高橋治『蕪村春秋』より

GFへ
 バス停のベンチに腰をおろして読んでいるうちに「これは報告せにゃいかん」と感じるところがあったので、本日の以下は高橋治の抜き書きのみ。

「  端居して妻子(つまこ)を避(さく)る暑さかな
 わかる。そんなことを言うと、メール・ショービニスト、つまり男性優位主義者の烙印を押されかねない世の中である。しかし、なにがたまらないといって、子どもの走り回る姿と、理の通らない女の繰り言くらい暑苦しいものはない。
 それを露骨に口にしたり態度に出したりしようものなら、不満と批判を独特の屈折した論理で補強した雑言が、奔流のごとく襲いかかって来かねない。揚げ句は望みもしない口論になる。で、賢明な選択をして、団扇片手にそっと視野の外側に出る。
 といって、安心しきっているわけではない。一人、縁を切った形が、いつテキの攻撃の矢にさらされるかわかったものではない。庶民の現実と願望のくい違いが、端然と整った句の底に鮮やかに描出されている。俳諧なのである。」

別件
 たぶん、その前日か何かの衣更えになったばかりの時、ネクタイをはずしている生徒に注意したら、「暑苦しいとやもん。」という。
──おまえはもともと顔じたいが暑苦しいっタイ。そのうえ服装まで暑苦しかったらどげんするとか!
──・・・・そんなこと、先生からだけは言われたくない!