バーンスタインのマーラー

GFへ
 まずは、前回言い残したこと。
 よみがえりに必要なことで大事なこと、いまの人々が嫌いがちなことが、あとひとつあった。・・・繰り返すことだ。G流にいうなら、「年輪のように同じ経験を積み重ねること」。ほんとうの内側からの輝きはその積み重ねから生まれる。
 なのに、「頭のいい方々」は、繰り返しを嫌がる。繰り返すことは愚かな人間たちのすることだと思いこんでいる。その「大卒」という頭のいい方々がまだ増え続けている。

 12月11日(土)
 前日から体が重くてしかたなかったので、一日自宅でごろごろして過ごした。昼飯を食っているうちに目がふさがってきたので、あとは布団の中。
 だいぶ前に録画していた、バーンスタインマーラーをつける。9番だった。なんだか俳優が登場しないミュージカルみたいだなぁと思っているうちに眠ってしまっていた。・・・ふと意識がもどると、バーンスタインが話をしている。「この曲(9番の第4楽章をさしているのか?)は、西洋的な生への意思と、東洋的な瞑想――自分が宇宙の一部になるというイメージ――との相克で進んでいきます。マーラーの西洋は東洋的な死に激しくあらがいます。しかし、最後にはそれを受け入れるのです。それは、きわめて単純な表現で示されます。音がひとつひとつ消えて次第になくなっていくのです。」
 そういえばまだ、『復活』の作者を調べていなかった。西洋と日本の中間と感じたのは、それほどはずれてはいなかった気がする。

 別件的になるが、演奏していたウィーン・フィルを見てると、楽団員のほとんはユダヤ系じゃないのかと感じた。1971年のフィルムだ。ホロコーストを逃れた人々は思いの外に多かったのかもしれないなぁ、などど感じた。全ヨーロッパ的にみると何パーセントの人々が犠牲になったのだろう。さらに、歴史的なことを想像すると、ウィーン・フィルはもともと、自分をヨーロッパ人だと思っているユダヤ系の人々が支えてきた楽団なのかもしれない。

別件
 裏山がきれいになった。
――もう62なんだから無理をするな。危ないぞ。
――だから、今のうちにしたの。もう20年はしなくてすみそう。
 この団地には、「今山を守る会」というNPOが立ち上がって、事務所も開設されている。しかし、我が家から20〜30㍍しか離れていない事務所の人たちが何をしているのかは全然知らない。ほんとうに体を張って今山を愛しているのは、わが絶滅危惧種なのかもしれない。