禁煙2週間経過。そろそろ限界

GFへ
 今朝、びっくりすることがあったので、早速の報告。ただし、例によって昔ばなしから。
 いずれ体が動きにくくなったら、『ヒトと暮らせば』という犬たちのつぶやきをはじめようと思っているが、それくらい彼らとの毎日は面白い。
 今いるナデナデ姫ピッピとウンコ大魔王ガロは、「どちらもオレの子なのに、どうしてこんなに性格が違うのだろう」と不思議になる。 ピッピは子どもの時から、自分の意思をこっちに伝えようとした。ご飯が食べたくなったら棚のところに行って顎をしゃくってみせる。まだ仕事が忙しくてあまり相手をしてやれなかったころ、朝起き出したとたんにハモニカが置かれているテーブルまで連れていって顎をしゃくる。吹いてやると一生懸命に合唱する。おとうさんと遊べずに寂しくてたまらなかったんだろう。「じゃピッピ、おとうさんは今日もお仕事ね。」
 外に出たくなったら吠えて気をひき、「行こう」とアイコンタクトをとりながら玄関にいく。一度はそのままドアに横顔をぶつけてしまった。おかあさんからこっぴどく怒られたらしょげかえる。ただし納得のいかないときは、おかあさんの眼をじーっと見ながら抗議のオシッコをする。あるとき田中絹恵の評伝を読んでいたら、「いっしょに暮らしていた男の目を見ながら畳におしっこをした」という件りに出会って感動してしまった。「ピッピなみだ。」いや、ピッピが大女優なみだ。
 散歩の途中で進もうとせずに「いやっ」をしたとたんに首輪がすっぽ抜けたりすると、バツの悪そうな表情になってそのまま首輪をつけてくれるまでじっとしている。一方ガロはそんな時、「それっ!!」と飛びだして行って戻ってこない。一度などは掃除があっていたらしい家の玄関から飛び込んで、勝手口から飛びだしてきた。
――すみませーん。
――いいえぇ。
 最近ではガロも少し賢くなって、何か頼みたいことがあるときは、お父さんの足をなめて気を引くようにはなった。

 と、ここまで書いて、やっと今朝の話。あとは短い。
 休みの朝の定番である大回りコースを半周したところで、ピッピが綱をくわえているのに気づいた。これは「進路を変えたい」か「帰ろう」の意思表示である。まわりを見回しても恐そうな犬はどこにもいない。(以前は、ダンプカーが近づいてきたら、さっさとUターンしたことがあった。)ま、いいか。そのまま返りのコースに入ったけど急ぐ様子もない。「帰ろう」のときは大体安心できるところまでは急ぎ足になるのです。
 で、団地までもどってきた所でやっと気がついた。首輪がはずれかけていたのだ。
――ピッピ、お前偉いねぇ。さすがお父さんの娘やねぇ。


別件
 秋分の日前の数日間の暑さは尋常じゃなかった。
 その間、糸島半島に沈む夕日の大きさはタダゴトとは思えない。もうそのままこの世を山の向こうの海に引きずり込んでしまうのではないかと思うほどだった。
 が、多分、この何千年かずっと、この時期の太陽はタダゴトではない姿を我々に見せつづけていたのだろう。
 その「タダゴトではない夕日」のあとの月は・・・・美しかったなぁ。
別件の別件
 山小屋で高橋治『くさぐさの花』(朝日文庫)を拾い読みしていたら、――この本を拾い読みしはじめて何年になるか。全然飽きない。それでいて最初から終わりまで読み通そうという気にはならない。十年後も同じことをしていそうな気がする。――作曲家の富田勲が「心中してもいい」と言った日本酒の話が出ていた。そこから先は次回の話柄に取っておく。