三好十郎のこと

   2011/02/11
GFへ
 睦五郎という俳優を覚えているだろうか。ムツミゴロウと読むのだが、自分は長いことムツゴロウと名のる有明海沿岸出身の役者だとばかり思っていた。本当は宮城県の出身らしい。
 『逃亡者』のデビット・ジャンセンの声だ、と言ったら多分思い出したかもしれない。
 あるとき、といっても東京にいたころだったから、もう40年ちかく前のことだろうが、新聞に小さなコラムがあって、そこに彼の言葉がのっていた。
――三好十郎が死んでからは、もう特にしたいこともなくなった。あとは、食っていける程度の仕事があればいい。
 一時期はテレビの刑事物で時々おもに犯人役をやっていたが、最近は姿をみない。
 卒論は三好十郎をやりたいと申し込んだら、引き受けてくれたホンダ・シュウゴさんが、「三好十郎という人は不思議な人ですねぇ。毎年一人ずつ、卒業論文でやりたいという学生が現れます」という。明大の遺伝子はいまも受け継がれているのだろうか。それくらいマイナーな作家だが、睦五郎のような男もいる。
 三好十郎の芝居のなかで、いちばん印象に深いのは『浮標(ブイ)』だ。戦時下、余命いくばくもない妻と暮らしている男がいる。そこに、男を慕っていた若者が恋人を連れて「赤紙がきました」と報告に来る。明日には入隊しなくてはならないと言う。
――もう、疲れたでしょう。明日は大変なんだから、今日はここで少し休憩なさい。主人と話なんか、もうしなくていいでしょ?
 「せっかくオレに会いに来たのに、相手の気持くらい考えろ。」
――そんなこと、どうでもいいの。ね。向こうの部屋が空いているから、ね。二人でゆっくり休憩なさい。
 妻は熱に浮かされながら懇願するように若いふたりに言う。
 朴念仁の夫には、妻が何を願っているのかが分からない。
 その妻の名前を「みを」という。澪だ。浜田が(ごめん。Gはまだ会ったことがない。この男の話はいつかする。ちょっと特殊な縁のある男だ)、「女の子が生まれた」と漢和辞典を持って毎日うろつくだけで名前を決められずにいるから、「みお」はどうだ? というと、「それ、いいね。」未緒と名づけた。オレにつけさせろと張り切っていたオジサンは、「未だ緒につかず、とは何事じゃ」とひどくご立腹だったそうだが、オレが名付け親になってしまった。後になって、「おい、ミオって、若くして死んでいく女の名前じゃないかよ。ひどいよ。」と抗議されたが、彼女は元気にオレの「美しい女」の名を背負って生きているらしい。
 気が狂わんばかりに生の営みを願った、いや若いふたりにせがんだ女主人公のミヲが死んでいくとき、夫はでたらめに万葉集を開き、大声をあげて読み始める。
――いいか、万葉集だぞ! わかるか? 聞け! 馬鹿野郎! 眠るな! 
 戦時下でその芝居が上演されたとき、幕切れと同時に怒号のような喚声がわき起こったという。

 いま、毎年一作ずつ、国立劇場小劇場で三好十郎が取り上げられているが見に行こうとは思わない。なぜなら、劇場に入ってももう主人公の五郎やミヲと同じ時間を共有する観客がその場にいるとは思えないからだ。いや、ひょっとしたら、舞台にのっている俳優たちもまたそうなのかもしれない。だったら、そっとひとりで五郎やミヲの隣の席に座っているほうがいい。睦五郎が元気でいても、先住民の息子と同じように考えるだろう。             
  
追記
 上のように書いたあと、男主人公が読んだ万葉集が何だったのか気になりだして、数十年ぶりに開いてみた。柿本人麻呂大伴家持だった。
柿本人麻呂
ぬばたまの黒髪山の山菅(やますが)に小雨降りしきしくしく思ほゆ
大野(おほぬら)に小雨降りしく木のもとに時々寄り来あが思ふ人
大伴家持
いつしかと待つ吾が宿に 百枝刺し生ふる橘 玉に貫(ぬ)く五月を近み 会へぬがに花咲きにけり 毎朝(あさにけ)に出で見る毎に 気緒(いきのを)に吾が思(も)ふ妹に まそ鏡清き月夜に ただ一目見せむまでには 散りこすな努(ゆめ)と言ひつつゝ 幾許(ここだく)も吾が守るものを うたてきや醜(しこ)ほとゝぎす 暁の心(うら)悲しきに 追へど追へど尚ほし来鳴きて 徒に地に散らせれば 術をなみ攀ぢて手折りて 見ませ吾妹子
反歌
十五夜(もち)くだち清き月夜に吾妹子に見せむと思ひし宿の橘
妹が見て後も鳴かなむほとゝぎす花橘を地に散らしつゝ
  
別件
 またや見む交野のみ野の桜狩り花の雪散る春のあけぼの(俊成)
 願はくば花の下にて春死なんその如月の望月のころ(西行
 桜の樹の下には屍体が埋まっている(梶井基次郎
 たふれたる獣の骨の朽ちる夜も呼吸つまるばかり花散りつづく
斎藤史
     いくら詠まれても詠み了われた気がしないもの
               ──日本人の文化的DNA──