積極的無常

GFへ
 たぶん一週間ぶりくらいになると思う。ただし、別れたのは二日前だけど。
 今年もいい旅をすることができた。菊姫七本槍と包装紙が魅力的なフナ寿司を見つけられなかったのは残念だったが、また来年の課題としよう。松尾大社重森三玲旧居、若狭三方、渡岸寺再訪、毘沙門堂何必館、その他、それぞれに感慨があった。それはいずれ本物の手紙で。なにしろ明日から休暇に入る。
 今日は、11月奈良研修旅行の反省会という名の懇親会。オレとしてはだいぶ飲んだほうだと思うが、まるっきり大丈夫。それだけおしゃべりが楽しかった。その楽しさを倍加させたのは、飛び入りだった修猷館佐々木氏のお嬢ちゃん。おじさんたちに大人気で、「またおいで。」(そう言ったのはもちろん、われらが先住民の息子である)小6だというのだが、将来どんな女性に育つのだろうと、今から楽しみになる何かを感じた。
 いちばん若いGFによると、これは大体、火木土日に載せているんだそうだ。そういや今日はまた火曜日か。なにかそんなリズムが出来つつあるのかもしれない。
 べつだん何か言いたいことがあってパソコンを開いたわけじゃない。たぶんあんまり気分がいいので、おしゃべりをしたくなっただけだ。だけど、も少し付き合ってくらはい。
 来年はどこか、澱のように時間が積もっているところに行ってみたい。修猷館の佐々木氏は「今年行ったところでいちばん印象に残っているのは長谷寺だ。」と言った。同感だった。まったく何も考えなくていい場所だった。毘沙門堂の話のつづき風に言うなら、ダークマターだけが存在しているような場所。その象徴が偉大な観音様。・・・・我が師は、「カソリシズムといふ芸術」と書いた。が、そのことばはそのまま「仏教といふ芸術」と言い直しても構わない。そしてそのあとに、我が師なら「ここでいふ芸術は、真理よりも慥かなものとして使ってゐるつもりなのだが」と付け加えることだろう。
 そういえば、我が師には、「積極的無常」ということばがあって、何を言おうとしているのかずっと気になっていたが、今年になって気づいた。
 「積極的無常」は、「投企」の板垣正夫流翻訳だったのだ。この考えには絶対的自信がある。――死後10年以上たって、いまだにこうやって師のことばの意味を考えている教え子は他にはいないかもしれない。こんな弟子をもったことを板垣正夫のために喜ぼう。先生、先生は無理矢理生き延びた、生き延び甲斐があったんですよ。――よし「積極的無常」を生きてやろうじゃねぇか。そしていつか、ダークマターになってみせるぜ。――それをドイツ語ではメタモルフォーゼ(変態)という。われわれの仏教では権化という。人間の考えることには、そんなに大きな違いがない。ただ、そのメタモルフォーゼ(権化)を知らない新しい日本人に何を伝えていくか、方法はただひとつ、親が頼りにならないならせめて教員が自分を「権化」化するしかあるまい。・・・・酔っぱらっているから、そんなことを言ってみる。
 いや、もともとオレたちはダークマターだったのだ。ただし、そう感じることを「悟る」と言うのだろうから、もうしばらくは分からんチンのままでいよう。分かってしまうにしては、この世はあまりにも魅惑に満ちている。

別件
 忘年会の会場に、進藤一馬の書が掲げられていた。「群賢畢至」。
 いい字だった。さて、なんと読むか。
 「群賢つひには至る。」 至るか? いつか。