「階層社会」について

GFへ

例によって、思い出話から。
 10数年前、日本語を学んでいるオーストラリアの大学生と話したことがある。日本人がすでに喪って久しい謙虚さを感じさせる若者で気持ちがよかった。「自分の学校の生徒は勉強しなくて困る。」というと、「大学の先生から、社会を支えているのは5%の人間だと、教わりました。たぶん、日本でも5%の生徒はしっかり頑張っているのだと思います。」と、こっちを励ますかのように言った。
 正確にいうと、わが生徒たちは勉強をしないのではなく、勉強とは受験勉強のことだと思いこんでいるのだ。そう思いこませたのは、大人の責任なのだが。
 先日、内田樹氏の文章が面白かったので送った。生徒たちにも「今のうちに読んでおけ。」と渡した。ほんとうのエリート教育が必要だ、という彼の考えには全面的に賛同する。(とは言え、戦争をしないでいい国のエリート教育がどんなものなのか、彼が真剣にイメージを浮かべようとしている風にも見えないが)それこそ5%の人間だけでいいのだ。それでもすべての若者に「自己犠牲の精神」の尊さを教える工夫がなさ過ぎる。「愛国心」教育といっしょで、国家を斉唱させれば教育したことになるわけではない。
 ただ、内田氏の文章のなかで、「階層社会では収入の多寡によってランク付けが可能だと信じられている」という意味の記述があった。・・・ちょっと待て。あなたは階層社会の実物を知らずに育っているんじゃないの?
 明治の日本は、開放経済に突入した30年ほど前の中国同様に、「豊かになれるものから先に豊かになる」方針をうちたてて富国強兵に邁進した。そして当然のごとく社会のなかでは経済格差が猛烈に拡大した。その格差は、身分社会だった時代とはケタがちがっていた。
 その延長上だった自分が生まれたころの日本は階層社会だった。それは、今の貨幣水準でおおざっぱにいうなら、1万円台で生活している階層と、10万円台で生活している階層と、100万円台で生活している階層とがいるという意味だった。1万円台でも当時は生活が成り立った。なぜなら、家にある電化製品といっても電球だけだったし、電話もないし、生活費の大半は食費だけですんだからだ。自分が育ったのは10万円台のいわゆる中流家庭だった。電話もあった。しかし、一日の小遣いが5円の時代に1通話10円の電話は畏れおおくて使えなかった。そのころ、ピアノやバイオリンのお稽古に通っている同級生や、家庭教師がついているという噂の同級生がいたが、彼らは特権階層のアンタッチャブルな存在だった。
 階層社会とは、自分が属していない他の階層と自分を比較することは無意味だと、人びとが思っている社会のことだ。
 今は違う。互いが互いを比較しあって満足したり、ひがみやねたみやたっかみを覚える社会は単層社会なのだ。既に1万円台で生活している家庭はいない。生活が成り立たない。最低でも1家族10万円台は必要だ。しかし、その10万円台で生活している家族でも車をもっていたり、ひとりずつが携帯電話をもっていたりする。それが当たり前の社会になった。
 一億総中流、と言われたのはもう50年くらい前。その後1980年代に入ると、すべての人が上流を目指しはじめたのではないかと見えた。それがいわゆるバブル期で、その後もう一度「豊かになれるものから先に豊かになる」小泉政策がはじまり、当然のごとくに格差は拡がった。ただそれは、過去の階層社会へとは向かわない。もう日本の人びとは「みんな同じ」でないと納得しないようになっている。いや、「同じでなければならぬ」現実は「同じだ」としか見ない。「同じにしか見えない」なかには当然皇室も含まれる。それが単層社会だ。それ以外は「ありえない」世界になってしまった。
 お前の言っているのは階級社会のことではないか? と言うかもしれないけれど、階級社会とは出自によって固定されている社会のことだ。先住民の息子が育ったのは、いつでも入れ替わりが可能な階層社会だった。
 たとえば、いわゆる労働者の家に生まれた先輩を知っている。彼は中卒で大手企業に就職し、肉体労働をしながら夜間の定時制高校に通った。その高校を卒業したあと、会社は彼をホワイトカラーとして採用し直した。彼の所得はたぶん大卒である先住民の息子の倍はあっただろう。じゃあ、もともと一緒に働いていた人びとは彼をやっかんだかというと、たぶんそうはしなかった。「あいつはもともとからオレたちとは全然ちがう人間だった」で片付けたにちがいない。
 今はちがう。ホワイトカラーであるAと、ブルーカラーであるBと、時間給で働いているCとは、いつ、どこででも入れ替わり可能なのだ。だから、やっかみやひがみやそねみが膨らんでいく。
 もし、それでもやはり今の日本は階層社会だというのなら、内田氏は自分をどの階層に属していると考えているのだろう?
 
 
別件
 絶滅危惧種が年に一度の単身旅行から帰ってきた。またとうぶん興奮がつづくだろう。「福岡は田舎やねぇ。」
 ただ自分が行きたくて名前を出した庭園美術館にも行ってきたという。「パンフレットを買うてきてやったよ。」
──庭も建物もべつに大したことなかった。人も少なくてゆっくり見られた。有元利夫ちあんまり人気がないっちゃないと? 絵も薄汚れとったし。
──わざと薄汚れさせとうと。
──ほうね?
 やはり一度ほんものを自分で見たい。ただ、見たらきっと欲しくなるだろう。べつに一枚の絵の必要はまったくない。試しに顔料を重ねたり削ったりしてみた一号の半分くらいの面積のもので充分なのだ。
 たぶん、先住民の息子と同じことを考えている人間が,
この日本に600人はいる。