「いさよふ論理」について


GFへ
 前回だったか、日本人の論理は「たゆたふ論理」、「やすらふ論理」、「「いさよふ論理」なんだ、と書いてから、自分の考えている西洋の直線的論理と日本の論理とはどうちがうのか考えてみた。
いつも通り昔話からすると、高校生のとき、教科書を読んでいて、「コイツらはどうしてこんな変な物の考え方をするんだろう」と思った、というのは何度も話したことがあると思う。その「コイツら」とは誰のことだったのだろうと思い返すがさっぱり分からない。ただ、柳田国男は「コイツら」には入っていなかった。小林秀雄もちがっていたかもしれない。
 そのとき、「コイツらは書き言葉で考えるからこんなことになるんだ。オレは話ことばで考えてやる」と決心したことももう言った。もちろん弁証法などということばも知らなかったころの話だ。
 しかし、当時はとんでもない勘違いをしていたのだと分かったのは随分あとになってからだった。
 高校生時分に「コイツら」としか思えなかった人たちは、自分の結論に都合のいいことだけを持ち出して考えている、と思った。――それを帰納法というのだとは後に知ったことだ。――それでは何かを考えることにはならない。考えていった末、どういう結論になるか、考えているうちは本人にも分からないはずだ。それだけが考えていると呼べる行為だ。そうでないのなら、演繹法のほうがよほど男らしい。・・・先住民の息子はそう感じた。たぶん今もあまり変わっていない。・・・・
 そうではない。あの人たちは考えていたのではなく、ただ説明していたのだ。演繹法といい、帰納法といい、(たぶん、それらを克服したという弁証法とよばれていることも)それらは考える方法ではなく説明する方法にすぎない。それを自分に説明している場合を「考える」と呼んでいるにすぎない。
 じゃあその人たちは考えていないのかというと、全部ではないが、たぶん5パーセントの人たちは、自分がどこに到達するのかもおぼつかないままに、ほんとうに考えているのだ。そのまた5パーセントの人だけがその考えたあとを言語化できる。・・・・学生時代、森有正の『霧の朝』にとんでもない感動を覚えたのはそういうことだった、と今なら得心する。
 その思考の「おぼつかなさ」に耐えること。堂々巡りに陥ることを恐れず、「とりとめのない想念」「行きつ戻りつする論理」を解きほぐし解きほぐししながらそれでも前に進もうとし、明らかにしようとすること。自分はどこに行こうとしているのだろうという不安にさいなまれながらも、それでも「こっちが前だ」という自分の直感を信じて、その方角へ進んでいこうとすること。日本語でものを考えるにはそれしかない。少なくとも我々はその覚悟をして考えている・・・・はずだ。そうしていることに誇らしさを覚えるのでなければ「ふらう」はできなかった。・・・・よな?
 
別件
 玄関先の蝉の抜け殻が三つに増えた。後進の二匹も塀のてっぺんまでよじ登ってから旅だっている。もし夜中に、そのまた後輩たちがじりじりはい上がるところに立ち会えたら最高なんだけど。