洲うた―1―


GFへ

 ずいぶん前から、ぐちゃぐちゃ言っている戯曲だか小説だか雑文だか訳の分からないものの題名が決まったので、ともかく報告します。
 『洲(しま)うた』
 題名だけはなかなか高尚になった。「しま」は「島」でもあるが、もともとの日本語の「しま」は、ある区切られた空間をさすのだと思う。だから、ひめろぎに囲まれた空間も「しま」だし、標野も「しま」だし、白砂を敷きつめた空間も「しま」だった。もちろん水で区切られた空間も「しま」である。ヤクザの方々は今でも陸のうえにそれぞれ自分たちの「しま」をもっておる。
 その、或るひとつの「洲」のイメージを書きたい。いや、残しておきたい。それを残そうとした人のことを書きたい。――もちろんその人がわが先生だ。
 ぼちぼち何度もその話はしたことと思う。(何度話しても話しおわった気がしないのです。)
 かれは福岡に復員した。船で出会った二日市の男が、「好きなだけいていい。」というので、そのまま数ヶ月をそこで過ごした。たぶん、酒だけはいつも手に入ったのだろう。・・・後年、「世話になった家がまだあるかどうか探せ。」と言われたので聞いて回ったが、わからなかった。・・・そこで、たぶん(なんでも多分だが)「お国がほろんだ」あと、どんな生き方をすべきか、鬱々と思い悩んでいたにちがいない。
 かれの文章のなかに、自分がなぜ学徒出陣を選んだのかを、じつに真摯に考えたものがある。(もう決して読み返すまいと決めているから、すべてはうろ覚えで話す。――いま持っている先生の本を、いずれどこに預けるか、そろそろまじめに考えねばならない。消えてしまっていいものではない。)その結論は「スポーツマンシップの発露だった。」とある。かれは右翼でも国粋主義者でもない。むしろその対極に居つづけていた人だ。
 福岡に上陸してどれくらい経ってからか、たぶん台湾以来の同級生から「出て来ないか」と連絡が届いた。住所は三鷹だった。
 同級生の住んでいるバラックは、隣の若夫婦の睦言がつつぬけで聞こえてくるような安普請だった。
 「どうするつもりか。」と聞かれて、「大学に戻ろうかと考えている。」と答えると、「お前はあそこがまだ学問の府だとでも思っているのか。」と言い返されされた。もちろん「あそこ」とは東大のことだ。「そうじゃないこと位はもう分かってはいた。」
 酒を飲み飲み話された先生の話をつなぎ合わせると次のようになる。
 のちに、山口組の顧問弁護士になった同級生は、さらに永平寺に入門した。――「やめとけ、と言ったんだが。」というのが先生のつぶやきだった。
 ひと晩中話し込み、結局、先生は自分が再度日本の土を踏んだ福岡からやり直す道を選んだ。それ以外にはなんの縁もなかった土地を選んだことは、先生にとって最高に幸運だった、と、先住民の息子は確信をもって評しておく。先住民の息子だけの考えではない。数ヶ月前あった人たちも、「あんな幸せな男はおらんばい。もう死んで10年以上になるとに、まるでまだどこかで生きとるごと話す男たちがこげんおるとやもん。」と言っていた。
 「そろそろ飯塚に戻っていらっしゃいませんか?」少し気になることが起こりはじめたとき、偉そうに手紙に書いた。珍しくすぐ返事が届いた。「オレに帰るところはない。」帰るとするなら生まれ故郷の台北。しかしそこはもう外国でしかない。「いや、オレたちには言わんけど、一度台湾に行ったごとあるぞ。」台北一中文芸部の仲間と会ったのだろうか。
 先生の話をもとにするのだから、舞台は植民地台湾であるべきなんだが、まったく知らない土地なので、『洲うた』の舞台は多少は見知っている朝鮮の小学校に設定する。そこで朝鮮人の子どもたちと日本人の子どもたちとが一本の劇を上演しようとする。それは学芸会の企画として地元の子どもが書いた「日本創世」の話だ。教師はそれを不敬だとして許可しない。義憤に駆られた一部の日本人の子どもたちは、地元の子どもたちと結託して、その「最初の天皇」の劇をひそかに上演する。その首謀者の二人が焼け野が原の東京で再会をはたす。そんな話に変えたい。
 実際に先生を三鷹に呼んだのはジャパニーズだった。が、たしかその人の思い出話のなかに、中学の文芸誌への掲載がボツになったのを怒って、「採用された作品よりオレのもののほうが優れている。お前ら文芸部の幹部は差別主義者だ。」とねじ込んできた現地の少年がいた。のちにその男は邱永漢という名で世間に知られるようになった、とあった。だから登場人物を入れ換えようと思うのにはそれなりの根拠がないわけでもない。

