ニッチとしての日本はもうい行きづまった

GFへ                11月24日午後
 前回、「創造性豊かな人材は、ブルーカラー下士官など地下人の世界に息づいているはずだ」と書いたことが気になるので、続きを書きます。なにしろまだ興奮がおさまらないのです。(そのなんという心地よさ)
 「明治時代の日本のほうがましだった。」という人がいます。「明治時代のリーダーを見習え」という人もいます。が、その人たちは、当時の日本が世界史的には吹けば飛ぶような小国だったことを忘れています。それを産業界ではニッチ(隙間産業)と呼びます。面倒くさいので今日は、その「小国」的なことを、すべてニッチと呼ぶことにします。
 たとえば、吉野家は牛丼という単品販売の店を展開して大成功しました。が、全国規模になるにつれて単品販売が行き詰まり、品種を増やし始めました。そうなると必然的に1品種の利益率が下がりジリ貧傾向に陥りました。ダイエーに至っては、ゲリラ的商法で大企業に成長したのですが、成長したことによってニッチ型が行き詰まり倒産してしまいました。一方、パナソニックは、もともと「マツダ」ブランドの電球であてましたが、その後、総合家電メーカー「ナショナル」へと発展し、創業者の手を離れたところでブランド名じたいをパナソニックに変えました。世界的大企業になるためには輸出用のブランド名に統一する必要があったのです。ホンダは原動機付き自転車からはじめました。(私はその、自転車に取り付けた原動機がペダルを踏んで動き出すとパタパタ鳴り始めるのを不思議そうにみていた子どもの最後の世代だと思います)そのホンダが四輪車を発売するとき、周囲は興味津々を通り越して、固唾を呑んで見守りました。ニッチから大企業へ変身できるかどうか、さなぎが蝶に孵るかどうか。それは歴史的興亡に見えたからです。ホンダはその後、さまざまに叩かれましたが、みごと世界的大企業になりました。
 いま、「いずれ韓国からもGDPで日本は追い越されるだろう」という話があります。私はそうはなるまいと思っていますが、あるいはそうなるかもしれません。しかし、もしそうなったらその時が韓国最大のピンチだろうと想像しています。なぜなら、いまの韓国の産業全体がニッチだからです。
 ニッチである間のリーダーは単細胞ですむのです。明治の政治的リーダーは富国強兵に邁進すればすみました。戦後の吉田茂たちも産業復興だけですみました。極端にいえば、「富国強兵だけじゃだめだ。」とか、「大企業だけじゃだめだ。アメリカだけじゃだめだ。」という人びとを無視する心の強ささえあればリーダーが勤まったのです。東郷元帥や山本五十六をヒーローに祭り上げる向きもありますが、私は自分の考える歴史的リーダーたちの文脈のなかに彼らを置きたいと思います。かれらも単品型のニッチのリーダーでした。
 もう「富国強兵」を批判する愚かな学者は無視しましょう。その分、地下人としての怨みは持ち続けましょう。その怨みは前述の学者たちにも向けていましょう。一方、70年安保のとき、「日米条約をちゃんと読んで批判しているのか。あの条約は一方的に日本に有利な条約なんだ」と自民党の政治家がテレビで発言しているのを聞いてギョッとなりました。なぜならその点をこそ(少なくともわっちは)批判していたのですから。第一、その「有利」さとは、文字通り商売的な儲けしか意味していません。彼の言っていることは、「日本はニッチのままでいよう」というのと同じことだったのです。しかしその時、日本はアメリカの半分、英仏独を合わせたよりも大きいGDPになりかけていました。それなのに、その国のリーダーはまだニッチ的発想から抜け出せないでいたのです。
 日本が、小国から大国になりかけたとき、リーダーたちは思考停止に陥りました。どうすればいいのか、日本はどういう振る舞い方をすればいいのか分からなかったのです。けっきょくのところ、日本は小国的発想にもとづいてあの大戦争を起こし、そして、亡国へとひた走りに進みました。敗戦後、ニッチからやり直してまた大国になりかけながら、日本人はニッチ的発想のマニュフェストを連発する政党を選びました。国民じたいがまだニッチ的発想を後生大事に変えようとしないのです。
