硫黄島戦記

GFへ

 やっと夜がすごしやすくなってきた。とは言え、明日は台風がくるかもしれないという。そのあとでも秋らしくなってくれればいいのだが。
 今年の盆休みは、ほとんどスカパーをつけっぱなしでウツラウツラし続けていた。番組は戦争特集の実写もの。うえに上がってきた絶滅危惧種はそのたびに「またこげなものを見よる。」という。その「こげなもの」を見飽きなかった。
 たとえば、硫黄島。2万人ちかくの日本兵を殺すあいだに、6800人以上のアメリカ人が死んだ。負傷者を加えれば、日本以上の損耗数ということになる。その上陸作戦は艦砲射撃で日本軍を沈黙させたあとにおこなわれるピクニックのようなものになる予定だった。だから、アメリカ軍は史上初めての戦争の実況中継をするつもりでスタッフも一緒に上陸舟艇で先乗りしていた。しかし、もちろん、実況中継するどころではなかった。
 実はその後、アメリカ軍は同じ過ちを何度も繰り返している。それも硫黄島と違って、もう制空権も制海権も握って完全に孤立させた戦略的にはなんの価値もない島に海兵隊を上陸させてその度に多大の損害をだした。その最たるものが万単位の死者を出した沖縄上陸作戦だ。
 これまで日本軍の戦略の稚拙さばかりが気になっていたが、実はアメリカ側も、あまりにも無駄な戦争をおこなったのだな、ということを知った。
 ヨーロッパ戦線と太平洋戦線は、まったく性格のちがうものだったのに、日本人じたいがいっしょくたに考えすぎる。
 そのウツラウツラのなかで、あと二つ意外なものをみた。
 ひとつは、東条英機内閣組閣のニュース映画だ。時は昭和16年。それももう10月かそこらだったのではないか。いわゆる戦時体制内閣で大臣になった連中が、実にうれしそうな顔で写っている。嬉しくなさそうなのは東郷外相くらいなものだ。他の者たちは実際に大臣になれたことが嬉しかったのだと見える。しかもその表情たるや、そこら辺の年金生活者にも一度出番が回ってきたという風情で、ただのそこら辺のオイサンたちと何も変わらないイイ顔なのだ。・・・・今に限ったことじゃない。昔から日本の政治家はそんな程度だったんだ。だから、軍人たちから軽んじられていた。
 指名されたとき、家に帰った東条英機が「自分には無理だ」と泣いたという話がある。家族が書いているんだから信用する。ただ、だからと言って、なんの同情もわかない。東条英機戦争犯罪人である前に、国家を亡国においこんだ、無責任な公務員なのだ。そんなただの公務員しかもう人材がいなかったのだろう。
 あとひとつ意外だったのは上陸作戦をおこなったアメリ海兵隊員の大半が白人だったということだ。カメラマンが白人ばかり撮影したというわけではあるまい。たぶん、じっさいに太平洋戦争初期の海兵隊員は白人の集団だったのではないか。
 理由は両方からある気がする。
 あの戦争は白人たちの戦争であって、当時の黒人にとっては他人事に近かった。
 いっぽう、軍にとっても、黒人の忠誠心に信用がおけなかった。
当時のアメリカは、たぶんまだ、そういう段階だったのだと見える。

別件
 運動会が終わった。いつも大抵そうだが、「まあ、よかったか」という気になっている。
 仮装行列は、「パンツ一枚になってください。それ以上脱げとは言いません。」その上から冬の下着の上下を着せられて、赤い腹巻きをつけさせられて、「金太郎」ならぬ、「禁煙太郎」にさせられた。
 終わったあと、もとの服を取ってきてから言ったことはふたつ。
――来年になったら、本当に禁煙してください。
――下着は、先生が老人ホームに入るとき用にプレゼントしますから、大事に取っておいてください。
運動会終了後、「××の母でございます。」という人が現れて、
――すいませーん。息子たちが大変失礼をいたしました。下着を買いに行かせられたのは私です。
 ま、いいか。