ジャクリーヌ・デュ・プレ

 年賀状に、相当にキザなことを書いた。キザだとは重々分かっていたが、本人は大まじめだった。抱きしめたい自分、が、この男にはある。
 学生時代に、同じ夢を何度も何度もみた。
 昼間、隣のイトコたちの家に、二階から入って行く。(実際に、二階から入ることができた。)七人兄妹が暮らしている隣家にはだれもいない。手すりのついていない階段を下りて一階にいくと、囲炉裏にはまだ暖かみがある。(実際には囲炉裏はなかった。)その囲炉裏の脇に横になったら眠たくなり、体を縮めて眠り始める。
 夢は毎回そこで終わる。
 夢をみた、と言ったが、ひょっとしたら、眠る前に浮かんでいたイメージだったのかもしれない。そのイメージが浮かんでくると、ゆっくり眠れたのかもしれない。
 自分のセルフ・イメージは、今もそのときのままだ。そんな自分をどこかにしまい込んで、なんとか暮らしてきた。

 10数年前、『ほうとうジャクリーヌ・デュ・プレ』をみてボロボロになったことは、そのとき報告したはずだし、その音楽はいまも聴いている。
 映画の冒頭に、海岸で遊ぶ幼い姉妹が出てくる。その姉妹に、だれだか分からないオバさんが近づいてきて、話しかける。
──なにも心配しなくていいのよ。大丈夫だから。
 その冒頭で、映画の内容はすべて分かった。そして分かった通りに展開してゆく。
 姉妹はその後、現実に起こったとは思えないような数奇な運命に襲われる。しかし、最期のときを迎えて、姉に抱きかかえられながらご飯を食べさせてもらう妹は、「子どものときみたいね。」と喜ぶ。つまり、オバさんの言った通りになる。
 冒頭のオバさんは、大人になったジャクリーヌ・デュ・プレだったのだ。
 サウンドトラックはこれから何度も聴くだろう。しかし、あの映画をも一度みることはない。

別件
 与謝野馨のとった行動に対して、わが絶滅危惧種が怒り心頭。一時はまともに晩飯も食えない状況だった。(それが寝込んだ理由ではなかったが)
 「卑怯だ」「男らしくない」「恥を知らん」
 一時は彼のシンパだっただけに、「裏切られた」気持ちは強い。
 しかし、彼には自民党時代にやり残した大きなことがある。それを実行できなかったのは、いつ選挙になるかわからないと感じていた自民党の連中が、彼に手枷足枷、猿ぐつわをはめて、身動きとれなくしたからだ。
──オレは自分のためにやろうとしているんじゃない。
 日本のために必要なことを実行しなかったら、後悔しながら棺桶に入らねばならない。「やろう」と言う相手となら、それが泥棒でも詐欺師でも手を組む。誹謗中傷、悪口雑言、勝手に言え。
 第一、今の自民党には税と社会保障の一体改革を実行する意志も能力もありそうにない。
 ただし、彼が歴史的ヒーローになれるかどうかは、それを本当に実行できたときだ。その政治力があるのかどうかは、Mrカンとともに、こちらには全くわからない。