井の中の蛙になれ

 2月13日反省会のつづき    2011/02/14
 月曜日の自分の仕事は、10時前にすべて終わった。「じゃ、」と、一昨日列車のなかで読みかけていた中薗英助『裸者たちの国境』を開く。が、「此処はこの本を読むべき場所じゃない」。
 知では読めない。情でも読めない。なにか自分のなかの下の方にあるドロドロしたもので読むべきものだ。今まで通り飯塚への列車の中で少しずつ読んで、あとは3月の巡礼の旅のバッグに入れて続きを読もう。
 反省会のときに思ったこと。「先生たちにとっては、大塚先生について語ることはそのまま自分について語ることになる」のと同じ仕掛けで、中薗英助を読むことはそのまま自分のなかの何かと照らし合わせることになる、らしい。
 反省会のときに先生たちの言ったことを、いま反芻している。
その一(時枝先生)
 おれは生徒に「井の中の蛙になれ」と教えた。
 嘉穂とはそういう学校だったと思う。日大に行った年下のイトコが、「嘉高でよかった。あそこは頭が悪かろうが、運動神経が鈍かろうが、皆いばっていた」と言う。ひとりひとりがお山の大将でいられた。その井戸の中の濃密な時間にどっぷりつかったあとで、びびることなど100%忘れてから、井戸の外に出ればいい。その見本がここにいる。「外に出てからも、オレを見失いようがない井戸」を見つけてから外に出ろ! 実際に、嘉穂の野球部が強かったのは、(いろんな事情はあっただろうが)数学の大塚と、国語の時枝の時代だった。その後、OBたちがしゃしゃり出てからはまるっきり芽がでない。
その二(舛添先生)
 板垣さんには、何ごとか次の世代に伝えずにはいられないものがあったんだ。だが、それを受けとめようとする次世代がいなかった。あの文章はそんな絶望が書かせたものだ。だから、「理解できるものは誰もいなくてもいい」という、あんな文章になった。
 それはまた、先住民の息子に板垣先生が言ったことばでもあった。「だれも分かってくれなくてもいい、という覚悟は必要だ。しかし、人に読んでもらおうという気持ちを捨てるな。」
 舛添先生の言った、「板垣さんを乗り越えつつあるのかもしれない」という評は、その「誰にでも読める文章」をやっと書き始めている、という意味だと解釈している。そうなると一方で意味不明の「詩もどき」が必要になるのだが。
 教員になって幾らも経たない頃、例の席で、「だれかが十億円くれたら自分で学校をつくりたい」と言ったら、即座に松尾先生が、「やめとけ」と言った。「お前のつくりたい学校に行きたいと思う中学生がいまの日本に何人いると思っているんだ!?」この馬鹿は本気でそうしようとするかもしれないと危惧したのか、あるいは板垣先生でさえ断念したことを口にするなぞおこがましいと感じたのか。その両方だったのかもしれない。
 先生自身はたったひとこと。
──お前たちに、りっぱな日本人になってほしいんだ。
 と言った。
 あと20年経ったって、立派になれやしないし、なろうとも思わない。「チンピラのままで生き抜いてやる」。しかし、日本人にはなるぞ、と誓っている。「日本人ちゃ何か?」と訊かれたら、「オレがその見本たい」と言える井の中の蛙を目指す。

別件
 ネケレ無方『迷える者の禅修行』(新潮新書)はいい本だった。ただ、感心しながら読みつつ、ふたつのことを思った。
1,仏教だけでは日本人はわからない。道元の言葉のなかになぜ「神仏」が登場するのか。その「神」の部分にこそ日本人の日本人たる淵源がある。無方師がそこにさまよい込んだとき、ほんとうの苦行がはじまるのではないか。
2,素手で現実と立ち向かえ、というのは正しい。しかし、人生は甘美な夢であり、究極の現実はまったく別のところにある、という考え方にも捨ててはいけないものが含まれている。