北大津高校野球部

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迷うな。ひるむな。一歩もひくな。

残念ながら、わが夢の高校、嘉穂の校訓ではない。北大津高校野球部の合言葉らしい。彼らは「覚悟の野球」を追求していて、毎日、「4つの覚悟」を斉唱するのだという。そんな学校、あんな目をした高校生がいるのなら、まだまだ日本は大丈夫ですよ、陽子先生。――陽子先生とは、こんど大塚先生の初盆に一緒に同行することになった御歳80ほどの美しいかたで、例の「海道東征」のテープを送ったら、「小学生のときに歌わせられた。」と返事をくれたかたでもある。その陽子先生は皇太子の成婚のとき、「これで日本も大丈夫だ」と涙が出たというのだが、絶滅危惧種の息子には不幸の始まりにしか見えなかった。でも、大丈夫です。人民はぶれておりませんぞ。――このごろつくづく思うのだが、この男は女運、それも美しい女運にとびっきり恵まれているらしい。・・・もともと飯塚は八女とならんで、いい女の特産地ではあるんだけど。
 陽子先生のことをも少し書く。「ぎっこんばったん録」を送ったらすぐ電話をくれた。「男の人はいいね。ぼうっとしとるだけのように思っていたのに立派になるとやね。あなたもその一人よ。」「ぼうっとしていましたか?」「そうよ。」
 「ふらう」を送ったら、「いいものを作りましたね。私としては珍しく一気よみしてしまいました。これから改めてゆっくり読み返します。」と手紙をくれたのは報告した。・・・学生時代、急に会いたくなって横浜に行ったとき、今日は帰って来ないから晩御飯を食べて帰りなさいと、胡瓜の漬物とご飯を出してくれた方でもある。・・・あるとき「あら、弟子にしてもらえたのね。よかったねぇ。」と台所から声をかけられた。たぶん「酒をつげ。」とはじめて言われたときだろう。「うん。こいつは礼儀正しいからね。」
――ひるむな。
 幻の嘉穂高校でというよりは、横浜で先生から叩きこまれたこと。――言い返せ。オレに言い返してみろ。――「どう言い返すか、隣の部屋で考えてこい。」先住民の息子は、くそぉっと隣の部屋で大の字になったことしか覚えていないけれど、いま思えばなんという贅沢な青春を送っていたことだろう。――ぼうっとしているようにしか見えなかったのにね――
 
 昨夜は、ホークスの試合がつまらなくてチャンネルを変えると、坂東玉三郎が出ていた。「こんな男らしい男がまだ日本にいるのか。」しかも信じがたいほどに美しい。その美しさは写真ではけっして捕らえられない「動き」のなかにある。10数年前ダブリンの美術館で、たしかプルーマーという人の絵を見た。誰かに声をかけられて振り向こうとしかけた一瞬と思われる女の、、、表情ではなく風情。――映画やテレビをストップさせてもこの風情は出てこないと感じたものが玉三郎の動きのなかにある。――信子に電話したら、「そうなの。あの人はだんだん美しくなってくるの。」――単に「芸」という言葉で済ませたくない、ほんものの男の色気を見た。

 男らしさとか女らしさというものは、とても逆説的なものなのだと思う。マーガレット・サッチャーが、「その前では少女のように振る舞っていた」というレーガンは、ものすごくおんな度が高い人に見えた。サッチャー自身は、やたらと女臭くてそばには寄りたくなかった。オレがそのの匂いにうっとりした女の人は、ブレジンスキーの次の国務長官だったオルブライト。それから、韓国の卓球選手キム・キョンア。
 そうすると、いまだに「お嫁さんにしたい」日本の女には出会っていないのかなぁ。

 今朝のテレビでは、フリーマーケットで売られているイコンを修復保存しているウクライナの女医が出ていた。もともとイコンが好きだ。とくに黒いマリア。その由来を何かで読んだ気がするが忘れてしまった。・・・彼女は数千にもなったそのイコンを公開するための美術館の建設をはじめている。「蝋燭の光でイコンをみる、パンの匂いのする美術館」を作るのだという。見に行きたくなってしまった。
 昨日みせてもらった産経新聞には石原慎太郎が寄稿していた。もうボケている人の意見なぞ載せなければいいのにと思う。そのなかで、一神教うしの争いごとのひどさに触れている。それはいい。たしかに酷いすぎるし、はた迷惑だとも思う。(それがどこまで「宗教的」なものかには?をつけておくが)ただ、「人間が発明した神」という。そんな軽々しいことを口にしなさんな。人間に神を発明できるわけがない。・・・発見したんです。ただ、当然のことながら発見したとき「神」という言葉はなかった。だから、自分たちが発見したものが何なのか、人々は困惑した。困惑したあげくに「神」という言葉を創った。人間が発明したのはその言葉にすぎない。
 ユダヤ教的になるが、人々はその昔、遠い遠い闇の奥にひとつの光点を見いだした。その光点が何なのか、人々は知りたいと思った。それで、ともかくその光点を「カミ」と呼ぶことにした。が、その「カミ」がどういうものか人々にはわからなかった。人々の冒険がそれから始まる。その冒険はまだ始まったばかりだ。気楽にものを言うな。自分にわからなかいことは、ちゃんと「わからない」と言え。小澤一郎と石原慎太郎の知的レベルはみごとに同じだ。――やっぱエリート教育は必要なんだけどなぁ。

 北大津高校の次の試合をみよう。また勝ったら今度は「四つの覚悟」のなかみを教えてくれるかもしれない。

                2010,8,8