堀田善衛『方丈記私記』

GFへ
 昨夕から絶滅危惧種が寝込んでしまった。2年ほど前から、実に簡単に寝込む。また、その間隔が、最初のころは2〜3ヶ月ごと、昨年は1ヶ月おき、そして今年はもう二度目である。
 別段どこがどうというわけではなさそうだから、病院にいくほどのことではないけれど、長年つみかさなってきたものが出てきているのだろう。なにしろ働き者だし、がんばりやさんだから、また、起き出したら、強気が目を覚まして、ご主人様が幾らいさめても、やりたいことをなさるだろう。
 そんなわけで、今日は仕事をやすんで一人と二匹の世話をしつつ読書。
 これまでの流れで、『方丈記私記』を開く。が、読み始めてしばらくして、「まだ若いな」(若いのはもちろん47歳の堀田善衛)と感じている自分に気づいて複雑な気分に陥る。自分に引きつけすぎているからか、ナマの鴨長明が浮かんでこない。それがナマの人間であれば、あとは『方丈記』や『無明抄』に語らせればすむことなのに。筆者が理解しようすれば、それだけ鴨長明が小さく浅くなる。
 いくつか、読んでいて気になったこと。
 ひとつは、堀田善衞はチシキジンのひとりだ、ということ。ここでいうチシキジンとは、一種の貴族だという意味です。
 以前われわれのことを地下人と呼んだけれども、(Gごめんなさい。かってに我々といっしょくたにしちゃって、)正確にいえば、われわれは地下人ですらない。ただのその他大勢だ。つまり、古典で「ヒト」と読まずに「ニン」と読まれている人間たちだ。本来の地下人とは、昇殿を許されない下級貴族のことだろう。チシキジンはその地下人に相当する。その人たちには、なかなかナマに感応するセンサーが具わりにくい。
 ただし、『定家名月記私抄』には、そのナマが満ちている。学習によってそのセンサーを身につけたとしか思えない。あの人のスゴイところだ。
 筆者は、歴史とか政治というものを、あくまで西洋的語彙として用いている。(大抵のチシキジンたちがそうなんだろうけど)そうしないと、論理的な文章は書けない。論理性がないと日本人同士でも話が通じない。それはその通りだ。しかし、平安朝の人間(かれらも、歴史や政治や論理という言葉は用いていた)の思考回路や感受性は、今のわれわれとは違う。ぜんぜん違っていて当たり前なんだ。その平安期の知識人の論理をまるごと受容した上で、現代人のわれわれにまるごと手渡すのが文学者の役割だろう。・・・・47歳の堀田善衛はまだまだ若かった。
 なんども同じ話をするが、高校時代、「俺ニハマダ歴史トイウ日本語ニ実感ガ湧カナイ。ダッタラ、歴史トイウ言葉ヲ使ワズニ物ヲ考エヨウ」と決めた。それは大学に入ってもしばらく続いた。いまは実感があるから使う。使うが、その意味はたぶん、47歳の堀田善衛が使っている意味とはだいぶ違う気がする。・・・意味? 色合い? 温度差? 湿度? 硬度? 匂い?・・・よく分からないが、なにか違う。
 とはいえ、まだ半分しか読んでいない。読み終わったら別の感慨が起こるのかもしれない。
                       1月18日記
追記
 上まで書いてから続きを読み始めると、定家の「幽玄体」の説明がはじまった。こういうところになると文章が俄然いきいきとしてくる。筆者はやはり『名月記』の人なのだ。ただし、少し長めになるから今度コピーを送ります。

追記の追記
 上のところから後は、ほとんど一気読みだった。面白かった。面白かったし、「今まで、これを読みもしないで、『方丈記』を教えていたのか!?」と、愕然となった。・・・・それくらい筆者の読み方はハンパじゃない。と同時に、「もし、これを読んでいたら、もう教員なぞやっていられなかったかも知れない」という気もした。
 ひょっとしたら、それぐらいのことはお見通しで、だからこれまで知らんぷりを決め込んでいたのかもしれない。そして、あとは年金をもらうだけの状態になったのを確認してから、安心して読みはじめたのかもしれない。それくらいのことは平然とやってしまうだけの嗅覚はある、はず、である。というか、嗅覚だけがある。それだけは自信あり。


別件
 奈良大学上野氏から、例の散らし書きの絵はがき。
 今回は、解読するのに時間がかかった。
――評伝を書くと、その対象者(折口信夫)に影響されます。(小説を書いたこと。)CD(ルバッキーテのフランク) 妙なる音 でありました。
 さて、その小説は折口信夫的なものか。自分を題材にしたものか。あるいは万葉人が登場人物なのか。見つけたら買うつもりだから、いずれ報告。