それぞれの醤油にはそれぞれの徳がある

GFへ
 センター試験初日。授業に行くべき教室は空っぽ。今日は、職員室でこれを書いている。
 Fから年末の旅行記が届いた。あんがとさん。こんな記録を最初から残していたら楽だったんだが、そうじゃないところが「若さ」のよさだとも思う。
 読んでいて、「訪れた場所が意外と少ないんだな。」と感じた。若い頃なら、「○○行って、××に寄って、あっちに抜けて・・・あ、じゃ、△△も見てみよう。」てな調子で、それこそ「時刻の下僕」みたいだったけれど。これが年齢っていうもんですかねぇ。(お陰で、『江』が始まったら、「ああ、あそこか。」とやたらと懐かしくなったりする。)
 Fの文章のなかに「早瀬浦」のことが書いてあったんで思い出した。
 ずいぶんすっきりしたお酒だなぁと気に入って、裏ラベルを見ると、醸造アルコールをまぜてあった。そういうことか。だったら「七本槍」もきっと同じだ。いわば、それがミソなのだ。そうなると、富山県に住んでいたころのわが師が、「『立山』は二級酒がいちばんうまい。」と言っていた理由も納得できる。(なにしろ、一升瓶をダースで持ってきてもらっていたという)
 いつ頃からか、本物志向がつよくなって、「混ぜもの入り=偽物」という感じになってきた。が、たぶん、何百年もの間に培われてきた先人の智慧を蔑ろにしちゃいけない。それにはそれなりの理由があったんだ。
 江戸時代からつづく城島(じょうじま)の醤油醸造元が、昔からの混ぜ物なしの醤油で人気が出た。その何代目かの跡継ぎは、「ウチは、実はいろんな醤油をつくっています。それぞれの醤油には、それぞれの徳があるのです。」と言った。それを読んで、「いいことばだなぁ。」と思ったのを思い出す。きっとそうなのだ。そうだし、これは、人にも、ものごとにも適用できる箴言だと思う。生粋だけが貴いのではない。
 去年、いま住んでいる団地のなかに、自宅を改造してシュークリーム屋をだした家族がいる。「こんな小さな団地で、やっていけるのかな。」と思っていたが、固定客ができたみたいで、「よかったね。」。ところが、添加物にうるさい甘い物好きの絶滅危惧種は、「なんか足りん。これは素人の味。」と評して、二度と買いに行こうとしない。
 阪神淡路大震災のあと、神戸で買ったワイン(ラベルに庶民的なマドンナの絵があったやつ)も、きっと抗酸化物かなにかが添加されていたのに違いない。そのほうが(酒屋さんのことばを借用すると)アツイのだ。
 そんなことを考えていて、職場の休憩室で「早瀬浦」のことを話した。
──そうらしいです。高級酒も、味をよくするために醸造アルコールを少し混ぜているそうです。
 パナソニックがまだナショナルと名告っていたころ、ソニーもどこも「ソリッドステート」をうたい文句に真空管を使わなくなったとき、ナショナルだけが、一カ所だけ、「画像や音響が滑らかになる」と真空管を使いつづけたという。ただし、売れなくて諦めたはずだ。しかし、これからまた復活するんじゃないだろうか。いや、もうそうなっているかもしれない。
 この項は次回につづきます。