『筑豊短信「ぐこう」大塚先生追悼号』の編集

GFへ

 高橋和巳の文章のなかに、「あの人のお酒はいい酒だ、と評されている人の呑み方が、案外絶望の表れだったりする。」というのがあった。その前後を読みたくて探した時期もあったが分からなかった。或いは例の、「二度と繰り返したくない。それが青春だ。」で始まる『青春論』が入っている本の中かも知れない。
 冬休みには終わらせないといけない、と決めていた、『筑豊短信「ぐこう」大塚先生追悼号』の編集が一段落した。その中に、先生たちの文章のなかに出てくる20年ほど前の大塚先生の作品『茜雲』を再録しようと打ち直した。打っていて、坂口安吾の学校ものを思い出していた。(題名が出てこない。『○と○と○』)打っていて、気づいたことがある。
 あの人の明るさ、誠実さ、清々しさ、寛容さ、優しさ、私心のなさ。それらは先生たちが異口同音に言っていることだし、自分もそう思う。とくにオレに対しては異常なほどに優しかった。それらはすべて、彼のなかの絶望がつくったものではなかったか。
 彼もまた、「かがなべて」でGが言及した、「終わったところから始めた旅行者」の一人だったんじゃなかったのか。そう考えたら、大塚先生のことがすうっと了解できる気がする。もちろんその理由は知らない。オレだけではなく、先生たちとも、奥さんとも出会う前に起こった何事か。・・・・けっきょく多分誰にも告白することなく終わった何事か。その原因も、何に対するものかも見当もつかないながら、沖縄水産高の栽監督ではないが、「いちばん悲しいことは誰にも言えんさあ」ですよね、大塚先生。そう声をかけたくなる。
 自分自身は、その人柄に接して心地よいと同時に、腹の中では、「どうしてそんなに自分を汚さないようにばかりしているのですか?」と思っていた。が、もうそんなことは多分とっくの昔に終わったことだったのだ。
 そんなことを「諦念」などというキレイなことばで括りたくない。そんなザラザラした、ゴツゴツしたものが、あの先生の底の方にはあった。あった方がオレはほっとする。
 
 大学に入って幾らも経たない頃、アルバイト先でひとりの男に会った。180㎝を超える見上げるような体格で、年齢も幾つか上。育ちもいい。なんでその職場に来ているのか首をかしげたくなる大人だった。
 彼は、高校を卒業したあと、ギタリストになりたくてイタリアに渡った。その先生のところで数年修業しているうちに、やはり日本から一人の少年がGパンにギター一本を抱えて弟子入りを申し出てきた。先生が「まぁとにかく何か弾け」というので、その少年が弾き始めた。それを聴いて男はゾッとなった。「一生かかってもオレはコイツにかなわない。」・・・・男は先生にお礼を言って、日本に帰ってきた。
 全部、ほかの人から聞いた話だ。
 一度ギターを聴かせてくれとせがんだ。男は返事をしなかった。が、ある日、その男がギターを持って三畳間のアパートに現れた。そして、畳に腰を下ろすと無言のまま弾き始めた。バッハだった。「ギターはこんなに深い音を秘めているのか」。曲自体は完全に忘れているけど、その時膝に頭をうずめて聴いていた、その気分だけは今も残っている。
 だいぶ進んだところで滞り、演奏が中断した。顔をあげたオレに向かって微笑み、「もう指のスタミナがなくなった」と言った。その後どんな話をしたのかは覚えていない。あるいは駅までただ黙って見送りに行ったかもしれない。第一、いま気づいたのだが、あの人はオレのアパートの場所をどうして知ったのだろう。
 彼はその後、アルバイト先に姿を見せなかった。すべてはもう40数年前の幻のような記憶だ。が、彼の人生は、彼の人生のすべてはそこから始まったはずなのだ。
 諦念なんて言葉は大嫌いだ。

別件
 『浜乃家』の若奥さんの写真をつくづくと眺めていて、やたらと気に入った理由がわかった。
 中学1年のとき、「あんた、いかんよ。神経が体からピンピン飛び出しとる。」と言ってくれた3年生のヨシモトミズヨ先輩によく似ているのだ。