I am on my way from myself to myself


GFへ
 また今週も飯塚に来ている。
 なにかないかと、2階にある弟の本棚をながめに行った。20数年間ほったらかしにしていた本棚である。中薗英助『裸者たちの国境』(昭和50年初版)。開いてみると、まだ読んでいない。さまざまの国のさまざまな事情を抱えた人間たちが日本から船でソ連にいく話。・・・・あいつはこんなものを読んでいたのか・・・・。いや、たしか、『夜よ、シンバルを鳴らせ』も、弟の本棚から抜き取って読んだのだった気がする。・・・・考えてみると、弟とゆっくり話したのは、まだ学生時代に「長崎から伊王島にいく。」と言ったとき、いたずらっぽい顔をして、「よし、ついて行こう。」とむりやり同行した時が最後だったかもしれない。その夜は長崎の宿で、遅くまで昔話をした。しかし、次の機会にその話の続きをしようとしたときは、すっと話を逸らした。あいつのなかで何かが変わっていたのだろうと思う。
――あたし、あなたに案内したいところがあります。ウィーンへいく途中。ポーランドオシフィエンチムですわ。行きますか?
――どこへでも行ってみたいね。ぼくはどうせ途上人間なんだから。
――トジョウ人間? 
 主人公の日本人は深夜に電話をかけてきたエステルに英語で説明する。
――I am on my way from myself to myself.
 あのとき長崎に行こうとした旅は、まさしくそんなインナートリップだった。弟によるとその車中では、「腹がたってくるほど」なにもしゃべらなかったという。
 今度じっくり読むからな。
――あたしたちが行ってみようとするところは、以前、アウシュヴィッツと呼んでいたところですわ。
――アウシュヴィッツ
 
 こんど発行することになる『ぐこう 大塚一敏追悼号』のあとがきがやっとできた。そのなかに、「同志」池田晶子の死を知った斎藤慶典のことばを引こうと思う。 
「・・・思考はつねに死者との対話であり、かつそのたびごとの(「瞬間」である)蘇生と覚醒である。・・・・その思考に向き合いながらみずからの思考の言葉を語り出す以外に、遺された者に可能な応答の言葉は・・・ない。」

別件
 老人ホームのKさんが亡くなった。99歳。静かな最期だったという。
 昨日の老人ホームでは、なにごともなかったような日常が始まっていた。そのほうがごくごく自然だ。
 先月の家族会のとき、スタッフのリーダーであるYさんが「いつか家族の方々でどこかに出かけるという企画もあっていい気がします。」と言っていた。ほんとうに、いつか、FさんやKさんの家族といっしょにバス旅行でもできたらいい。もちろんその時は、引退したヘルパーさんたちも誘おう。