いまから「正義」の話をしよう・・・・

教材から

 君は高速道路を走るバスの運転手だとします。その日、満員の客を乗せて、片側2車線の左側路線を時速100キロで走っていました。ところが前の車が急に停止しました。追突を避けるためにあなたは、右に急ハンドルを切り、追い越し車線に入って停止した車の横を通り過ぎようとしました。追い越し車線側にはスピードを上げた車がたまたまなく、車線変更がうまくできたと思った瞬間、停止した車から3人のこどもが追い越し車線側にとびだしてきました。
 いったん右に急ハンドルをきり、さらに左にハンドルをもどした瞬間のことでした。そのまま左にハンドルを切ったら確実に停車している車に追突します。もうブレーキは間に合いません。ハンドルを切らないかぎり子どもをひいてしまいます。ハンドルを再度右に切ったらバスは横転するかもしれません。横転しないまでも対向車線にとびだして衝突事故になる可能性大です。もちろん、横転もせず、対向車線からくる車が上手によけてくれて、無事に通り過ぎるという幸運がおこるかもしれません。
 運転手のあなたは次の瞬間ハンドルをどう切りますか? あるいはそのまま直進しますか?

 マイケル・サンデス『いまから「正義」の話をしよう』が出たと知って、図書館で購入するように頼んだ。
――夏休み前に間に合わせてくれる?
――1冊でいいですか?
 わが校の司書先生はじつに頭の回転がはやい。
――3冊頼めないかな?
――わかりました。もう1冊頼んでいますから、あと2冊追加します。
司書先生はすでにテレビをみて、目をつけていたのだ。
 自分もテレビですこし見た。その日の講義の主題は、45年前の田舎の高校生が議論していたこととほぼ同じようなことだった。そう思って見ると、ハーバード大の学生たちが45年前の高校生と同程度に感じた。たぶん、それはけっこう当たっている。わが日本だけでなく、世界中の先進国で精神的低年齢化が進んでいるのにちがいない。
 若者たちが自分たちで考えないのなら、センター試験にでないことでも、教育課程のメニューに加える必要がある。

 で、その本の前宣伝をかねて、――「××のぱくり」をやるぞ――最初の話をつくり、生徒に考えさせた。次々に質問がはじまる。
――にげ道をつくるな! 正面から考えろ!
 あとはほったらかしていて良かった。45年前の高校生同様にあちこちで話し合いをはじめている。
――先生が運転手ならどうしますか?
――もう判断できずに、そのまま真っすぐ行くだろうな。
――子どもが死にますよ。
――バスが追突して乗客に被害がでたり、横転したり、対向車線にとびだして衝突事故になったりするよりまだマシだ。
 教員はそういうスタンスをとるほうが良さそう。

 「正義」とは少しはずれた。しかし、生徒は「自分がその立場になったら」という臨場感を味わったらしい。あまりワイワイがつづくので、そのままにして授業が終わった。挨拶したあと、生徒が何人もまわりに集まってきた。
――先生はあんな経験がある?
――わたしはないけど、バスやトラックの運転手さんはヒヤっとしたことが何度もあるっちゃないかな。・・・・人生救われたぁち、感じたことがな。
――うん。
 教室をでがけに、いつもすぐ寝てしまう生徒がいちばん後ろの席から声をかけた。
――先生、また今日みたいな授業をしてよ。

別件
 辻征夫「手紙」(『くしゃみのしかた』)について
 作者の意図、の選択肢をひとつ増やした。
 ・われわれの世界はとじられている。・・・・われわれは球の表面で暮らしているように思っているが、じつは球の内側で生活しているのだ。