『待ちくたびれた日曜日』

GFへ
 上野先生への手紙を書いた。(平原綾香の連絡先はわからないまま)
 これで、冬休みにしたかったことは大体終わり、あとは仕事。・・・だがまるっきり労働意欲が湧いてこない。で、またグタグタ書く。
 紅白歌合戦は石川リョウが出てきたところまでしか見なかった。ただ、「面白くない」のはべつに客観的なことではない気がする。こっちが時代からいよいよ離れてきているだけなのかもしれない。例外は石川さゆり。彼女を見られなかったのは心残りだった。「いつかワンマンショウがあっていたら教えてくれ。もう寝る。」あの人は、そこらへんの歌舞伎役者では追いつけないだけのものを持っている。
 若者向けの歌を聞く気がしないのは当たり前。しかし、大人向け?の歌も聞く気がしなくなってしまった。歌そのものも、歌手じたいも、生活感を感じない。・・・いや、生活感が希薄になってきたのは、こっちの方かもしれないけど。「どうぞ勝手にやってください。」(ひょっとしたら、「ニュース」なるものがすでにそうなのだ・・・・たしか、坂口安吾が「新聞で信用できるのは日付と棋譜だけだ」と書いたのは何10年前のことかな?)
 今風の歌と演歌・・・・オレたちの子どものころには「流行歌」というのがあった。「私は東京のバスガール。発車、オーライ」いま思い出すと、アクユウなんて足下にも及ばない歌詞だった。(アクユウの詞は、ほとんどがショウセツやシやエイガから抜き取ったものだ。――その点では寺山シュウジと共通している。――ブンガク上のことばを食い散らかし、自分の通ったあとはガラクタだけにしたことは流行歌の作詞家としてはむしろ勲章に値する。が、何とも品のない食い方だった)それが美しいメロディにのって歌われていた。
 「歌謡曲」というのもあった。「髪もきれいに梳かしたし、部屋も××に○○た。あなたの好きなアネモネも、ほどよく咲いてくれたのに、、、待ちくたびれた日曜日」たしか、ビッキー(もちろん今のビッキーとは別人)という歌手だったが、歌手よりも作詞者と作曲者を知りたい。「雨がしとしと日曜日」というのもあったな。これは歌っていたのが男か女かも覚えていないけど。
 若島津と結婚した歌手は、とてもいい歌を貰っていたのに下手で、「もったいないなぁ」といつも思っていた。作詞者は「安」ではじまる女性だった。ただ、その「へた」な歌手ほどにも味のある歌い方を今できる人は・・・石川さゆりくらいしかいない気がしてきた。
 一応、今日の話にオチをつける。
 後の若島津夫人にしろ、山口百恵にしろ、何かしら、舞台で歌っている姿に違和感を覚えた。とくに山口百恵への当時のオイさんたちの支持の仕方は異様だった。「あんたら角兵衛獅子とダブらせとらんか?」
ほんとうの彼女、は別のところにいる気がした。その二つの像のズレがオイさんたちの創作意欲をかきたてた。
 いま、その「公(人前に出ているとき)と私」のズレを感じさせる歌手がいない。いや、たぶん歌手だけではなくて、そういう大人じたいがいない。いやいや、じつは、奈良大の上野教授にラブレターを出したくなったのは、、、、こっから先はいつかすき焼きか、しゃぶしゃぶか、フグか蟹かを食いながらの内緒話のときに。ぐじの塩焼きでも、鮎でも岩魚でもいいぞ。・・・京都でお土産を買うとき思い出せなかったのは、
コノワタだった。

別件
 年末にNHKが紅白歌合戦の思い出番組をやっていた。録音の関係もあるのだろうが、全般的に音程がすこし低くなる人が多い。そのなかにあって、テレサ・テンはきっちりした音程で歌っている。(彼女の『タイペイは今日も雨だった』はいつかも一度聴きたい)
 ちょうど絶滅危惧種がいなかったから、食い入るように見つめることができた。
 昔、テレサ・テン。いま、平原綾香。自分にとっての歌姫がいるというのはなかなかいい気分だ。(石川さゆりは別格)