大相撲はアマチュアスポーツではなく伝統芸能だ―3―

 前回だか前々回だかに紹介した、栃錦の足の親指をみて「強くなりたくない。」と言った若者は、曙じゃなくて高見山ジェシィー君だったかもしれない。そうじゃないと時代が合わない。

 白鵬54連勝。
 千代の富士を抜いちゃった。こうなったら今場所も全勝して、九州場所双葉山の記録に挑戦していただきやしょう。たいていのことがそうだけど、可能性のあるときに実現しておかないと、「またあとで」は成り立たないままになる。
 が、白鵬に抜かれた千代の富士の強さも半端じゃなかった。
 その全盛期、同じく全盛期だった小錦を胸で受け止めたことがある。まるで、ぶつかり稽古を見ているようだった。たぶんその日は小錦が勝つ順番になっていたのだろう。ところが、あの、他の相手ならいっぺんで土俵の外にもっていってしまう小錦が押しても千代の富士は動かない。何度も足を滑らせながら必死に押して、やっとズルッ。それからズルッ。そして、ズルッ、ズル、ズル。「千代の富士ちゃこんなに強いのか」と思った者は多かったはずだ。だから、引退のとき、親方の北の富士の「ぼくは今でも彼がいちばん強いと思っています。」という言葉を素直に聞いた。
 えー。今日の話題は、千代の富士でも小錦でもなくて、「大相撲はアマチュアスポーツではなく伝統芸能だ」の第3回です。
 今までにみた相撲でいちばん迫力があったのは、その「小錦が勝つ番」の相撲だった。それに比べたら、今日の54連勝目の相撲なんて、へっぴり腰でじたばたして見ちゃいられなかった。でも、それがほんとうの「真剣勝負」なのだと思うよ。
 第一、栃若いらい、大鵬のときも、千代の富士のときも、横綱に対して、飛んだり跳ねたり、蹴たぐったり、張り手かましたりした者はひとりもいなかったはずだ。そんなことをしたら生きていけないのが大相撲の世界だったのだと思う。が、その後、横綱への敬意もへったくれもない真剣勝負の格闘技を挑む格下が現れても、親方どもは知らん顔。その時代がしばらく続いて今がある。――つまり、それが全共闘世代の時代だったのです。――
 甲子園で松井秀喜が敬遠されて大騒ぎになったのは、もう20年以上前だ。あのとき、マスコミなどの言い分を聞いていると、まるで、ヨーイドンではじめる「一対一の真剣勝負という八百長」を見たかったように聞こえた。そんなもん「野球」じゃないでしょ? それは「伝統芸能」である大相撲にこそふさわしい。
 魁皇は今日も負けた。明日も負けて、引退を発表することになるだろう。あるいは今夜にも、そのニュースを聞くかもしれない。が、もし、明日土俵に上がるなら、魁皇も相手も、まともからぶつかり合って勝負をつけてほしいと思う。・・・・それって八百長なのではなく異能という「芸」を見せることなのだと思う。
 今場所の後半。琴欧洲やバルトが真っ向からつき押しだけで勝負をつけようとする姿をみたい。そうして「大相撲」を復活させてほしい。栃若時代のように何分も動かない相撲や、取り直しになるような悠長な相撲が見たい。飛んだり跳ねたりはもういいよ。

別件
 昨日の答えは、
 増税したために突然、有権者が倍に増えて、政党政治への動きを加速させることになってしまった。
 でした。
 なお、「亀の背中の飲み物」のほうは、小学校にあがったばかりのモトカズがくれた、ひらがなだけで書かれたハガキの内容です。