あんぐりまんぐり最終号

記憶に残ることば     2011/02/23

○大人と子どものちがいは一つしかない。子どもは自分が誰かを知らない。大人は自分が誰かを知ってしまった人間だ。
 自分の悩みごとを人に打ち明けても、それが軽くなるわけではないと悟ったとき、人ははじめて子どもであることをやめるのだ。
 自分の存在なんて無用のものだということを喜びたまえ。そして、しかも悶々と歩きたまえ。そうして、自分が誰であるかを思い出したまえ。              ──W・H・オーデン──
 
○心のなかにはいりこんできて、やがて一個のちいさな固いひんやりとした種子になってゆくような一個の物語を人は抱いて生きている。      ──コンラッド・エイキン──

○われわれが手に出来る最良のものはナッシングなのだということを私は残念に思わない。なぜなら、人生は生きるに価するものだということは、何によっても証明できない信念だからだ。
 どんなことよりも大切なのは一人の人生だ。一人の人生とは、自分の家にいて鼻などをいじりながら、日の沈んでゆくのを見ている、そういうものだろうね。       ── ハックスリー ──
   
○公園には鳥がたくさんいて、ぼろを着た老人が手にわずかばかりのポップコーンの袋を握っていた。「デイモン、あの老人はただ孤独なだけだと思うか? あの老人が誰か知っているか? オレた ちさ。オレたちはあの老人なんだ。」  
        ──『野郎どもと女たち』デイモン・ラニアン──

○強そうな相手と立ち向かわなくてはならなくなった時は、「こいつだって赤ん坊の時はママのおっぱいにむしゃぶりついていたんだ。」と思え。
      ──『ウォーター・ランド』グレアム・スウィフト──

○私は幸福な人間だと思われてきた。しかし、幸福の経験と、幸福の記憶から、わたしは幸福なしでも生きられる術(すべ)を学び知ったのだ。
                    ── レヴィナス ──

○みのり豊かな穂のごとき人生は刈りとられ、そうでないものは取り残される。
                   ── エウリピデス ──

○世界は美しい無だと思う。      ── 山口 薫 ──

○現実は精巧につくられた夢だ。 ── 長谷川リン二郎 ──
  
○全人類はひとつの夢しか見ていないのではないか。それが個々人のフィルターを通したとき、違う見え方をしているのだ。      ── 大岡信の友人の ? ──

○地の死は水になることにあり、水の死は空気になることにあり、空気の死は火になることにあり、そしてまた、その逆も。        ── ヘラクレートス ──

○科学研究はリアリスティックな言語で行われる。科学者はすべての人に受け入れられる結果を得ようとしているのであって、もし滅菌した言語と厳密な論理だけを採用していたら、科学者はどこへもたどりつけなかったはずだ。                          ──ヴァルター・ホリチア──

○もっとも宏大な理念でさえ、それを実践に移すためには、偏狭さと排外主義の力を借りるほかない。                  ──レオン・ブランシュヴィック──
   
○二世が忘れたいと思ったことを、三世は思い出したいと思う。
              ──マーカス・李・ハンセン──

○書くという行為にはさまざまな誤解がまとわりついている。あまりにも多くの人が、書くことには才能が必要だと思いこんでいる。しかし、それは全く違うと、ペロスはこれからも繰り返すだろう。書くことは「奇妙な隷属状態に反する」ことであり、問題は才能の有無とは別に、つねに螺旋を描いて、中心がぽっかりと空いていることころに身を置きつづける勇気があるかどうかなのだ。
        ──『ジョルジュ・ペロスの方へ』堀江 敏幸──
                               
○内容や意味をなくすることは、雲雨の情を語るための歌文の世界の道である。
                   ── 保田 與重郎 ──


○ We may note the courage have come from memory--the way of one's origin.
One grows up by growing back
人は自分の源へと遡ることによって成長する
              ──ベネディクト・アンダーソン──


 卒業式前に『あんぐりまんぐり』を出す気になった。「ことば」の前半は、何とかいう早稲田出の詩人の何とかいう本からの孫引き。後半は、高校生にはちょいと難しいだろうが、背伸びさせてみたくて引いた。

別件
 昨日が福大、今日が西南。結果はまずまずか。予想してはいたが、今年の3年は理系が厳しかった。
 一年ほど前、「このクラスは、いちばん出来の悪い奴が仕方なしに福大に行った、というクラスにするからな。」と言うと、「ありがとうございます。」と言った生徒がいる。そいつは12月の授業のとき前に出てきて、何やらかにやらごにょごにょ話すのだが要領を得ない。面倒くさくなって、「大丈夫。お前は福大に通る。」と言うと、「その一言が聞きたかったんです。」と言って、さっさと席に戻った。その生徒も願い通りに福大生になれる。
 行く先がなかった者のうち何名かも西南に合格した。
「1明治、2明治、3明治、」と書いていた生徒も日大に合格。明治の発表はまだだが、希望通り東京に合法的家出ができる。
 長年いっしょに組んで働いてきた男が、「じっちゃんの仕事もこれで終わったね。」と言う。「ほんとに終わったね。」
 この日、早速、ぎっくり腰になりかけて、早退。