 ひと晩中話し込んだあと、二人は外に出た。先生を呼んだ男がこう言った。
――そうだ。毎朝ここをこの国のチビが車で通る。どうだ、ひとつチビを励ましてやろうか?
――そりゃいい考えだ。ぜひそうしよう。
 しばらく待っていると、黒塗りの車が通りかかった。
「ふたりで敬礼するとな、チビのやつ手を振りやがった。」
 それを書きたい。いや残したい。
 その前はこういうことにしよう。

――オレは福岡に戻る。そこからやり直す。この国のガキどもをもう一度育てなおす。
――この国はもう芯から腐っているぜ。育てなおせるか。
――芯の腐っていない国がどこかにあるのか? お前の国だってお伽話のなかの国じゃあるまい。それに芯は腐ってても外側はあんがい新鮮だってことがありそうな気がしてきた。
――それが二等兵になった余禄か?
――まあな。
――相変わらず甘ちゃんだな。
――ふん。飢え死するまで甘ちゃんのままで通してやる。
――おお、やってみろ。
――お前はどうする? 祖国に帰るか?
――なに言ってやがる。いまさらどの面さげて帰られるかってんだ。オレはいったんは自分の意志で日本兵であることを選んだ男だ。今度はここで、解放された側の人間のふりをして、デッカイ顔でのさばってやる。
――ちぇっ、ちっぽけな意地を張りやがって。
――なにぬかす。ちっせぇのはお前らの根性だ。国がほろんだくらいでウヂウヂするな。そんなこたぁ、こちとらはお前らのお陰でとっくの昔に経験済みよ。
 そうだ、実はな、毎朝この道をお前らの国のボウズが通学するんだ。車のなかでしょぼくれやがっててな。ところがこの国の連中ときたら知らんぷりさ。情けねぇったらありゃしねぇ。どうだ、オレたちの再会記念の朝だ。ひとつボウズを励ましてやろうぜ。
――そりゃいい考えだ。お前も励ましてくれるのか?
――あたりきよ。人類愛の精神はお前たちがあそこでがオレに示してくれた。
――よし。整列。番号。
――いち。
――に。
 まだ復員服のままの二人は胸をはって並ぶ。ちいさな黒塗りの車がとことこ近づいてくる。
――気をつけ。頭右。
――この国の困難な未来に対して
――敬礼。
 ふたりに気がついて、お付きのものが制しようとするのも聞かず窓を開けて手を振る少年。その手が朝焼けの空に上っていって・・・・(幕)

別件
・たふれたるけものの骨の朽ちる夜も呼吸つまるばかり花散りつづく
・手のひらに死んだふりする昆虫をのせて草生の陽に照らされる
 行儀正しいその死にまねにこっそりと本物の死がすりかへられよ
・雪原に孤絶の點となりし鳥生き物のさびしさにむしろ猟銃が欲し
・白きうさぎ雪の山から出でてきて殺されたれば眼を開き居り
後鳥羽院』を読みつつ、斎藤史の歌を思い出した。保田與重郎のいうとおりだ。これらの歌はもう世界で二番目に短い小説なのだ。そして、世界一美しい小説なのだと思う。
・定住の家を持たねば朝に夕にシシリィの薔薇マジョルカの花