長木誠司『戦後の音楽』

 「当時の社会、文化情勢を十分に理解せず、また日本の味わったあの戦争期の厳しさを知らず、デスクのうえで考えている」という佐々木氏の批判は、直接は戸ノ下氏への批判として書かれているが、脈絡上私にも波及していよう。「当時の社会、文化情勢」を、われわれ両名より佐々木氏の方が知悉し得ているということは、残念ながら誰にも証明できない。そんな優劣の比較は本来ナンセンスだと思うが、もとより佐々木氏には、自らの優位性を─潜在的なものを含めて─十分証明できるような包括的な業績はない。また〝当事者意識〟を盾にした物言いにも、絶えず危険がつきまとう。「日本の味わったあの戦争期の厳しさを知」るということは、実際に経験するということなのだろう。もちろん、経験者にしか分からない事実というものは確かにある。それを、非経験者が〝分かった〟と主張すること自体が、そこでは無理解を超えて不遜なことになろう。しかしながら、経験者には見えない歴史というものも、もう一方にはある。経験された事実に対しては、同情し、反省はできるものの、同じように経験することはできない。でもその経験は、歴史を書くこととは本質的に等価ではない。歴史記述は常に選択された記憶を残す作業として行われる。経験していないで書いているではないか、という非難はそもそもお門違いで、空虚な難癖に過ぎない。私は、まずなにが生じていたか、ということを記憶し、他者と共有しておきたいだけである。そうして作業すらも、この時期の楽壇に関しては綿密に、まとまった形で、そしてなんのバイアスもかからない状態では行われてこなかったのだ。
長木誠司『戦後の音楽』(作品社)第一章末尾
GFへ
 今朝、読みはじめたばかりのだが、めちゃくちゃに面白い。ただし、2段組500ページ以上、税別7200円、中身は題名通りとあれば、「読んだ方がトク」とは言えない。といって、またもや抜き書きする気は起きない。なぜなら面白すぎて、たぶん、今週中に一気読みしそうだから。
 せめて、と、著者の魅力が横溢している部分を報告する。
 なお、著者は、1958年生まれ、福岡県の出身である。
         2011/02/16

別件
 楊海英『墓標なき草原─内モンゴルにおける文化大革命・虐殺の記録─』を読んで見たくなって、福岡市民図書館蔵書を検索した。収蔵はされている。しかし、貸し出し禁止になっている。この国は絶対におかしい。