自分の力で生きている、という誇り

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井上呉服店のこと

 前々回だったか、一昔前はサラリーマンよりは自営業の人や自由労働者が多かった、という話をした。ただし、統計資料を見たわけではない。育った場所が商店街だったし、すぐそばにあった住友系の炭鉱で働いていた多くの人は自由労働者だったからそう思っているだけかもしれないが、こういう自分の勘は信じることにしている。実際に、ひとまわり上のイトコの話では、大学卒業後の就職先を探しているとき、田舎の市役所の初任給が4500円と分かって、とても家族を養えないと地元にもどるのを断念したと言っていた。また、一流大学を卒業して一流企業に就職した7歳年上の兄も、最初の手取りは7500円だったと笑っていたから、サラリーマン天国ではあっても一年目から天国だったわけではない。
 育った家のすぐ近くに、井上さんという呉服屋さんがあった。そのおじいちゃんは、小学校を出たらすぐ丁稚奉公に行かされた。幾つかの商店で修業をしている途中で赤紙がきて兵隊になり、南方で九死に一生を得て帰ってきた。
――あたしゃ、運が良かったですもんな。ものすごい艦砲射撃を喰ろうて防空壕に逃げ込んどったら上官たちが来て、「お前たちは出ていけ。」ちゅうとですたい。周りを見回したら二等兵はあたしたちだけですもん。しかたなしに外に出て岩陰に隠れとったら防空壕に直撃弾ですばい。みんな死んでしまいました。そげなことがあってから、一等兵のもんが、「お前には運がついとるごたる。いっしょに行動させてくれ。」ち言いますもん。良かよちゅうて、海を渡って隣の島に逃げようちゅうことになったときも、ふたりで竹を浮輪代わりにして泳ぎました。ほかに何人助かったもんがおったか良う知りまっせん。何せもう部隊も組織もあったもんじゃなかったですもんな。
 戦友とはそういうものなのだろう。先住民の息子にも、中年になってから、「オレは子供のとき、あんたの家に何度も行ったことがある。」という人に出会った経験がある。父親が先住民の部下で、飯塚の近くに用事がある度にその人を連れていって、息子をかつての上司に見せていたのだという。
 井上さんは復員したあと、人が地場企業の麻生産業を紹介してくれた。麻生太郎の会社だ。
――面接のとき、給料はいくらかち聞きましたら月○○円ち言いますもん。「それくらいなら子供相手の店をやっても稼げる気がする」ちゅうて断りました。
 井上さんは丁稚時代の経験を生かして、和服の古着屋を始めた。竹の子生活の時代だから古着はいくらでもあった。その市でめぼしいものを選んで買ってくると飛ぶように売れた。
――とうとう、あたしが選んどる周りに同業者が集まってくるごとなりましてな。
 絶滅危惧種の「福の神」永江さんの息子が古着屋をもう三軒も出した、という話を聞いたとき思い出したのが井上さんの話だった。
 金銭的なこともあったろう。しかし、それ以上に、一昔前には、人から雇われるのではなく、己の才覚で自由な生き方をすることに誇りを持っている独立心旺盛な人たちが大勢いたのだ。(『坂の上の雲』時代に、一生をひとつの職場で過ごした人が何割いただろう。)ほんとうは今もいるはずなのに、世の中の仕組みがそれを許さない。
 もう10年以上前になるが、イギリスをうろついたとき、小さな住宅地ごとに食料品がおもな個人商店があった。それより小さな集落には、大型のワゴン車にガラスばりの冷蔵庫を積みこんだ立派な巡回式商店が回ってきているのに出合って、おばちゃんたちと一緒に中を見せてもらった。「これだったらセブンイレブンが出てくる幕はないな。」と感じた。その後、進出したという記事を読んだ記憶があるが、大苦戦をしていることだろう。もともと、ただ「サンドイッチ」と頼んだら、塩もマヨネーズも辛子もついていない代物を出すような国で(これはわっちの失敗談)、全国一律の味など通用するはずがないのだ。(ただしこれは願望で、都会ではマクドナルドが大繁盛していたけど)
 たぶん、イギリスは大型店舗の進出を規制している。あるいは、営業時間も規制している。そうして独立した個人を守っているし、国民もそれを支持している。個人の独立を守るためなら、少々の不便や金銭的不利は我慢する。そういうところがあの人たちにはある気がする。
 日本だって、何十軒かの家があれば、その集落にはよろず屋が一軒かならずあった。そこには、たとえば「魚は木曜日に入荷します。肉は金曜日です。」という札がかかっていた。もし欲しいものがないときは、「こんど仕入れときます。」と言ってくれた。その店の値段が今のコンビニより特に高かったとは覚えていない。
 もちろん日本のそんな時代の貧しい人の貧しさは今とは桁ちがいだった。だから何も「昔のほうが良かった。」という話をしたいんじゃない。が、就職というと雇われることで、「正規雇用じゃないとあとが大変だぞ。」と言うしかない今の社会はどこか不健康に感じる。もっと生き生きした流動性のある社会を創ることは夢物語ではないはずだし、独立した労働者が「鼓腹撃壌」する社会だって創造できるはずなのだ。もちろん自由で独立した生き方にはリスクが伴うのは当たり前で、だから勇気をつちかうことが重要なのだが。

別件
 村田喜代子『耳の塔』の印刷を頼んだ。印刷係の女の子(もう中学生の子どもあり)が、にこにこしながら話かけてきた。
──もう、そんな季節になったんですね。
 卒業してゆく生徒たちに毎回渡してきたのを覚えていたのだ。
 小論文の添削をしている生徒にも課題として渡す。
──先住民の息子はなぜこの小説が好きなのか、考えてみよ。