病床やおもちゃ併べて冬籠―子規―

GFへ
 正岡子規『仰臥漫録』(岩波文庫)読了。開いたとたん、まず、恐ろしいと感じた。活字なのにナマそのものだ。。若いとき、なぜ『病床六
尺』だけで満足したのだろう。(理由はわかっているんだが) こういうものには、やはり「読む時機」というものがありそうだ。その点、きみたちの友人は、機をみるに敏、であることだけは自慢できる。タイミングを図りつつ生活したら、「いま」に出会える、が、けっこうそれだけで疲れる。いま出ている疲れは、そういうことなのかな。
 そこらへんの、いわゆる小説なぞとはまるっきり趣がちがう。こういうことばと面と向かうには、それなりの心の準備が必要なのかもしれないが、今回は、引き込まれてそれっきりという感じだった。で、二重に疲れた。ほんとうは、こういうものを文学と呼ぶのかもしれない。
 読むかどうかは後で考えるとして、一度手にしてみるほうがいい。
たぶん、一番有名なところだけコピーして送ります。
 それとは別に、「こんないい句があったのか」と思ったものを下に書く。
  病床やおもちゃ併べて冬籠

別件
 1月30日日曜日の飯塚は大雪。街中が静かだった。チェーンを巻いて頑張っているバスでバスセンターまで行くと、お爺ちゃんがいた。
──今日は畑仕事もできんから遊びにきた。