覚えている。ということは、当時から似たようなことを考えてはいたらしい。
 しかし、もともとの文学が向かい合うべきは、人間ではなく。社会でもなく。世界だった。それも、社会的境界のある世界ではなく、もっと宇宙的な深みのある世界だった。そういう、われわれの前後左右、上下、自分の内側と外側、過去未来に広がっている場をどうやって表現するか。絵画にも彫刻にも、音楽にも単独ではできないことを、文学は単独でやろうとしたのだった。――そう信じている。
 そう書きながら「まなかひ」にうかんでいたのは、会津八一のかな書きの短歌だった。若いころ、読みづらくてたまらなかったあの人の歌が、今は自分の視覚に直接訴えてくる。音だけの世界がもっとも視覚的であるという、この逆説。
 文学って、ほんとうのところ何なのだろうね?
 
別件
 家に帰ってきたとき、我が家の絶滅危惧種が気色満面で報告したこと。
 おふくろさまの慰問に行っていたとき、家主さまが代わりにチビたちを散歩につれていった。
 茶色のプードルに出会って、「また、ウンコ大魔王が吠えかかったらいけない」と警戒していたのに、お互いに鼻をくっつけ合ってニオイを嗅いでいる。不思議ねぇ、と話しかけると、プードルをつれていた女の子が、「はい、もう何度か、おじいちゃんのときに会いましたから」