安穏なアジアの創出

GFへ
 前回の続き、だけど、話は短い。し、たぶん二三度話したことがある。
 加藤周一のことばだ。
 かれのことばで覚えていることが二つある。
 ひとつは、座談会で、日本のあいまいさ、曖昧な革命、曖昧な近代化、曖昧な個人主義、曖昧な国体、曖昧な文化、に出席者が溜息をついていたとき、「しかし、その煮え切らないところがこの国の良さなのかもしれないから・・・」とことばをにごしたこと。──歯切れのいい実現可能性を感じないことばを垂れ流す「知識人」たちにムカツいていたときだったから、かれの発言にほっとした。
 今日の話は、あと一つのほう。桂離宮の話だ。
 かれは言う。
 「日本が世界に誇る文化遺産である『源氏物語』と『桂離宮』は、同じ発想からできている。『源氏物語』は、ある部分が作られ、それが順次書き加えられて現在のような多様性をもつ大作になった。『桂離宮』も最初は小さな建物であったが、次第に増築されてあの美しい建造物になった。」
 ここから先が加藤周一節である。
 「もし日本人が将来、世界に貢献できるものを創るとするならば、それは間違いなく、西洋的な「全体を構想してから部分を作っていく」ような発想ではなく、この『源氏物語』や『桂離宮』を作った発想によるものだと確信しています。」
 そのとき彼にどんなイメージがあったのかは知らない。
 が、先住民の息子は、すでに日本は世界に貢献できるものの創出に成功しつつあるのではないかと思っている。それは「安穏な亜細亜」だ。
 大東亜戦争は無惨な敗戦に終わり、日本は周囲の人びとの怨嗟の的となると同時に、自らは亡びかけた。が、その後、復興を成し遂げた。その復興はアメリカだけでなく、亜細亜への輸出に支えられていた。そのためには、亜細亜に購買力を養わなければならない。
 ちょうど、都市部でつくられた工業製品を消化するするために、広大な農村部に購買力をつけることが、敗戦後の意図的な政策のひとつだったのと、同じ構図だ。
 ただし、日本に国家的な戦略があったとは思えない。だからこのプロジェクト(比喩にすぎない用語)は、ほとんど民間の力で進められた。それも、司令塔がどこにあるのかも分からないアイマイな形で、泥縄的に。さいわい、亜細亜には豊かな自然と資源があり、種を播いたあとは待つことを知っている辛抱強くて思慮深い人びとがいる。日本の民間企業はそこを開発し、生産物を輸入し、その代金で工業製品を購入する循環システムを創ることに成功した。(実はそれらは、すでに戦前から始めていたことの再開継続だったのだが)
 台湾や韓国だけでなく、いま、亜細亜はほどほどの豊かさと、ほどほどの安全を享受するようになった。ヨーロッパの植民地であった中東やアフリカと日本が勢力圏にした亜細亜とでは、ひとびとのシアハセ度がまるで違ってきている印象がある。
 できることから始めて、それを多方向に広げていくこと。それが、この国に住む人びとのもっとも得意とするやり方であると同時に、さらに広い範囲の人びとと共有できる世界観でもあるのではないだろうか。

別件
 大昔に報告した韓国人製のジョーク。(思い出した。このジョークを紹介した韓国人も明大だった。)
「ひとりの中国人が成功したら、その成功者にぶら下がって甘い汁を吸っている中国人が百人いる。
 ひとりの日本人が成功したら、その成功者を黙って支えている日本人が百人いる。
 ひとりの韓国人が成功したら、その成功者を恨みながら死んでいった韓国人が百人いる。」
 に対抗して、新ブラックジョークを作ってみた。
「世界が明日滅んでしまう、という噂が広まったとき。
 中国人は有り金をはたいて食材を買い集め、一族でどんちゃん騒ぎをしようとする。
 日本人は家族で炬燵にあつまって、向かい合いながらひそひそ思い出話をしようとする。
 韓国人は、どこかに安全なところはないかと脱出しようとするから、国内はからっぽになる。」
 「韓国の友人」が怒るかなぁ。