ことばの力─2─

GFへ
 Fはまた金山湖のプチホテルに行ったとか。
 Gは島根県
 小学校一年生のときの同級生からは、──これからもたびたび登場しそうだから、MKと呼ぶことにする。──「嫁さんとイギリスに行ってきた」というメールが届いた。
 われらが団塊の世代はいまあわてて個人生活をとりもどそうとしている時期なんだな。
──そうよ。行けるうちに行っとかな。
 先住民の息子は11月はじめに、福岡市国語科の教員たちと奈良にセンチメンタルジャーニーに出かける予定。このメンバーは、「いまどきの日本にまだこんな人種が生き残っていたのか。」と思うほどの絶滅危惧種ばかりなのです。そういう人種たちのための駆け込み寺として、学校はこれからも必要だ。
 前回、40年まえに朝日新聞の、「現行の自衛隊は非武装という憲法の範囲内で合憲という憲法解釈にし、現行憲法を護ろう」という社説に出会って、感慨深かったという話をした。もう少しその話をしたい。
 なぜ感慨深かったのかというと、それ以前、「自衛隊違憲だ」と言っていたとき、朝日新聞にとって「自衛隊」という現実は存在していなかったことになるからだ。自衛隊員たちが「税金泥棒!」と罵声を浴びせられていた時代のことだ。彼らは現実ではなく、幽霊だったのだ。
 唐突に話を大きくするが、いま中近東の国々にとってイスラエルという現実が存在しないように。中華人民共和国にとって台湾という現実は存在しないように。──「尖閣列島に領土問題は存在しない」という発言は、そんな話とは全然別の次元のことのように思うが──
 べつにデカい話ばかりではない。たぶん、われわれひとりひとりにとっても、そういう「存在していない現実」が無数にあるはずだ。
 Gへの内緒話だが、たとえば、共通の友人のNさんなんて、そのタイプの典型に見える。でも、じつはヒトゴトではない。むしろ、そういう現実があまり見えないようにわれわれは創られている気がしている。ユウレイでしかない現実の種類が人それぞれに違っているだけかもしれない。
 現実を現実として見るほうが得なのか損なのかは分からないけど。
・・・「尖閣列島は日米条約の範囲内だ」とアメリカの高官が発言した、という新聞の見出しが気になって読んでみた。かれはそんなことは一言も言っていない。「日本が実効支配している範囲内は」と言ったのだ。いまの日本は尖閣列島周辺を実効支配しておるのかな?

別件
 浦歌無子さんから電話がかかってきた。辻征夫の詩と似たものを感じる、というと、
──わたし、あの方の詩が好きなんです。ですから、そう言っていただけるのは嬉しいです。
 電話の声はじつに魅力的だった。いつか、こっそり彼女の自作の朗読を聴きにいくのを楽しみにしておこう。