日本人という世界遺産

 若いころ日本人の描いた抽象画を見ていて、どこか具象画のしっぽを引きずっている気がして、もどかしさをおぼえてイライラした。もどかしさを覚えたということは、「いっそんこと、オレが描いちゃろか。」という気分になったというほどの意味だ。それくらい切なさを覚えた。が、一方、韓国や中国の現代絵画を見ていると、ただツルっとしていて、何も感じない。──日本と中韓はこんなにも異質なのか。・・・
 またもや飽きもせず高校時代の話になるが、面白い女の子と知り合いになって、そいつが「美術部の作品展と見にいこう」と強引に誘い出した。そして、一枚の抽象画のまえに連れていって、そこに立っている男に、「ねぇ、この人たちに自分の絵の意味を説明しなさいよ。」・・・・しばらく黙っていた男は、「言葉で説明できるくらいなら、オレは絵やら描かん。」と言い返した。色も形もこうということができない絵だった。その男の風貌はもうぼやけているのだが、あれが小鶴幸一だったんじゃなかったのかと思い始めている。彼は、「フランスに行ってくる。」と家を飛び出したまま帰ってこず、地元に残った弟は「あんな兄貴をもったら、家族はオオゴトですよ。」とぼやいていた。
 が、フランスの何かで賞をとり、日本中の美術館がその絵を欲しがるようになった。今では数千万するという。もはや「画伯」である。その絵は線と原色だけのミロを思わせるような画風でありながら、どこか禁欲的で、一度会ったら、「お前、あんな絵ばかり描いていて何か面白いか?」と訊いてみたいくらいだった。ところが、帰国後の絵をみると、どこか色気を感じるようになって気に入っている。しかし、その色気がどこから来ているのだろうと考えているうちに、はたと気づいた。
 日本の伝統的な色の組合わせを感じさせるのだ。
──あいつでも伝統回帰をするのか。
 日本人は、4代まえがどこで何をしていたのかさえ知らない人が多いのに、過去と縁を切った進み方ができない。かえって、家系図聖典のように守っている韓国人や中国人のほうが、実にすっきりした「現代絵画」を描く。が、この日本人は、そういう絵には何も感じない。
 李ウファンという日本在住の韓国人画家がいる。かれは今や世界的画家になっている。その絵は、なにか毛筆の書を連想するような緊張感のある空間と線や点がめだち、どこか良寛を彷彿させる。(他にも韓国や中国に、あんな強い線や点の書があるのかもしれないが、知らない。)だったら、良寛の複製でいいからその方が欲しいと先住民の息子は思う。(もともと彼のことはその文章で知った。『出会いを求めて』。あと一冊はなんといったろう。あんなに韓国のにおいのするものは他になかった。)
 まるで衣装を着せられた鼠のように、過去というしっぽをひきずって、しかも洋服を着て生きている人たち。母親の顔も知らないのに、その干からびたへその緒を、自分が人類の一員であることを証拠立てる唯一の証であるかのように、後生大事にしている人たち。だから、いつまでたっても一人前の大人になれずにいる人たち。先住民の息子には、日本人はそんな人たちに見える。その人たちの痛みなら、何処までも自分の痛みとして、受け止めることができる。この列島の人々の末裔たちは世界遺産そのものなのだと思う。

別件
 一般クラスで、期末考査範囲の授業をはじめた。「姥捨て」が佳境にはいると、教室全体が、まるで息を殺しているかのような、異様な静けさに陥った。この国の少年たちにはまだ脈があるぞ。