杵の音&ムーザ&三味線


GFへ
 今日は、「大相撲は伝統芸能だ。」の続きです。
 子どもの頃、大相撲中継をドキドキしながら聴いていた。もちろんまだラジオに時代です。なぜドキドキだったかというと、好きになった栃錦はもう全盛期を過ぎていることを分かっていたからです。(たぶん既にあのころからマイナー指向だったのだな。)もちろん全盛期だったのは、この間なくなった初代若乃花。異常に強かった。ある時など後ろから抱きつかれたのに動かず、最後には相手を自分の前に引きずり込んで勝負をつけてしまった。強かっただけでなく、人気が凄かった。のちの「巨人・大鵬・卵焼き」どころではなかった。ラジオ放送を聴いていて、「ワアーッ」という大歓声が聞こえて来たとき、アナウンサーが言った「これは時間いっぱいではありません。」若乃花が入場してきた歓声だというのだ。それくらい人気があった。斜め前の野菜屋のおばちゃんは、その「ワアーッ」が聞こえ始めたら、お客さんに「ちょっと待ってね。」相撲が終わるまで商売は中止だった。(何年前になるか、たまたま家に帰りかけたとき、腰がまがって手が地面につきそうなお婆ちゃんが我が家の前でウロウロしている。「おばちゃん!!」父親に線香をあげようと来てくれていたのだった。「お父さんが亡くなったことにも気づかんで暮らしよった。情けなか。」)
 なかなか本題に入れないが、のちに入門した曙に「こうならなきゃ強くなれないぞ」と親方がもと栃錦の足の親指を拝ませたことがあるという。「いやだ。強くなりたくない。」栃錦の足の親指は完全に変形していた。・・・・俗に、「砂をかむ」という。足の親指を土俵の砂に食い込ませるのだそうだ。相手に後ろにつかれても動かなかった若乃花の親指は、さしずめ土俵に突き刺さっていたのだろう。
 その話を読んで、「ほんとうかなぁ」と思っていたが、あるとき納得した。たまたま畳の座敷で晩飯を食っていたとき、隣に幕内力士が座った。その親指が他の指の5倍か10倍に見えた。ともかく異常な大きさだった。「ここまでなってもまだ幕尻か。」・・・・曙が恐怖を感じた指を見たかった。・・・・ともかくそんな訳で、足袋をはいている幕内力士がいる今の大相撲をバカにしている。
 そのラジオ放送のなかで一番好きだったのは、実は取り組みではない。幕内力士の入場だった。西からか東からかは知らないが、なにしろ交互に入場する。そのとき杵の音(きのね)が聞こえてくる。「キーン。キーン。」そして退場し始めると反対側の力士たちが入場する。「キーン。コン。キーン。コン。」高くて長い杵の音と、低くて短い杵の音とが交互に聞こえ、そのうち「コ、キン。コ、キン。」と重なり合い、さらに「コン。キーン。コン。キーン。」と音が擦れ違っていく。名人芸という以外の言い方を思いつかない美しさだった。それをアナウンサーは「杵の音がコウサクします。」と説明する。「コウサク」の漢字は浮かばなかったが、意味は正確に分かっていた。
 その「杵の音の交錯」が今はもうない。ただ、「カーン。カーン。」だけで、つまり盆踊りの太鼓よりも単調だ。あのころは呼び出しといえどもすごい伝統芸能保持者だった。その名人芸の伝統がどこかで途絶えたのだ。そして、ただのスポーツになりかけている。
 白黒映画の『西鶴一代女』や『歌行燈』の三味線を聴いて感動したのも、その、音と音の重なり合いの絶妙さだった。実に不思議な間合いで音が重なる。あんな名人が何人もいたとも考えられないから、あのふたつの映画の三味線は同じ人だったのかもしれない。
 実は、(まだ聴きつづけているんだが)ムーザ・ルバッキーテのフランクはその三味線に匹敵する。あるいは、昔の大相撲の「杵の音の交錯」を呼び起こさせる。たぶん、西ヨーロッパにはあの独特の(まるで弾き損ないかけたのかと感じるほど微妙にずれる)間合いの文化はない。リトアニアには西欧とはちがう感性が育まれているのかもしれない。・・・・そんなことを考えているのです。
 もし、ルバッキーテが東京にきてフランクを弾く、という情報が入ったら、久しぶりで飛行機に乗って出かける。絶滅危惧種と暮らしはじめて以来、そういう贅沢を一度もしていない。もうそろそろいいだろう。

別件
 加藤陽子『それでも日本人は「戦争」を選んだ』を読み始めたばかりで、はやくも宣伝して回っている。(1年間で代16刷。『ふらう』とはえらい違いだ。あれは一般性がまったくない本だもんなぁ。)
生徒に宣伝する本は、ハーバード大学『正義』以来だ。2冊の共通点は、具体例につぐ具体例から普遍へジャンプすること。
 ちょうどそんな昨日、小学校のときの同級生から自家製の絵はがきが届いた。(こいつは、小学生のとき百円玉を拾って交番に届けたら警官が「ありがとう。」というだけなので不信感を持ち、「一割よこせ。」と要求したという面白い男だ。警察官はなにかブツブツ言ったけど、ちゃんと10円渡したそうだ。)いま大佛次郎天皇の世紀』を読んでいるという。「面白すぎてもったいないから、通勤の電車の中だけで読むことにした。」なにしろ67まで働くというのだから、(経済的なこともあるだろうが、何より仕事が面白いのだと思う)通勤用の楽しみを常備しておくのは、なかなかいいアイディアだと思う。