やっぱりフランク

 この2週間ほど、まともにものを考えていない。
 ひとつには、どうにも体調がよくなくて、禁煙していることもある。なにしろ、ぼーっとしている。が、そうなった理由は、2週間まえの独身の夜に、C・フランクのシンフォニーを聴いたせいではないか、という気がする。凄かった。何もかもぶち壊しになった爽快感があった。どういえばいいのか、「音楽」を聴いたのではなかった。何かに遭遇したのだ。立ち会ったのだ。
 もちろん、はじめて聴いたわけではない。前から好きだったし、アクロスへ聴きにいくチャンスもあったのだけれど、じっと椅子に座って聴いていられる自信がなかったので行かなかった。それくらい、体が動き出す。・・・・だけど、今回は、そんなものじゃなかった。他の曲までがぶっ飛んでしまったようだ。
 「歌になりそうなのに歌になりきれない」最初にフランクのピアノ曲、それからヴァイオリン曲を聴いたときの感想だった。それで30年ちかく聴き続けてきた。それからマリ=クレール・アランのオルガン、弦楽四重奏、どれも、オレたちのテーマ曲のように今も感じる。ちょうど、『パリは燃えているか』のように。(実は、どこか、似たフレーズもある。)だけど、別格になってしまった。
 もともと、管弦楽というのは、なんだか面倒臭くて、できるだけ聴かずにきたこととも関係があるのかもしれないが、今はもういい。これからしばらくは、同じチェコフィルの演奏を、こっそりと一人っきりのときに聴き続けるのだろう。聴き続けているうちに、また、自分の組成に変化が生じてくるのを感じるかも知れない。そのときは、(言語化できるのなら)あらためて報告します。

別件
 試験がちかづいて、生徒たちがいろんな質問にきていた。そのグループのなかで、後ろからただ聞いているやつがいる。
──お前は質問しなくていいのか?
──先生、ぼくは、まだ、何がわからないのかがわからないんです。
──それは、わかりはじめる入口にたどりついた、ということかもし  れんぞ。
 今日は、その生徒も質問にきた。
──やっと、間に合いかけたようだな。
──はあ。