鶏頭の・・・・

    鶏頭の十四五本もありぬべし  正岡子規
「 この句を支えているものは、純真無垢の心の状態が掴みとった一小宇宙の明瞭な認識であって、そこには何の混乱も曇りもない。十四五本の強健頑丈な植物の群立が病子規の消えなんとする生命を圧倒すると西東三鬼は言う。これは「自己の生の深処に触れた」という誓子説の延長に述べられたもので、面白い意見だが、死までまだ三年を余す子規をあまりに瀕死においこんでいるきらいがある。むしろ面白すぎる説である。「あわれ、鶏頭は十四五本もあるであろうか」と言う誓子があまりに病者の感傷にもたれすぎているのと同じように、三鬼も病者の論理を前提に置きすぎている。だが僕がこの句から受け取るものは、反対に健康さそのものであり、死病の床にあってもなお生きよう凝視めよう描こうというたくましい意志だ。無骨に強健を誇る鶏頭に、子規の生命は圧倒されてもおびやかされてもいないし、まして狂っても混乱してもいないのである。むしろそのたくましさに子規の生命は憑り移っている。両者がたがいに映発し合って一体なのだ。それが子規の句の無邪気さであり、健康さであり、たくましさなのだ。」                     ──山本健吉──
Gの故郷は人材の豊庫であるようですな。
 
 生徒用に20年以上まえのセンター試験をめくっていたらこの文章に出会った。その年は新聞を見もしなかったらしい。
 読みはじめてギョッとなった。筆者の言う通りだ。山口誓子や西東三鬼はなにを読もうとしたのだろう。子規の俳句には何か深淵で重たい意味があるはずだと思いこんでいたのか。深淵で重たいものが含まれているものが文学で、俳句も当然そうであるべきだと信じこんでいたのか・・・・なるほど、子規以降の俳句が17音の私小説に変わっていったわけだな。
 子規の俳句の生命力は、その明るい諧謔にある。健康さにある。自己と対象との微妙な距離感や重なりあいが醸し出すおかしみにある。その精神は「痰一斗糸瓜の水も間に合わず」まで、健全なまま続いている。──明治の人間には勝てん──青春時代にいちばん感じたのはそういうことだった。いわば、自分自身をなにものかの道具であるとみなし、そうみなせることに充足感を抱く。(その「なにものか」は、◎主かもしれないし、○道であったり、×教であるかもしれないし、そのときどきの社会的体制や家である場合もあるだろう。)・・・「無私の精神」とはそういうことでしょ?

 別件的になるが、小学校の教科書に「いくたびも雪の深さをたづねけり」が載っていた。
 久々に降った雪に興奮して、「今日は外に出ちゃだめ」と言われたのに作者は、親の目を盗んでは何度も庭に降り、自分の足で雪の深さを確かめている。
 いや、作者は布団から起き上がれなかったんだと教えられた時は、がっかりしてしまった。・・・・いまでもその時の自分の頭を「でも、いい鑑賞ができたね。」と撫でてやりたくなる。

      凧きのふの空の有り所    蕪村
 授業でやるときは、いつもまず、点線で凧と糸を書いてから説明していた。「昨日、凧が高々と上っていたのはあの辺かな・・・。」
 ところが高橋治によると、圧倒的に凧を見上げての句だという人が多いのだという。尾形仂、山本健吉麻生磯次萩原朔太郎中村草田男。そのなかで、高橋治はあえて異見を述べている。さて、GやFはどっち派ですか? 今度あったときに教えてください。

 『蕪村春秋』の後書きに、尾形仂が山本健吉のことばを引用していた。
──蕪村を一度でも好きになったことのない人というのは、ぼくは信用しない。
 
本当の別件
 白毫寺、長谷寺、、、等々、奈良・明日香は大満足だった。特に長谷寺は感動的ですらあった。が、それはまた別の機会に。なにしろ月曜日から熱を出して歩くのもつらい。