庄司紗矢香というマレビト

GFへ
 夏休みから積み残しになっていた仕事が一段落して、肩が軽くなった。ついでに昨日はわが明治が慶應に7年ぶりの勝利。次回帝京に勝ったら、早稲田と全勝対決となる。さらに本日は、ロッテが6対1でリードしたから、もう安心して「お寝み」。――ドラフト会議のとき、スーツを着た西村をみた。ただのオジンだった。ユニフォームを着ているときとえらい違いだ。――明後日は朝6時に起きて奈良への第1回目のセンチメンタル・ジャーニーに出発する。少しずつ先が見えてきた。
 庄司紗矢香を聴いていて、モノラル・レコードに耳を傾けている気分になったことについて考えていた。・・・たぶん次のようなことなのではないだろうか。
 あれは室内楽の音だったのだ。
 室内楽はもともと演奏者たち自身が楽しむためのものだったはずだ。聴き手を想定するにしてもせいぜい数十人だっただろう。
 むかし読んだ岸恵子の回想記によると、結婚相手の両親は音楽家で、当時の世界的音楽家たちが――あれはシャンピ家だったかに――演奏旅行の途中で立ち寄って、商売用ではない自分たちにとって一番快い曲を合奏して楽しんでいた。あるとき、「レコード化してみないか」という話が舞い込んで、試しに録音したが、その音を聴いて、「こんなもの音楽じゃない」とレコードをだすのを拒んだという。室内楽というのは――義理の母親は声楽家だったと記憶しているが――そういう音楽家自身のためのものだと考えている。
 つまり、自分たち耳にもっとも快く響く音。庄司紗矢香とイタリアのピアニスト――好ましかった――は大会場に響く音ではなく、そういう作曲者が想定していたであろう音を奏でた。それを聴いた先住民の息子は、あたかもSPレコードを聴いているような気分になった。彼女たちの意図は生かされた。・・・・どうも、そういうことなんじゃないかなぁ。
 その音を聴きながら、「もう、フランクを弾く準備はできているんだけどなあ。」と思ったのが、はたして弾いてくれるだろうか。

別件
 その日、庄司紗矢香は浅葱色のワンピース――というのが正しいのかどうか――を着ていた。その姿をみていると、「この人は百済人の末裔なのかな。いや安南人かもしれない。」などという妄想がわいてきた。ついでに、「いっそのこと敗戦後すぐ、日本はあたらしい国になったんだと、国名を百済にすればよかったのに。」と妄想が広がった。いまからでも遅くないかもしれない。