 こんど、政府はミャンマーから圧迫されつづけている少数民族カレンの難民を受け入れることにしたのだそうです。そのこと自体には(万単位ならその影響を考えてみますが)特に賛成も反対もありません。ただ、なぜカレンの人びとがミャンマーから圧迫を受けているのかの単純な歴史的理由だけは知っています。イギリスはビルマミャンマー)を統治するにあたって、少数民族カレンの人びとを、ちょうどインドのグルカのように、イギリスと多数派の現地の人びととの間におき、彼らを使って間接統治を行いました。だから日本軍が進駐したとき、カレンの人びとはイギリスと同一行動をとりミャンマーの平地から姿を消しました。日本軍はカレン兵の剽悍さに苦戦したようですが、それは、平地にいたときミャンマーの人々に対してとった苛酷さを想像するに足りたようです。(もっとも日本兵が恐れたのはグルカ兵です。それはもう日本兵には、獰猛としか映らなかったようです。)もし、カレンの人々が平地に残っていたら強烈な報復に見舞われていたでしょう。歴史はその後、アウンサン・スーチーの父親のように、日本に協力し、日本の金と教育で軍を育てながら、いざ出軍を要請されたあと、「敵は本能寺にあり」とUターンしてイギリスの先鋒として日本軍を攻めた人びとによって、ミャンマーが独立を取り戻すことになりました。アウンサン将軍たちの判断はミャンマーにとって正しかったと思います。しかし、彼らにはカレンの人々を受け入れる気はなかったようです。
 だいぶ前になりますが、カレンの難民キャンプでボランティアをしていた女の子が、「カレンの人たちは英語も上手なレベルの高い人たちなんです。」と説明しているのを聞いて、違和感を覚えました。英語が話せることは、ミャンマーでは、日本語が話せる台湾人や韓国人のように、自国に同化しにくい存在なのです。
 イギリスが、インドやミャンマーに公式謝罪をしたという話は聞きません。カレンやグルカの人びとを秘かに援助しているという話も聞きません。たぶん、イギリスに忠誠を果たしたと評価された少数の人々はいまイギリス国籍になっているでしょう。それがイギリス流の責任の取り方なのです。が、大多数の人々はただ置き去りになりました。日本もまた、イギリス流の施策を実行しました。それに乗るかどうかは彼らの自由に任せたのですからイギリスよりはもっとオープンだったと思います。そのことを、われわれは誇っていいのです。
 いつも通り、横道にばかり滑っています。しかし、小国にもどろう、ニッチのほうが楽だ、という発想はもうはっきり捨てるべきです。日本は好もうが好むまいがもう経済的にも文化面でも大国なのです。(「軍事力ゼロの大国があるのか?」と質問されたら、「世界史上はじめてのリスクの大きい実験にこの国は挑戦しているんだ!」と一応言い返すことにします。もう限界なのではないかという気がしはじめてはいますが。)それなりの責任を果たすべき立場にいます。その責任の大きなひとつが、「輸入を増やす」ことなのだと思います。輸入をふやすために必要なのが経済規模の拡大です。経済規模の拡大に必要なのが内需の拡大です。そして、お金が円滑に世界を巡っていくように、身銭を切ることです。損して得をとる、ことです。そのための方策を具体的に提言している藻谷浩介氏のような人物こそ、国士とよぶにふさわしい人だと思います。

別件
 もはや、地方の商店街は、虫食い状態を通り越して、開いている店のほうが目立つようになってきた。それは地方だけじゃなくて都会でも同様なんだと、この間だれかからか聞いた。都会の事情は今回の『「デフレ」の正体』である程度分かった気がしている。地方の場合は、購買者の減少よりも、イオンに代表される大型店の進出による所が大きかった気がする。売り場面積の拡大がいいことだったのかどうか、まだ疑問に思う。なぜなら、人の流れがなくなったからだ。ただ、現実はさらに先に進んでいる。
 近くに「安売り王」を名乗るスーパーが進出してきた。絶滅危惧種によると、ともかく安い。しかも、安かろう悪かろうではなく、生鮮食料品が安くて、新しい。もう年金生活に入るのだから家計をきりつめなくてはならないと、魚をまるごと買ってきて自分でさばく。(信たんの出刃包丁が大活躍し始めた。有りがとさん。)小ぶりだが鯖2匹が198円。カレイ2枚が200円。大きめの鰯3匹で199円。どれも旨い。毎日たいへんな贅沢をさせてもらっている。
──もう、ほかのスーパーはつぶれるよ。
 現に、「イオンは安い」という話をとんと聞かない。が、ちょっと待て。もし、「安売り王」が一人勝ちして競争相手がいなくなったら、あとは平気で値上げをするかも知れない。(もうその時は老人ホームかも知れないけれど。)いや、その時はまた、新たな挑戦者が現れるさ。
 この話、まだ続きそうです。