「自由」ということ

GFへ

 NHKBSで今度スティーブ・マクイーンの特集をするそうで、その予告編があっている。『大脱走』や『パピヨン』のイメージがつよすぎるのかもしれないが、40年前のかれは「自由」のシンボルみたいな感じがあって、なんだか眩しかった。それは多分、役柄からのみの印象なのではなく、あの人自身にそんな要素があったのだろう。
 べつだん自分を不自由だと感じていたわけではない。むしろ始めて得た自由を満喫しすぎていたくらいだ。だから、政治的スローガンの「自由」というものがピンとこなかった。ただ、自由すぎていつの間にか迷いこんだ自分のなかから出られなくなったようになった時期があったから、先住民の息子のとっての自由というと、その「自分」から解放されることを意味していたかもしれない。そう考えれば、堂々と自分を表にだしているかのようなマクイーンはやはり眩しい存在だったのだろう。

 たぶん同じ話を何度もすることになるが、そのころ好きになった韓国女性が「はやく国に帰りたい。」というのでびっくりして、――金大中事件があったあとのことだ――彼女の国を見に行った。たまたま泊まったソウルのユースホステルで、ベトナム帰還兵と相部屋になった。かれは自分の育った町に戻ったあとおかしくなって、オーストラリアに移った。おなじく参戦していた国でもベトナムとそう離れていないオーストラリアのほうが帰還兵に親切だったそうだ。「そこでためた金で旅行をしている。」金がなくなったらどうするんだと聞くと「東京で英語の教師にでもなるかな。」と笑った。
 その男に、「沖縄に行ったとき、同じ国内なのにパスポートが必要だった。」というと、「行かれたんならいいじゃないか。」と言う。「韓国もドイツも行き来ができないんだ。」言われてはじめて、そうか、と思った。
 その後、別のユースホステルに泊まったとき、ソウル大学梨花女子大のサークルが合宿をしているたので合流させてもらった。かれらは口々に「自由が欲しい」という。じゃ、その自由って何から自由になることなのか、と問うと、少し間があって、「この国を出たい。」と一人が言うと皆うなづく。・・・・エリートの卵たちが国を出たがっているこの国は大変なんだなと思った。もちろん敗戦後の日本のエリートの卵たちも似たようなものだったのかもしれないが、韓国の若者には一旦出たらもう戻ってきたくないという真剣な雰囲気があったのだ。
 日本でもそう考える人たちはいる。ペルーの大統領だった藤森さんはこんな国にいてやるもんかと日本を飛び出したんだ、と自信満々で断言した人がいる。そうかもしれないと思った。が、大半の日本人はいまもこのフウタヌルい国でたいした緊張感を持たずに生きるほうを選んでいる。たぶんそんな生活のなかに自由があるのだ。
 先日、日本で暮らしている、ずっと若い韓国人からメールが届いた。「同級生たちはまだ、国を出たい、と言ってます。」とある。なにかあの国にはいまだに息苦しいところがあるのだろう。
 少し前、「ハイデッガーの自由意志は挫折した」と書いた。カントにとって光輝であったこと、フッサールのおいては救いであったことがハイデッガーにとってはただの挫折になる。その原因を考えた。
 ハイデッガーにとって、つまり20世紀の人間にとっての自由とは過去からの自由だったのではないか。やっとわれわれは本当に自由な未来のイメージを手に入れたのだった。それはハイデッガーにとって、一切の付帯条件なしのアプリオリに人間に備わっている輝かしいものの発見だった。問題はそこから生じる。
 人間は、自分がもともと自由だったのだと発見した。それは未来のみが生きる場所であるということだった。ということは楽園から追放されたときの裸の状態に逆戻りしてしまったことになる。人間を人間たらしめている自由とは、人間がまた全てとの関係を失って裸体になることだった。そんな20世紀人の自画像は、一時期日本ではやった「新人類」とか「宇宙人」とかいう相貌に近かっただろう。
 その状況のなかでハイデッガーは渾身の力を尽くして「自由意志」を行使しようとする。その目的はただひとつ、過去との関係を回復することだった。これは完全なパラドックスだ。かれはせっかく発見した自らの自由を行使して、自分の意志で不自由を選ぼうとしている。その不自由に向かう過程にこそ本当の完全な自由がある。――が、人間とはもともとそんなパラドクシカルな存在なのだ。
 もちろん先住民の息子は本を読みもせずにただ考えている。だから、ハイデッガー自身がそう考えていたかどうかは全く知らない。しかし、ポケットにハイデッガーを忍ばせて戦場に向かったドイツの若者たちは、そのようにハイデッガーを読んだのではなかったか。・・・「そこでなら命を落とせる。」・・・そう考えたとき、ハンナ・アレントの「人間のことが分かっている男がほかに誰がいるの?」という言葉の意味も解ける気がする。

 ここまで辿りついて先住民の息子はやっと、はじめて歴史に参画する端緒を得ることができたような気がしている。つまり、「ここ」がどこかという感覚が具わりかけた気がしはじめた。ただの錯覚なのかもしれないけれど。

別件
 日曜日にこれを母親の部屋で書いていると、母親が入ってきて言った。
――ね、あんたの名前は何ちゅうとね!?