地唄教授

GFへ

 こんど絶滅危惧種が『地唄教授』の看板を出すことになった。お前には向かんと思うよと言ったが、決心は固い。「今のままでは伝統が途絶えてしまう。」
 8月初には東京まで人間国宝の跡継ぎの演奏を聴きにいった。「まだまだ未熟やった。」先日は大分へ日帰りで若手の尺八を聞きにいった。「上手やけど、まるで曲弾きみたいで情緒も何もない。どれくらいゆっくり弾けるかが勝負なのに。」・・・・そのことより、聴衆に若者がほとんどいないという現状に危機感を抱いている。
 あとひとつの理由をぽつぽつ話した。
 「このごろやっと基礎ちゃ何かが分かってきた。私は30年も回り道してしもうた。折角やろうという人がいたら、私と同じ回り道をさせとうない。先生―いま教わっている人―も、基礎を体系的に教えようとせん。」だから、私がやる、というのだ。その心意気やよし。・・・「ばってん、普通の人は続かんぞ。すぐ飽きてしまう。」「うん。そいきね、琴や三味線のレンタルをすることにした。それやったらすぐやめる人も損せんやろ。」月1500円で貸すのだそうだ。なかなかのアイディアウーマンではある。
 大抵のことは、その基礎さえ仕込まれたら、あとは自分で先に進める。
 学生時代に大学のそばのYMCAで韓国語を習い始めたとき、一回だけ代理で教えにきた人がいた。なにしろ先生たちはみな留学生がボランティアでやっていたのだから、そういうことが時々あった。あるときは、先生の体が空かないからと、その奥さんがかわりに現れたことがある。この人は声楽家で、向こうの歌曲をいくつも歌ってくれた。そのうちの一曲が気に入って何度もうたってもらった。おかげで今でも歌える。あるとき若い韓国人のまえで歌ったら、「そんな歌知らん。」という。日本でいうなら『兎追いし』のような歌だと思っていたんだけど。
 代理に来た人は、「日本人の発音は聞き分けにくくて困る。」という。そこで、韓国語の発音だけをもう一度口移しで教え直してくれた。「韓国人と同じ発音が出来なくてもいいんです。たとえば開母音と閉母音とを自分なりに区別して発音すれば、現地の人の方が聞き分けてくれます。」このアドバイスは韓国語や英語のみならず、いろんな物ごとに取り組むときの重大なヒントになった。
 いま思い出したけど、もとからの先生自体が基礎的な発音ばかりを数ヶ月にわたってみっちり仕込んでくれた。が、その間に生徒はぼろぼろ減り、半年も経つと(そこらへんで先住民の息子もやめたんだけど)10人くらいになっていた。「毎年こうなんです。それも残るのは大抵日本人ばかり。日本人のほうが外国語を学ぶという意識が強いからだと思います。」
 なにをやるにも基礎が大事だという理屈はみな納得する。が、基礎を身につけることは面白くないし、面倒くさい。だから、面白いことを先にする。・・・・第一、われわれの教えようとしていたことの基礎ってなんだ?
 教育産業に携わっていた者として(もうOBみたいな口をきいているが)、これからでもいいから考えてみたい。

別件
 老人ホームのKさん(100歳)の部屋に先週も今週も家族が集まっている。もう何ヶ月も前から、二日に一度目をさます、という状態になっていた。多分それが段々と不規則になっているのだろう。
 母親が入居してあまり時間が経っていないころ、帰ろうとすると、「おい、おい。」と大きな声をかける。そうか、と思って「また来ます。」とKさんに言うと、「うん」。どこか、いいところの奥様だったという感じの人で、「オレも部下かなにかに加えてくれたんだな。」と思った。
 今年の正月、自宅からもどってきたKさんの第一声は「死のうごたった!!」だった。もうあの老人ホームが安住の地になっているのだ。
 少しまえ、Kさんの部屋で物音がした。介護士さん(そこは9人の入居者に対して常時、最低4人の介護士さんがいる。)の二人が同時に「Kさん、大丈夫ですか!?」と部屋に入ろうとしたら、「来んでよか!」ものすごい大声だった。「わあ、叱られた!」居間にいるみんなで大笑いをした。
 来週行ったときに、また声を聞けたらいいんだけど。